感動
中国研究者に愛された代々木の老舗書店が閉店 90歳店主が残したもの
東京・代々木にある中国書専門店「東豊書店」が6月末、ひっそりと閉店しました。1964年に開店して以来55年。中国研究者だけでなく、中国の書物を愛する多くの人たちから惜しむ声が相次いでいます。(朝日新聞国際報道部・今村優莉)
JR代々木駅の改札を出て右側に進むこと約20歩。周囲の発展からそこだけ取り残されたかのような、古ぼけた8階建てのビルが目の前に飛び込んできます。
いまにも朽ちかけてしまいそうな外観から、ネットではかつて香港にあったスラム街、「九龍城砦」に見たてて「代々木の九龍城」などと呼ぶ人もいます。
この建物の正式名称は「代々木会館」。8月に取り壊しが決まっています。このビルの3階に、最後まで残ったお店として「東豊書店」はありました。
階段を上っていくと、2階から3階に上がる踊り場のあたりからだんだんと本の山が近づいていきます。段ボールに入ったままの本やビニールひもにくくられた本の束……。一見しただけではそれらがどのような種類か分かりません。
店に近づくと、なんとなくピンと張り詰める空気が伝わってきます。
店の入り口には、パイプいすや小さないすがいくつか無造作に置いてありました。店主が座るものなのかなあと思っていたら、私とほぼ同じ時間帯に入ってきたお客さんが、ポンと、自分のカバンを置いて、店に入っていきました。
中に入って、その意味がわかりました。本がびっしりと所狭しと置かれていて、通路は人一人が通るのがやっとなのです。カバンを持っていると、お店の中の移動が大変そう。私も慌ててお店から一度出て、店外のいすの上にリュックを置いて再び入店しました。
店主の簡木桂さんにお話を聞こうと思いました。ところが、朝日新聞の記者と名乗りお話を伺おうと声をかけたところ、先にこう言われました。
店主 「何の本探しているの?」
私 「あ、実は、閉店すると伺ったので、少しお話をうかがおうと……」
店主 「本買いに来たんじゃないの?」
ジロリとにらまれてしまいました。私は、本も買おうと思っていたので、自分の関心領域である「文化大革命時代の本を」とお伝えしました。店主は、「あっち」と入り口近くの指さしてくれました。ただ、取材が主な目的でもあったため、私はもう少し粘りました。
私 「この大量の本は、閉店されたらどうするのでしょうか」
店主 「そういう話はいいの」
店主の日本語は流暢でしたが、台湾の方だということを知っていた私は、中国語で話しかけた方が少しでも心を開いてくれるだろうか、と思い、中国語で同様のことを伺ってみました。しかし、私の浅はかな考えはすぐに打ち砕かれました。店主は私をみると
店主 「あんた、何しに来たの?本見るの?見ないの?」
声にいらだちを感じました。私はこれ以上聞いて怒らせてしまいたくなかったので、「本、見ます!」と言って店主の指さした方へ向き直ることにしました。
改めて店内を見てみると、なんだか別空間に移動した気分になってきました。清朝史、中医学、東洋医学、文学、哲学、雑誌、地図に絵本。人形劇にお茶関連に中国ご当地料理のレシピ本……。狭い店内を少し歩くだけでも数え切れないジャンルを扱っていることが伝わってきました。
中国大陸では発禁になっている、「ワイルドスワン」の中国語版「鴻-三代女人的故事」もパッと見ただけで3冊ありました。
私と同じ時間(開店と同時)に入ってきた、もう1人の男性が、中国語で話しかけてきました。
アモイ(廈門)大学の李無未教授で、都内の大学に研究目的で来ているといいます。専門は音韻学(おんいんがく)といって、漢字の音韻の歴史的研究をされている方でした。すでに大量の書物を両手いっぱいに持っていました。
李無未教授は、東豊書店が閉店すると聞いて、毎日のように足を運んでいると言います。
