5年後の今、私の体重は75kgほどです。体脂肪率は33%から18%へ。身長は175cmですから、標準的な体型になったと言えるでしょう。この数年はゆるやかに減量に成功し続け、健康管理への自信もついてきました。
しかし、ここで一つの疑問が浮かびます。なぜあんなに失敗ばかりしていたダイエットに、成功することができたのでしょうか。調べてみると、人が肥満から脱することを阻む「健康格差」の存在がわかりました。(朝日新聞デジタル編集部・朽木誠一郎)

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肥満者の行動を「経済学的に分析」すると…

その時期、私は新卒でITベンチャー企業に入社し、激務を経験していました。高い目標が課せられ、仕事の量も多い。必然的に長時間勤務になり、家に帰れず会社のソファーで寝る日も続く。夕食は深夜の2時、3時からで、その時間でも開いているラーメン屋に通い詰める毎日でした。
ここまで太ると、少し歩いただけで疲れてしまい、ましてや階段などもってのほか。喉が乾いて夜中に目が覚めたり、膝に痛みを感じたりすることもしばしばです。何より、大学時代は80kgほどで筋肉質だったので、そのセルフイメージと鏡に映る自分との乖離に辛い気分になることも多くありました。
「わかってるよ」はウソでなく、減量の必要性は自分が一番よくわかっていたのです。同時に「この生活をしていて、やせられるわけがない」とも。次第に「やせて」には「食べることはストレス解消だから止めないでほしい」「疲れているから運動をするよりも寝ていたい」と返すようになっていました。

中央大学名誉教授の古郡鞆子さん・同大経済学部准教授の松浦司さんの『肥満と生活・健康・仕事の格差』(日本評論社)では、肥満者について以下の傾向を紹介しています。なお、日本で肥満は体格指数(BMI)により判定され、体重(kg)÷身長(m)÷身長(m)が25以上になると肥満です。※太りやすさには体質も関わり、肥満を伴う遺伝病もあります。以下はあくまでも、たくさんの人を対象にした疫学研究からわかった「傾向」です。
“一連の研究では、肥満者には忍耐強さがなく、時間選好率が高い傾向があることが報告されている。時間選好率が高いということは、今日食べたり、飲んだりして得られる満足度を、将来健康であることの満足度より高く感じてしまうことを指す”
肥満を経験したことのある人ほど、ハッとするのではないでしょうか。肥満者は未来の利益よりも目先の利益を優先してしまう傾向があるということです。つまり、肥満者にいくら「このままでは病気になる」「将来健康である方が人生を楽しめる」と言っても、実効性に乏しい可能性があるのです。
「所得」の格差が「健康」の格差につながる理由

その背景にあるのが「健康格差」。性別や人種、地域や社会経済状況(所得・職業・学歴)によって健康状態や保健・医療にアクセスする状況が異なることを指す言葉です。健康は本人の年齢や体質、行動の影響を受けますが、このうち特に「行動」の選択は、本人の周囲の環境に左右されることが知られているのです。
社会経済状況のうち「所得」について、私の例で検討してみましょう。仕事のやりがいを大事にし、設立間もないベンチャーに未経験で飛び込んだこともあり、私の給料は同世代の水準を下回る、いわゆる「相対的貧困」の状態にありました。
ちなみに、衣食住に事欠き命が危ぶまれる絶対的貧困に対して、衣食住は足りているが周囲に比べて貧困で、社会で当たり前とされている行動や消費ができにくい「ゆとり」のない状態が、一般的には相対的貧困と定義されます。
ここで、新潟県立大学人間生活学部教授の村山伸子さんが代表の研究では、年収が低いと主食が炭水化物中心に偏ること、腹囲やBMI、血糖値、中性脂肪値が高くなることが明らかになっています。
では、なぜ年収が低いと健康に影響を与えるのでしょうか。厚生労働省の研究会で発表された以下の資料では、所得の格差が不適切な食事の量と質や喫煙、多量飲酒や運動不足などのリスク行動につながり、病気を罹患したり、死亡したりする一連の経路が説明されています。

