連載
#17 現場から考える安保
首都直下地震に備える「日本最強」自衛隊病院 その能力「むちゃ高」
有事に備える自衛隊の医療機能の中核・自衛隊中央病院は、首都直下地震が起きたその時どう動くのか。先日にあった訓練を取材してきました。ある意味「日本最強」のこの病院の生かし方をめぐり、考えておくべきことは多そうです。(朝日新聞編集委員・藤田直央)
東京都心、世田谷区の住宅街に囲まれた陸上自衛隊の三宿(みしゅく)駐屯地に自衛隊中央病院はあります。隣には各地の部隊で救護や治療を担う衛生科隊員を育てる陸自衛生学校もあります。
訓練は5月25日午後、季節外れの猛暑のなか三宿駐屯地で実施。衛生学校や世田谷区医師会、都の基幹災害拠点病院で渋谷区にある都立広尾病院なども参加しました。
想定はこうです。
平日の日中に都心南部を震源とするマグニチュード7.3、最大震度7の直下型地震が発生。一般の人も訪れる通常診療をしていた自衛隊中央病院では、翌日にかけて震災の下でも活動を続ける態勢を整え、大量のけが人の受け入れを始める――。
自衛隊中央病院に大量のけが人受け入れが期待されるのは、日ごろ地域の医療を支える存在でもあるからです。自衛隊員と家族の診療や、自衛隊の医療技術の訓練の場として1956年に開院しましたが、93年から一般の人も利用できるようになり、2016年には東京都の二次救急医療機関に指定されています。
訓練は午後2時に開始。間もなく、大きな赤十字をつけた陸自の救急車が病院裏手の入り口に着きました。けが人を乗せた担架が運び出され、建物1階に入ってすぐの「救急・総合診療処置室」へ向かいました。
世田谷の自衛隊中央病院での首都直下地震対応訓練で、治療室へ運び込まれる負傷者。暑い中みなさんお疲れ様でした。 pic.twitter.com/i2IP7NSs6u
— 藤田直央 (@naotakafujita) 2019年5月25日
正面玄関を入った1階ロビーの方では、次々と訪れるけが人を治療の優先度で仕分けるトリアージをします。でも、治療の緊急度が高い重傷者が運ばれてくると事前にわかっている場合は、手術台もある救急室へこのように裏手から直行するわけです。
そのうち中央病院が手いっぱいになり、首都直下地震ですから周辺の病院も大わらわで、治療を待つ重傷者の命が危うくなってきます。その時に中央病院が果たす貴重な役割があります。都内の病院の屋上でCH47のような大型ヘリが唯一離発着できるというヘリポートを使う、首都圏外の病院への自衛隊による重傷者の空輸です。
9階の会議室をのぞくと大型のテレビ電話が設けられ、「航空搬送班」の陸上自衛官が、画面の向こうの都立広尾病院の職員とやり取りしていました。JR山手線を挟んで向かい合う形の広尾病院から中央病院へ救急車で搬送中の重傷者について、都の依頼で空輸するため、氏名や容体などを引き継いでいるのです。
世田谷の自衛隊中央病院での首都直下地震対応訓練。拠点となる都立広尾病院とテレビ会議で負傷者への対応を協議。 pic.twitter.com/f0e2xsdcMw
— 藤田直央 (@naotakafujita) 2019年5月25日
「航空搬送班」は、中央病院へ飛んでくる複数の陸自ヘリコプターの状況も確認しながら、どのヘリにどの重傷者を乗せ、どの病院へ運ぶかを調整します。それに沿って搬送が行われるわけです。
地上10階、高さ40mの中央病院屋上へ行くと、40m×27mのヘリポートが広がっていました。そこへ全長30m、幅18mの陸自ヘリ・CH47(チヌーク)が轟々たるプロペラ音とともに着陸。猛烈な熱風にあおられ、思わずよろめきました。
世田谷の自衛隊中央病院で、大地震による負傷者大量発生に対応する訓練がありました。動画をいくつか。まずは搬送のため屋上ヘリポートに到着する陸自ヘリCH47です。吹き飛ばされそうでした。 pic.twitter.com/vrEi5EjAcw
— 藤田直央 (@naotakafujita) 2019年5月25日
後部ハッチが開き、中央病院に支援にきた防衛医大病院のスタッフら10数人が降りるのと入れ替わりに、点滴を受ける重傷者を載せたストレッチャーが2台、それぞれに数人が付き添い、手早く運び込まれました。自衛隊最大のヘリであるチヌークといえど、こうした形で重傷者を運ぶのは一度に2、3人といったところです。
続き。世田谷の自衛隊中央病院での訓練で、屋上ヘリポートに到着した陸自ヘリCH47(チヌーク)に緊急搬送の負傷者が運び込まれます。 pic.twitter.com/AmTetkwo5Z
— 藤田直央 (@naotakafujita) 2019年5月25日
