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突然、民宿の電話が…コレクターが「困り事」を解決!? 野沢温泉
ファンシー絵みやげを保護するためであれば、手段は選ばないッ……!

80~90年代に日本中の観光地で売られていた雑貨みやげ「ファンシー絵みやげ」を集める山下メロさん。時代の流れとともに消えていった「文化遺産」を、保護するために全国を飛び回っています。そんな旅は、交通費も抑えたいところ。今回は友人たちの「スノボ旅行」に便乗し、長野県の野沢温泉へ。お土産を調査するために、個人行動する山下さんですが……。
「ファンシー絵みやげ」とは?
私は、日本中を旅しています。自分さがしではありません。「ファンシー絵みやげ」さがしです。
「ファンシー絵みやげ」とは、1980年代から1990年代かけて日本中の観光地で売られていた子ども向け雑貨みやげの総称で、ローマ字日本語、二頭身デフォルメのイラストが特徴です。写真を見れば、実家や親戚の家にあったこのお土産にピンと来る人も多いのではないでしょうか。

バブル時代をピークに、バブル崩壊とともに段々と姿を消し、今では探してもなかなか見つからない絶滅危惧種となっています。
私は、その生存個体を保護するための「保護活動」を全国で行っているのです。
スキーウェアを着る、でもスキーはしない
ゲレンデがとけるほどこしいたい(実話) pic.twitter.com/L4ypVcNLW2
— 山下メロ(平成レトロ研究、ファンシー絵みやげ保護、令和レトロ) (@inchorin) January 30, 2016
私はファッションとして90年代のスキーウェアを着ることもありますが、実際にはスキーなど得意ではありません。学生の頃にスキー教室には参加しましたが、まず雪山は寒いし、装備も色々あって面倒で、あまり好きではないのです。
2010年、そんな私に、毎冬スノーボードに行く友人からお誘いが来ました。いわゆる「リア充」と呼ばれる、リアル(実社会での生活)が充実している友人たちです。
目的地は長野県の野沢温泉。温泉街とゲレンデが非常に近い距離にあり、人気のスポットです。

1980年代後半には映画『私をスキーに連れてって』の影響などもあって、多くの若者がゲレンデへ繰り出し、スキー場にはたくさんの土産店が軒を連ねるようになりました。そして若者たちがゲレンデで滑り終わったあとは、近くの温泉街に宿泊するケースが多かったのです。
どちらの土産店にも、若者をターゲットとしたファンシー絵みやげが売られていましたので、スキー場や温泉街には、ファンシー絵みやげが残っている可能性が高いのです。

私はファンシー絵みやげを保護するためであれば手段は選びません。観光地に行けるのであれば、スノーボードをするリア充集団の中にでも平気で参加し、何食わぬ顔でゲレンデには行かず、土産店を調査するのです。
みんなでゲレンデに繰り出してキャッキャウフフしたほうが楽しいに決まっているので、スノーボードをしない私に声がかかるなんてよっぽどでしょう。
レンタカー代やガソリン代、それからみんなで大部屋に泊まる宿泊などは人数が多いほど安くなります。
おそらく車の座席が余っていて「なら、もう1人呼びたい」でもスノボが好きな人が見つからず、そこで観光地に目的のある私に白羽の矢が立ったのでしょう。
もちろんそうやって便乗して安く観光地へ行けるのはこちらとしてもありがたく、いわゆる Win-Winの関係というわけです。
友人たちを送り出し、私は…
東京から車で移動し、野沢温泉村へ到着したのは深夜。時間も遅いのでその日は民宿にチェックインしてすぐに寝ました。

さっそく皆はウェアに着替えスノーボードを持ち、早朝からウキウキとゲレンデへと出かけていきました。
野沢温泉は無料で入れる外湯がいくつもあることが特徴で、夜になって温泉街をそぞろ歩きするのも楽しみのひとつです。そのため夜遅くまで営業する土産店も多く、まだ営業してないお店もありそうなので、私はひとり民宿に残りました。
何をするかというと、外に降る雪を眺めながら小説でも書こうと思ったのです。これは、単にスノボをしないので、雪山の宿に逗留(とうりゅう)する小説家の真似事をしたかっただけでした。
ボールペンのモデルはまさかの
それから夜、ご飯を食べるためにスノボ組と合流しました。このころはスマホもまだ普及しておらず、もっぱら携帯電話のメールでやりとりです。なんなら皆は一緒に行動しているのに、私ひとりと合流するのに大変な手間を取らせました。
なんとか広い温泉街の中で合流し、食事しましたが、皆は終始ゲレンデの思い出話です。
「あそこの〇〇が〇〇だったよね!」「あのとき〇〇ちゃん〇〇でウケた!」。私が話に入れないことに気づいて、途中で「おみやげ見つかった?」などと話をふってくれるのですが、やはりしばらくするとゲレンデの話に戻ります。

思い出がホットなうちに話したいでしょうから仕方ないです。むしろ私がいることで、気を遣わせてしまっているんじゃないかと申し訳なく思いました。
食事をしたあともまだお店は開いているので、みんなでぶらぶらと歩きながら土産店の調査もしました。私もまだファンシー絵みやげの保護活動を始めたばかりで、まったく情報発信もしていなかったので、友人たちに「これがファンシー絵みやげですよ」ということを知ってもらういい機会になりました。

そして、ファンシー絵みやげ以外にも面白いお土産に出会いました。野沢温泉には、源泉近くに熱いお湯が溜まる「麻釜(おがま)」という場所があり、地域の方が野菜を茹でるなど活用しています。