では、そこからどうやって私が抜け出したのか。スマホに保存されたここ数年の写真を振り返ってみると、転職を契機に体重が減少していることがわかります。もちろんすぐにではなく、2社目、3社目と休みの取り方などを含む働く環境の変化を重ねるごとに、明らかにやせているのです。
身も蓋もないようですが、相対的貧困や社会心理的ストレスが改善されたことで、私に肥満をもたらしていた原因が解消されたと言えそうです。たしかに、40kgのダイエットのために私がやったことは、穀物より価格の高い魚や野菜を食べ、月謝を払ってプライベートジムに通うなど、総じてお金のかかることでした。
「努力する」だけでは変わらない現実、変えるには?
「人が不健康な状態になる理由のうち、例えば運動習慣についての研究結果では、本人の意図が関係するのは30%ほどと考えられています。残り70%は環境の要因。これには個人の力では対応しがたいので、健康格差対策は“みんなでやる”という意識が大事になります。健康に無関心な人々も無意識に健康になれるような社会環境の整備が必要です」
本人に自覚がなくても、いつの間にか健康になっている社会――理想的ですが、実現性は……。訝しむ私に、近藤さんは「ナッジ」という概念を説明してくれました。ナッジとは英語で「そっと後押しする」という意味の言葉。環境=ハード、生活のさまざまな場面におけるサービス=ソフトとして、ハードとソフト両面での支援をすることを指します。
例えば「距離は短いが歩道がなく危険なので車で移動せざるを得ない道」があるとして、そこに歩道を整備すれば「歩こう」というインセンティブ(動機づけ)になります。これがハード面でのナッジです。また、2016年頃から流行している『Pokemon GO』は、ゲームのプレイ要素の中に「歩行」「移動」を盛り込んだソフト面でのナッジ。このように、支援の形はさまざまにあり得ます。
「例えば、『ダイエットします』と宣言することで力を得るコミットメント効果という心理学的効果があります。また、ダイエットする様子を投稿して“いいね!”をもらうことをモチベーションにするうちに『どうすればより“いいね!”がもらえるかな』とさらに努力するようになるのは“ゲーミフィケーション(ゲーム化)”の一種で、ナッジとしても有効です」
健康格差対策には、健康に関心のない人、健康を重視できない人の行動を変える必要があります。「不健康な状態にある人が求めているのは、必ずしも健康になるためのサービスだけではありません。そのためには、対象となる人が求める価値とは何かを考え、それを提供する環境がなければいけないのです」と近藤さん。
所得や職業に左右されてしまう「本人の意図」の改善だけを求められても、ただでさえ目の前のことに囚われている過去の私のような人にとって、正直ダイエットは“無理ゲー“です。一方で、できるだけ自分の健康意識を向上させながらも、SNSなど無料で活用できる場を駆使してモチベーションを高めることは、今からでも実践できるはず。
転職により環境を改善することができた私ですが、たまたまInstagramでダイエットの様子を公開していなければ、今もまだ40kg分の重りを抱えて歩いていたかもしれません。
「今、生活にゆとりがあっても、いつ困窮するかがわからないのが人生でもあります。健康づくりは個人の責任だけではなく、例えばまち全体で進める方が効果が高いこともわかっていますから、みんなで取り組むべきことと受け止めてほしいですね」
もちろん、過去の私と同じような環境下でも健康な人もいるはず。人が不健康になる理由も多岐に渡ります。自分の経験から言えるのは、不健康への落とし穴は気づかないところに隠れているということ。あたりを見渡す余裕がある時に、できるだけその穴を埋めておき、万が一、誰かが落ちてしまったときのために、上がり方を伝えていきたいと思います。
【連載】医療記者の40kgダイエット
ベンチャー企業で激務を経験し、2015年には体重が115kgまで増加してしまった記者。転職などで環境が変化した5年後の2019年、合計40kgのダイエットに成功。以降は体重75kg前後をキープしています。この経験から、医療記者として「人はなぜ太るのか」「どうすればやせるのか」を取材する連載です。
体重115kgの私がダイエットに苦しみ、後に40kgの減量に成功した理由
115kgから40kgダイエット成功、コツは食事?運動? 医学的に考察
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