「ここはすごい。大陸でも台湾でも香港でもいろいろな本屋をみてきたが、私の専門分野の漢語音韻学で新旧のすべての本をここまで網羅している書店は東豊書店しかない。来るたびに興奮するんだ」と話します。
「ここがなくなったら、どこに行けば良いのかわからないよ。今のうちに、買えるだけ買っておきたい」。
そう言って、また忙しそうに本の物色をしていました。店の外のいすに置かれたカバンは、カラでした。
「買った本を詰め込むためだけに持ってきたんだよ」
気づくと、店内には他にもたくさんお客さんがいました。閉店まで、東豊書店ではすべての本を半額で販売していたのです。
「あそこには在庫を管理するデータベースが何もない。それでも、どこにどんな本があって、どのくらい在庫があるのか店主はすべて覚えているんです」
こう教えてくれたのは、京都大学人文科学研究所の古勝隆一准教授(48)です。東京大学で中国哲学を専攻していた1990年代、恩師に「他で見つからない中国関連の本があれば、東豊書店に行きなさい」と言われ、通い始めてから30年近くお世話になっていると言います。
「出版社から届く新刊目録を通じて注文する本屋さんが多いようですが、東豊書店の場合、簡さんが年に2、3回、中国、台湾、香港の本屋に直接出向き、自分で選んで買い付けをするんです。その時買った本の記憶と、売った記憶がきちんと簡さんにはあるんです。それがすごい」と話します。
古勝さんは台北に留学していた20年ほど前、簡さんと一緒に本屋めぐりをしたことがあるそうです。「いつもはラフな格好をしているのに、本屋さんに行くときはビシッとジャケットを着こんでいたんです。本屋を回っているときの簡さんはとても楽しそうでした」と話してくれました。
川上哲正・中国研究所理事(69)によると、店主・簡木桂さんは1929年に日本統治下の台北で生まれました。42年に国民学校を卒業後、台湾専売局の製樽工場に就職し、夜学にも通いました。45年、日本の植民地時代が終わり、国民政府の支配がはじまると、今度は印刷工場で働きながら、夜間学校にも通っていました。
54年、国立政治大学に入学し、卒業した後、縁あって来日しました。簡さんは、川上さんに「バナナボートに乗って神戸に来た」と話したそうです。当時高価だった台湾バナナを積んだ輸出船に乗ってきた、ということだそうです。その後、東京大学大学院の外国人研究生として学び始めました。
そんな簡さんが代々木会館で書店を始めたのは、東京五輪が行われた1964年。代々木会館が建てられてまもなくのことです。もともと院生のアルバイトとして、台湾の知人が手がける書店の東京支店のような形でやっていたところ、次第に中国研究者の間で話題になり、飛ぶように売れたそうです。
川上さんは、数ある中国書関連の書店のなかでも、東豊書店が一番店主と話しやすかった、と振り返ります。
「店主の机の横に椅子が一つ置かれていて、店主の入れたお茶を飲みながらいつも誰かがそこで話し込んでいるんです。そこには穏やかな時間が流れていました」
「『いまこんな研究をしている』と伝えると、次に会うときには『こんな本があるよ』などと、私以上にリサーチして情報を教えてくれるんです。研究者が何をほしがっているのか、ご自身でも一生懸命勉強しながら本を買い付けているんです。そのうえ自分が買った本は、全部ちゃんと読んで、感想を書いてファイリングしたカードを持っていました。その姿は、書店の店主というよりは、研究者そのもののようでした」と川上さんは振り返ります。
就職してからも、仕事が終わるとよく寄ったそうです。夕方6時の閉店時間に間に合わない時もありましたが、簡さんは、行くということを事前に伝えておけば、必ず待っていてくれたそうです。「こちらに学ぼうという姿勢がある限り、とても親切に対応してくれました」
書籍を購入したあと、近くの酒場でビールをごちそうになったのも、思い出深いと言います。「簡さんと酒を飲むのは楽しかった。安い居酒屋でビールや日本酒を飲むんですが、帰宅して奥さんのお食事を食べられるのか、外ではほとんど食事に手をつけなかったのが印象的でした」