チヌークは群馬県の前橋赤十字病院まで約100kmを40分で運ぶ想定でヘリポートを出発。今回の訓練では陸自ヘリCH47とUH1の計4機を使い、実際の搬送先として、首都圏外では千葉県の国保旭中央病院(旭市)や日本医大千葉北総病院(印西市)が協力しました。
ここまで読んで疑問を持たれた方もいるかもしれません。震度7の首都直下地震が本当に起きたら、都心にある自衛隊中央病院自体が大丈夫なのかと。
「この病院はサバイバビリティーがむちゃくちゃ高い。日本有数です。だから震度7想定の訓練ができる」と中央病院の幹部は言います。サバイバビリティーとは軍事的には、攻撃を受けても任務遂行能力を保てる能力といった意味です。
中央病院は2009年の改築の際に免震工事を終えており、世田谷で震度5弱だった東日本大震災の最中も手術に支障がなかったほどです。自前の発電機用の燃料5日分、患者用給食5日分、上水道3日分、下水槽3~5日分を確保しています。
もともと自衛隊の組織として即応を重んじることもあり、医師110人、看護師300人を含む職員約900人のうち6割が2時間以内に出勤できるそうです。職員らはこの日の訓練で午前にそうした初動を確認した上で、午後のけが人受け入れに臨んでいました。
震災が起きた時の病院として、自衛隊中央病院は「日本最強」と言えるかもしれません。何しろ医師や看護師のほとんどは、隣の衛生学校で自衛官として戦場での応急処置も学ぶのですから。
ただ、首都直下地震への対応をより具体的に想像した時、同じ首都圏でも世田谷から少し離れたところに住む私はむしろ、中央病院には安易に頼れないな、と思いました。
それは、中央病院がしっかりしているからといって、首都直下地震の際にあれこれと頼られると、「最後の砦」として機能しなくなるかもと考えたからです。
今回の訓練は、重傷者の救命に治療が重い役割を果たす発災72時間までを想定し、「医療機関」として従来の入院患者をケアしつつ大量のけが人を受け入れるというものでした。
ただ、首都直下地震で中央病院が直面するのはそうした事態だけではないでしょう。集合住宅も多い都心で住む場を失い生活に困る被災者が、震災に強い中央病院のある三宿駐屯地という「公的施設」を頼って集まりそうです。
一方で中央病院には「自衛隊」ならではの地元にとどまらない医療支援も求められます。訓練にあった、都内の病院で唯一のヘリポートを生かした重傷者の空輸や、被災現場への衛生部隊の派遣などです。
しかもこれらに対応する中央病院の職員らも被災者です。看護師の3割には小中学生の子どもがいるそうです。今回の訓練ではその子どもたちも、首都直下地震の際に出勤する職員のため、病院の4階に臨時にできる預かり施設で過ごす形で参加していました。
分刻みの訓練が終わる午後4時に近づく頃、自衛隊の医官約1200人のトップでもある自衛隊中央病院の上部泰秀病院長が取材に応じ、こう語りました。
「首都直下地震が起きたら、何といってもまず職員自身と家族が大丈夫か、そして病院の機能は大丈夫かを確かめます。通院患者もいたらどう対応するかも考えないといけない」
「発災から72時間が重要です。速やかに地域の医療機関などと連携して大量のけが人を受け入れる態勢をつくる。人やものを官民一体でうまく調整することがこの訓練の難しさです」
首都直下地震の際にそんな難題に向き合うことになる中央病院に、上記の「自衛隊」ならではの医療支援を期待するなら、ほかの「公的施設」でもできる被災者支援にまで過大な期待を寄せない方がいいのではないでしょうか。
三宿駐屯地では首都直下地震が起きたら、基本的に外に頼らず、中央病院や衛生学校といった駐屯地内の組織で助け合って対応することになっているそうです。中央病院がその強靱さ故に都心の被災者の駆け込み寺になって、病院自体にかかる様々な負担を「トリアージ」できずに機能不全になっては、元も子もありません。
そうならないように住民や各団体が防災意識をより高める一方で、それでも震災がすさまじく都心でまともに機能する大病院が自衛隊中央病院などわずかしか残らないといった事態に備え、政府は首都直下地震の際の自衛隊中央病院への自衛隊内外からの支援について検討を進めるべきでしょう。
かく言う私が住むのは、集合住宅の多い千葉県浦安市の埋め立て地です。東日本大震災では液状化による地盤沈下でライフラインが寸断される一方、道路が傷んで支援や復旧が難航した経験から、住民の防災意識が高まりました。
実は、この訓練の最中にも地震が起きていました。世田谷は震度2で免震構造の中央病院にいた私は全く気づかず、家族からのLINEで浦安が震度4と知ってひやり。大事に至らず幸いでした。
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