ここも観光名所なので皆で見に行きました。そして帰りに立ち寄った文房具店で、なんとその麻釜をモチーフにしたボールペンが売られていました。

それは麻釜で野沢菜を茹でるおばあさんの後ろ姿の写真がプリントされている、大変味わい深いボールペンです。
聞くと写真のモデルは、まさにその文房具店のレジに立っているおばあさんでした。自らモデルになって商品開発をするという気概に心を打たれた私は、ファンシー絵みやげではないけれど、ついボールペンを購入してしまいました。

そして翌朝、東京に戻る日なのでチェックアウトして民宿を出発しようとしたところ、なんと食堂に通されました。そこには、おにぎりと味噌汁が人数分。素泊まりのはずなのに……。
民宿の方が勘違いされたのでしょうか? いいえ、そうではないのです。ここで、時間を前日の午前中に巻き戻してみましょう。
前日、メロは民宿にいた
「私は雪深い信州の寒村の宿に逗留し、ただ窓の外にしんしんと沈んでいく雪を見ていた」などと書いたまま、ただ窓の外を眺めていました。すると突然部屋の中に電子音が鳴り響いたのです。
ピロピロピロリン♪
ピロピロピロリン♪
私は一瞬たじろぎました。部屋に置かれた電話が鳴ったのです。「なんだろうこんな時間に」と少々訝しがりながら受話器を上げました。

「リンゴ食べますか?」
「はい?」
「リンゴむいたのですが、食べますか?」
「はい」
電話を切ると、ほどなく部屋のドアが開いて、リンゴが運ばれてきました。
恐らく、”置いていかれた風”な私を不憫に思ってか、民宿の女将さんが気を遣ってくださったようです。スノボに行かない理由を聞くと「よけい傷つける可能性」があるからか、女将さんは「リンゴどうぞ」としか言わずに去っていきました。
私はリンゴをありがたくいただき、再び小説を書き始めたところ、また部屋の電話が鳴りました。

「コーヒー飲みますか?」
「はい?」
「コーヒー飲むなら淹れますよ」
「はい!」
コーヒーが運ばれてきました。
こんなに至れり尽くせりのサービスなかなかありません。
どれだけ同情されているのだろうと、多少恥ずかしい気持ちもありつつ優雅に食後のコーヒーを楽しんでいると、またも部屋の電話が鳴りました。
(なんだなんだ。今度は一体どんなサービスが来るんだ!?
酒か?マッサージか??)
そんなことを思いながら受話器を取りました。

「パソコン詳しいですか?」
「ええ、少しは……」
「ちょっと来てもらえませんか?」
「はい……?」
居間へ下りて行って話を聞くと、WiFi完備の宿なのに調子が悪いというお話でした。リンゴやコーヒーのご恩もあるし、ならば……と自分のノートPCを持ってきてWiFiルーターと接続して設定を修正。ついでにSSID(ルーターの名前)を分かりやすくしてパスワードも覚えやすいものに変更しました。
無事改善したので部屋に戻って、そろそろ温泉街にファンシー絵みやげを探しに行こうと準備を始めると、部屋の電話が鳴りました。
「あの……もしかしてホームページの修正ってできませんか?」
聞けば、すでにFAX番号を解約して電話番号と共用にしてあるのに、民宿のWebサイトにあるFAX番号が消せていないとのことです。
どうやら、私はWiFi問題を見事に改善したことで「パソコンが友達のオタク」から「パソコンに詳しい若者」に昇格したようです。
地方にもWebサイトやインターネット接続が行き届いている宿もありますが、その実、必要に迫られて設置したままで、困ったときに頼れる人がいないのかもしれません。
これでは簡単に修正できません。早く土産店に調査に行きたいので時間はないのですが、乗り掛かった舟ですからやるしかない。該当の画像ファイルをダウンロードして、ペイントソフトでFAX番号を消去して上書きアップロードという方法で更新しました。さらに、ついでに「TEL」の文字も消して、近いフォントで「TEL・FAX」に変更してあげました。

実は、私はかつてIT関連のサポートセンターで働いていたこともあり「これは〇〇ですね」「こういう場合は〇〇を〇〇します」といった具合に、作業の説明をしながら進めました。
しかし、女将さんにはその説明はいまいち伝わっていないようでした。途中で女将さんは仕事に戻り、私だけで作業していたこともあって作業の大変さなども伝わっていないのかもしれません。最終的に作業が終わってから女将さんに概要を報告しましたが、やはり反応が若干薄いようにも感じました。しかし、見返りを求めたいわけではないので、お役に立てればそれで良いのです。
これが翌日の朝食の理由 ハチミツのお土産を手に…
その翌朝、素泊まりのはずなのに全員におにぎりと味噌汁が出て、さらにはハチミツのお土産までもらったのは、ゲレンデでリア充たちがキャッキャウフフしている間に、宿のIT担当として労働した私の功績です(前日の女将さんの反応が薄かっただけに大変嬉しゅうございました)。

あまりのサービスに驚いているリア充たちに、昨日起こったことをドヤ顔で語ってやりました。自分だけ別行動がゆえに色々と気を遣わせて、迷惑をかけているかも……と肩身の狭い思いをしていたので、気分が晴れました。
自分にとっての保護活動は、観光地そのものの現在と向き合うことの連続です。土産店も宿泊施設も、インターネット時代への適応を迫られています。今回の民宿の女将さんも、まさにそうでした。
そんな状況において、自分が役に立てるというのはどれほど嬉しいことでしょうか。帰りの車の中で、いただいたハチミツを見ながら起こった出来事を思い出していました。瓶に映る自分の表情を見て気づいたのですが、何にも代えがたい充足感でいっぱいなことに気づきました。ひょっとして私もリア充していたのでは……。瓶の中のハチミツはゆっくりと波打っていました。
◇
山下メロさんが「ファンシー絵みやげ」を保護する旅はまだまだ続きます。withnewsでは原則週1回、山下さんのルポを紹介していきます。