連載
#8 #父親のモヤモヤ
家事・育児「仕事で疲れた」と休むのは……夫婦の考え方に「ズレ」
専業主婦の妻と子ども2人。4人家族の記者(38)が、家事や育児を巡る妻との衝突について「育児『やってるぜ感』抑えた1年」と題して記事を書いたところ、多くの感想が寄せられました。どれも、家事や育児をめぐる夫婦の考え方のズレの本質を突くものばかり。教えを請いに伺いました。
「いつも素直でつっこみがいのありそうな記事をありがとうございます」
そんな感想をメールで寄せてくれたのは、横浜市の女性(57)。どこにつっこみたいのか、まずはこの方におそるおそる話を聞きに行きました。
横浜駅近くの喫茶店で、女性は笑顔で出迎えてくれました。働きながら育てた2人の子どもは、すでに独立しているそうです。率直に感想を聞いてみました。
「私たち世代の男性はそもそも努力しようとしなかったけど、(あなたが)現代の男性として、育児や家事に関わりたいと努力したいという気持ちはよく分かります」と女性は言います。ホッとしたのもつかの間。不思議で仕方ないことがあると続きます。
「(家事や育児を休む理由として)『仕事で疲れているんだから』と言い訳をしていましたけど、どうして気づかないんでしょう」
何に気づいていないのでしょう。
私は自宅に帰ってきて一息をつくとき、ついスマートフォンをいじってしまいます。妻は「家にいるときは、子どもと遊んであげて」と思っているようなのですが、私は「仕事で疲れているんだから、少しぐらい許してよ」とつい思ってしまいます。女性は、この点に疑問を呈しています。
女性は子どもを保育園に預けて職場復帰したとき、「仕事って、なんて楽なんだろう」と思ったそうです。会社員には休憩時間がある。それ以外にも、情報交換という名目でおしゃべりもできるし、煮詰まったらトイレでゆっくり用を足すこともできる。「自分の自由な時間は、ある程度作り出せます」
一方、家庭内で家事や育児を行う場合はどうか。子どもがある程度大きくなるまでは、ゆっくり用を足すこともままならない。ましてや、子どもが危険な目に遭わないか、いつも気を張っていなければならない。「大げさかもしれないけれど、不安と恐怖が常にあります」
私は長女が生まれたとき、当時3歳になりたてだった長男の相手をするために1カ月間の「育休」をとりました。その時に感じていたのは、「早く職場に戻りたい」ということ。
子どもの相手をしていると、自分の思うようにならずにイライラすることもしばしば。「自分がいないと職場に迷惑をかける」などと妻に言い訳していましたが、本音では「仕事のほうが自分のペースでできて楽」と思っていました。
女性が私に言いたかったのは、自宅でスマホをいじっている時は内心、「仕事で疲れている」よりも「面倒な家事や育児はやりたくない」が勝っているはずなのに、なぜ気づかないのか。気づかないふりをしているのではないか、ということだったのです。図星です。
女性はさらにこう言います。「仕事は達成感があるけど、家事や育児はそういう次元のものではない」。家庭内における「母親」は、帰ってくる夫や子どもを待ったり、子どもが危険に遭わないよう見守っていたりと、「家庭に安心を与える存在」として期待されがち。
そこにゴールがあるわけではない、と言うのです。「家事や育児の分担をする際に『一覧表で見える化してはどうでしょう』という声もありますが、そもそも見える化できない部分も多いのです」
女性にそう言われて、私も思い当たる節があります。
専業主婦の妻の負担を少しでも減らそうと、できる限り家事や育児にも取り組むようにしています。ただ、私がやるのは、洗濯物を干したりお風呂場を洗ったりと、やったかどうかが分かるものばかりです。そういう目に見えてやったかどうか分かることばかりを私がやっていることが、妻の不満がたまる一因になっているのかもしれません。
どうすればいいのか。
女性が一つの方法としてあげたのが「妻が嫌だと思っていることを引き受ける」ということ。「『しなくてもいいよ』と言ってしまいがちですが、それでは負担は減ったとしても『私のしていたことは無駄だったのか』と逆に不満につながるかもしれません。『あなたの努力は私が引き受けます』という姿勢だと、気配りを感じて安心感につながると思います」
「一番の問題は、『やってるぜ感』を出しているということよりも、家事を手伝い終わったら、『ああ、終わった』と思っておられることでは」
次に会ったのは、そうメールを送って下さった羽田野直道さん(53)です。メールには続けてこうつづられていました。「『やっといたよ』という発言を聞いた奥さんが不機嫌な顔をされるのは、私にはよくわかります」
羽田野さんは東京大学生産技術研究所千葉実験所(千葉県柏市)の教授を務めています。羽田野さんの妻は別の大学の教員で、いわゆる「共働き世帯」です。
羽田野さんによると、家事はほぼ羽田野さんが担っているとのこと。以前から羽田野さんのほうが家事を多くこなしていたそうですが、2年ほど前に引っ越し。自宅からの通勤時間が羽田野さんは約20分、妻は約1時間半ということもあり、気づけば「ほぼ」羽田野さんの役割になったそうです。
その羽田野さんが痛感したのは「家事には終わりがなく、達成感がゼロ」だということ。羽田野さんは言います。「料理をしてもすぐに食べてしまって、また次の料理をしなくてはいけない。洗濯してもすぐに汚れて、また次の洗濯をしなくてはいけない。生きている限りずっと続くのだという達成感のなさが家事の本質ではないでしょうか」
羽田野さんの妻も時には手伝ってくれるそうですが、私同様、その手伝いが終わると、妻が「ああ、終わった」と思っているのが分かるそうです。「延々と続くことが見えているので、『終わりなんかないんだ』という反感を持ってしまいます」
自分の身に置き換えてみると、羽田野さんの言葉が胸に刺さります。私が家事の手伝いを終えて、「やっといたよ」とアピールして妻が不機嫌になるのは、家事はずっと続くということを理解していなかったからではないか――。そう思えてきます。
羽田野さんにもアドバイスを聞きました。「ある特定の家事について、毎週決まった曜日は必ずするという風にしておくのはどうでしょうか」。そうすれば、家事はいつまでも続くのだということを認識できるし、妻もその家事のことは忘れられる。「一つの家事でも忘れられることがストレスを減らすことにつながると思います」
羽田野さんも「掃除は担って欲しい」と妻にお願いしたところ、週末に必ずやってくれるようになり、気持ちが楽になったそうです。
お2人の話は非常に示唆に富んでいました。私も家庭で実践しつつ、妻との関係がどう変わっていくのか、あらためて報告したいと思います。
記事の感想のほか、帰省した夫の実家でのモヤモヤや、父子での帰省にまつわる体験を募ります。連絡先を明記のうえ、メール(seikatsu@asahi.com)、ファクス(03・5540・7354)、または郵便(〒104・8011=住所不要)で、朝日新聞文化くらし報道部「父親のモヤモヤ」係へお寄せください。
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