「政治の複雑な絡みをかいくぐってきたからか、政治的な話はあまりしたがらなかった」と川上さんは話します。ただ、川上さんは、簡さんがこだわりを持って買い付けた書籍の特徴から、店主の志のようなものを感じ取ることができる、と話します。
「いま流行っている本だから、という理由ではなくて、もっと大局的な視点で本を選ぶんです。特に中国の歴史、国民党や共産党に関する書物や雑誌は、他ではほとんど手に入らないものも、簡さんのところには必ず置いてあった。彼が特に意識を持って本選びをしていたことがうかがえます。本屋というよりも、日中台の相互理解や文化事業の促進を意識していらっしゃったと感じます」
簡さんが古希を迎えた20年前、研究者たちが簡さんのお祝いの会を開いたことがありました。その会には東豊書店の常連を中心に研究者が80人も出席したそうです。簡さんがいかに中国研究者たちに愛されていたかがわかります。
私も、お目当ての本をいくつか見つけることができました。1930年生まれの中国人の祖母がいる私は、祖母が体験した国共内戦や文化大革命といった中国の内乱に関心がありました。
特に文化大革命は、中国の学校で使われる教科書からその項目が削除される動きがあり、当時のことを記した書籍は一冊でもたくさん手元に持っておきたい。そう思い、数年前から少しずつ集めていました。
私が「欲しいなあ」と思った本は、あいにくほとんど天井に近い上の方に積まれていました。おそるおそる簡さんに「あの本が欲しいんですが……」と指をさし、書名を伝えました。
そばに、三段の脚立が置いてありました。私は
「もし良ければ自分でやります」
と伝えましたが、簡さんは素早く首を振り、こう言いました。
「あんたには無理だよ。危ないからそっちで待っていなさい」
そう言うと、90歳とは思えない身のこなしで脚立の一番上に登り、お目当ての本を取り出してくれました。「はい」と振り向きもせず後方にいた私に本を渡してくれた姿は、ぶっきらぼうのようで、思いやりに満ちていました。
お会計をしたら、13760円。ただ、閉店までの半額セールの時期だったので、6880円と言われました。私は7000円を渡し「おつりは取っておいて下さい」と言いました。
簡さんは、しかめ面をして「そんなこと言うなら半額じゃなくてちゃんと買いなさい!」
中途半端な気持ちで本を買うな、と戒められたようでした。最後の最後に、怒らせてしまいました。
閉店した東豊書店は、どうなったのか。
私は7月初旬、もう一度書店を訪ねてみました。代々木会館の入り口は封鎖され、「東豊書店 移転先」と小さく書かれた紙が貼られていました。
試しに、そこに書かれていた電話番号にかけてみました。簡さんが出ました。
簡さん 「もう閉店した本屋の話なんて書いて、どうするの?」
私 「東豊書店はたくさんの中国研究者に愛されていることがよく分かりました。惜しんでいる人がたくさんいる、それがニュースなんだと思います」
簡さん 「ああ、そう。好きに書きなさい」
私は、改めて最初に投げかけた質問を聞いてみました。
私 「簡さん、あの大量の本は、どうなりましたか?」
簡さん 「神田にある本屋が引き取ってくれたよ」
ああ、本当に良かったですね。そう伝えると、簡さんは続けてこう言いました。
「本当だよ。産業廃棄物にならなくて、本当に良かった。半額セールの時ね、1日に70人も80人もお客さんが来てくれたの。嬉しかったよ。中国の本なんて、もう売れないと思っていたからね。いつかね、ぼくの本を必要とする人たちの元に届けば、これほどありがたいことはないよ」
その声は、電話越しでしたが、穏やかに聞こえました。
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