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石見銀山、ガイドが漏らした言葉… コレクターが見た観光地の盛衰
「ファンシー絵みやげ」を保護する旅。ガイドの男性がつぶやいた言葉とは……。
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「ファンシー絵みやげ」を保護する旅。ガイドの男性がつぶやいた言葉とは……。
80~90年代に日本中の観光地で売られていた雑貨みやげ「ファンシー絵みやげ」を集める山下メロさん。時代の流れとともに消えていった「文化遺産」を、保護するために全国を飛び回っています。今回訪れたのは、2007年に世界遺産に登録された、島根県大田市の石見銀山です。偶然出会ったガイドの男性の話から、観光地の盛衰を考えます。
私は、日本中を旅しています。自分さがしではありません。「ファンシー絵みやげ」さがしです。
「ファンシー絵みやげ」とは、1980年代から1990年代かけて日本中の観光地で売られていた子供向け雑貨みやげの総称で、ローマ字日本語、二頭身デフォルメのイラストが特徴です。写真を見れば、実家や親戚の家にあったこのお土産にピンと来る人も多いのではないでしょうか。
バブル時代をピークに、バブル崩壊とともに段々と姿を消し、今では探してもなかなか見つからない絶滅危惧種となっています。
私は、その生存個体を保護するための「保護活動」を全国で行っているのです。
さて、今回は島根県のお話です。出雲縁結び空港から出雲大社や日御碕神社、玉造温泉に宍道湖、松江城と2日かけ、各地の「ファンシー絵みやげ」の販売状況を調査。夜は松江に宿泊しました。翌日からは日本海側を大移動して山口県へ抜けようと考えていました。
というのも私は、現地でしか得られない観光地や移動手段の情報を集めながら、直前に具体的な旅の計画を立てます。おおまかな目的地は決めていますが、ホテルに戻ったあとに、集めた観光ガイドやネットを見ながら、その後の最良ルートを考えるのです。
そしてこの日も、松江のホテルについてから、とある観光地が気になり始めました。
翌日は山口県に隣接する、津和野を調査した後、萩に移動する予定でした。これだけでもかなりの移動時間がかかるので、さすがに時間がないと思いましたが、なんとか石見銀山に行けないかどうか模索しました。
とにかくこの作業に時間がかかります。地方のバス会社のWEBサイトは、あまり情報が掲載されていないこともしばしばあるからです。
どうしても行きたいので諦めきれない。しつこく調べていると、いつも通り、外が明るくなってきました。時間は4時ごろになっていました。
その甲斐あって、ついに見つかりました。石見銀山へ向かう駅で途中下車するとなると、特急を使えないため、めちゃくちゃ本数の少ない各駅停車に乗ります。その後もバスに乗り、帰りもピンポイントの各駅停車の列車に乗る必要がありますが、津和野へ移動してもしっかり保護活動の時間がとれるルートを見つけました。
こういった成功体験を多数重ねているので、私はぎりぎりまでトライしてしまいます。
土産店の閉店時間は早いところで15時や16時です。遅くとも15時半ごろには目的地の津和野に到着しないと、せっかく行っても調査ができません。
一方、土産店の開店時間は大体8時~10時あたりですので、あまり早く着きすぎてもいけません。石見銀山には8時~9時に到着して、開店待ちするくらいがちょうど良いのです。
朝を迎えつつありますが、2時間ほどは寝られそうでしたので、少し睡眠をとってから石見銀山へ移動することにしました。
仮眠をとり、改めて迎えた朝、早朝より山陰本線で大田市駅へ移動し、そこからバスで20分移動、石見銀山に到着しました。
唯一のルートは石見銀山で1時間だけしか滞在できません。すぐに帰りのバスに乗って、乗り継ぎの列車に乗らないと、土産店のあいてる時間に津和野へ行けないため、かなりの緊張感です。
寝不足の自分を奮い立たせつつ、さっそく歩き出したのですが、すぐに声をかけてくる男性がいました。
「私はワンコインガイドをやっています。500円でガイドしますけどどうですか?」
年齢は60代くらいでしょうか。釣りベストのようなものを着ていて、いかにも観光地にいるガイドさんといった風貌です。
「あ、いや、私は時間もなく、土産店しか見ないので大丈夫ですよ!次ゆっくり時間があるとき、是非お願いします!」
私も観光地で活動する身ですので、愛想よくお断りいたしました。すると、そのガイドさんは私の返答に興味を持ったようです。
「なんでそんなことしてるの?」
「どんなところへいったの?」
道すがら、ガイドさんから質問がきます。
普段は1人きりで観光地を走り回っているので、これも新鮮です。
旅は道連れ、といったところでしょうか。
石見銀山は、かつて銀を掘った歴史的な場所で、銀鉱の史跡とそこから続く宿場町のような古民家街があります。銀鉱で働く大勢の人たちが寝泊まりした場所が道沿いにたくさん並んでいて、そしてその建物が保存されているのです。
1軒、お土産店を教えてもらって行きましたが、ファンシー絵みやげはありません。
やはり和風雑貨やご当地ストラップなど、新しいお土産品が多く売られていました。
世界遺産という一時的なブーストは、いつか終わりを迎えるでしょう。しかし観光業に従事している人たちにとっては、死活問題です。このガイドの男性のように、訪れる人たちのためにどれだけ準備してきても、観光客が来ないと仕事になりません。
「ねえ、あなたはそんなに日本中の観光地を見てきたのだったら
この石見銀山をこれからどうしたらいいか教えてくれない?」
驚きの質問です。こんなことを聞かれるとは思ってもみませんでした。
「いや、私は単なるコレクターです。
しかも数十年も過去のものを、後ろ向きに集めてるだけ。
観光業じゃないし、今のトレンドはまったく追いかけてないん……」
そう言いかけた時、急に目の前の景色が変化しました。
(ああ、古民家が並んでいるのは馬籠宿や妻籠宿、奈良井宿など木曽路の宿場町と同じ、しかし観光地としての切り口が、どこか違う。見た目の類似点に目を奪われなければ、構造が近いのはどちらかというと岡山の倉敷美観区かもしれない……)
そうです。たくさんの観光地を見てきたので、その相違点が浮かび上がってくるのです。
「そう……ですね……あの、たとえば倉敷なんかだと、もうこのへんには1軒カフェがあると思いますね。この距離を休み処もなく歩かせるというのは、ないかな……と思いますね。せっかくこれだけの景観を有しているのに、これでは……」
なぜか口をついて出てくるワードたち。僭越ながら、ついアドバイスのようなことになってしまい、自分で自分に驚きました。
するとガイドの男性は、「なるほど、そういった視点はなかった。なかなか他の観光地を見にいく機会がないので参考になります」とおっしゃってくださいました。
観光アドバイザー的な視点では決して見てこなかったわけですが、人の波が絶えない観光地も、時代の波に乗りきれない観光地も、800カ所近く巡ってきました。そんな過程で、「観光地」としての開発のされ方の違いを感じ取るようになってきていました。これはハッとした瞬間でした。
無料で土産店を教えてくれたガイドさんに、何らかのヒントを与えられたのであれば何よりです。
しかしガイドさんと別れてバスに向かってダッシュしようかというとき、教わらなった土産店が!
◇
山下メロさんが「ファンシー絵みやげ」を保護する旅はまだまだ続きます。withnewsでは週1回、山下さんのルポを紹介していきます。
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