連載
懐かしのお土産探して岩手・釜石へ「あなたのような人、待っていた」
震災後、人が去りつつあるという「釜石大観音」の参道へ
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震災後、人が去りつつあるという「釜石大観音」の参道へ
80~90年代に日本中の観光地で売られていた雑貨みやげ「ファンシー絵みやげ」を集める山下メロさん。時代の流れとともに消えていった「文化遺産」を、保護するために全国を飛び回っています。向かったのは2016年、岩手県釜石市です。東日本大震災の影響もあり、住民が去りつつある地域では、情報収集も一苦労です。苦難を乗り越えながらも、そこで「待っていた」のは……。
私は、日本中を旅しています。自分さがしではありません。「ファンシー絵みやげ」さがしです。
「ファンシー絵みやげ」とは、1980年代から1990年代かけて日本中の観光地で売られていた子ども向け雑貨みやげの総称で、ローマ字日本語、二頭身デフォルメのイラストが特徴です。写真を見れば、実家や親戚の家にあったこのお土産にピンと来る人も多いのではないでしょうか。
バブル時代をピークに、バブル崩壊とともに段々と姿を消し、今では探してもなかなか見つからない絶滅危惧種となっています。
私は、その生存個体を保護するための「保護活動」を全国で行っているのです。
さて、今回は2016年の9月、東北へ行ったときの話です。岩手県の沿岸部にある釜石に、「釜石大観音」を中心とした観光地があります。ところが、震災後、参道の店がほとんど営業できていないという話を聞きました。
その参道で開いてるのは当時、とある中華料理店だけだという話だったのですが、そこでファンシー絵みやげが使われていると聞き、とりあえず現地へ向かってみることにしました。
釜石へ行く前に大槌町(岩手県)を通りましたが、まだまだ更地が広がっている状況で、商店も仮設店舗のままでした。このとき、すでにニュースでは時々しか伝えられることもなくなった被災地の現状を目の当たりにし、まだまだ完全復興は遠いことを思い知りました。
釜石大観音へ到着すると、参道のすべての店は閉まり、シャッター通りとなっていました。
頼みの中華料理店へ行くと、確かに聞いた話の通り、2階の窓にファンシー絵みやげならぬ、ヤンキー絵みやげののれんがかかっていました。「無敵」、「神風」と書かれており、旭日旗のような背景の暴走族フラッグです。
一瞬ぎょっとした人もいたかもしれませんが、80~90年代には、こういった表現のお土産がよく売られていました。修学旅行の生徒たち、特にヤンキー文化にあこがれを持つ子どもたちをターゲットにつくられたものです。
しかし入り口には衝撃的な貼り紙がありました。
なんと、ずっと1店舗だけ営業を続けてきたと聞くこの中華料理店も、残念ながら営業を終了してしまったというのです。ここで周辺の土産店の情報を得られると思っていたので、早くも最後の望みが消えてしまいました。
失意の私は、とりあえず釜石大観音の胎内巡りをすることにしました。中には、たくさんの観音像が並んでいます。展望台に出ると美しい海が一望できました。
釜石大観音の中にも売店はありましたが、ここには求めるようなものが売っている様子はありませんでした。
最後のチャンスだと思い、再び参道に戻りました。
この参道には数十軒店が並んでいますが、店の上が住居になっており、住んでいる人もいたようです。ただ、震災の影響で、家を離れた人も多かったと聞きます。
しかし東京から来た私。どうにも諦めきれないので、なんとか誰か現地の人に事情を聞いてみたい。住んでいる人に出会えないものか……。
とりあえず目の前の店のドアをノックしてみましたが無反応。さすがに全部の店のドアをノックするのは現実的ではなく、不審がられて通報されるリスクもある。通報されるということは周辺の方に不安を抱かせるわけなので、さすがにそれは保護活動の理念に反します。
仕方ないので諦めて帰ろうと商店街の入り口へ歩いていると、自動車とすれ違いました。振り返ると、最初に訪れた中華料理店の近くに停車し、降りた人影が店の方へ歩いていったのです。
これはなんとしてもこの人に話を聞きたい。
ファンシー絵みやげについては直接何も知らない人でも、誰か人づてに繋がって土産店の情報が得られるかもしれない。私は無我夢中でその人に向かって走りました。「すいませーーーーん!!」と呼びかける声もむなしく、その人は私に気づく前に店の中へ入ってしまいました。
しかし、神は私を見放していませんでした。
その人は店のドアを閉めておらず、店の中に向かって呼びかけるチャンスが残されたのです。
私は入り口へ駆け寄ったのですが、なんとそこには上から下までの長いレースののれんがかかっていました。まったく中の様子が分かりませんが、不躾にいきなりのれんを開けられませんので、さらに「すいませーーーーん!!」と店の中に声だけを投げ込んでいました。
すると次の瞬間です。中から「ワンワンワンワン!!!」と犬が吠える声が。
実をいうと、私は犬が苦手です。幼少期に追いかけられたこともあります。
もちろん犬種によっては平気な場合もあるのですが、のれんに遮られて、どんな犬種か分からないのです。恐ろしい形相の獰猛な犬かもしれません。何より大事なことは……
鎖で繋がれている or フリーダム
このどちらかで戦況は大きく異なります。犬との距離もつかめず、のれんに手をかけようものなら驚いて飛びかかってくるかもしれません。
私は恐怖にたじろぎました。
しかし。しかしです。
ここは東京からどれだけ離れているか。
しかも震災の影響で、いまも人がいなくなりつつある場所です。
次来たとき、話を誰かに聞けるとも限りません。
今しかないのです。
勇気を振り絞るしかありません。
とりあえず中の飼い主がなんとかしてくれることを願って、ほどよくのれんから離れたところから、店の中めがけて大声を出し続けるという方法を選びました。
いつ犬が飛び出してくるとも知れない恐怖。
何か変化があればすぐにサイドステップから踵を返してダッシュしないといけませんので、音だけでなく空気の動きや匂いにまで反応できるよう五感を研ぎ澄ます。
恐怖心との戦いは、つまり自分との戦いでもあるのです。
目的を達成しなければ終わらないので叫び続ける「すいませーーーん!!」
吠え続ける犬。
一体どれくらいの時間が流れたのだろうか。
終わりは突然やってきます。
「はいはーーーい!」
女性の声で均衡状態がやぶられました。
「コラッ吠えないの!」
なんと頼もしい声でしょうか。犬は吠えるのをやめました。
私はこの声をずっと待っていたのです。
そして女性がのれんの向こうから現れました。
単刀直入に「ここで営業している土産店はもうないのでしょうか」と尋ねました。
女性は「あら、それなら声かけてあげる」と、すぐに一緒に裏手に移動して、とある家のドアを叩きました。
ドアが開いて出てきた若い女性が「今から開けたげるから、店の前で待っとき」。そして閉まっていたシャッターが……一気にガラッと開きました。
なんという展開の早さでしょうか。
店内には「ファンシー絵みやげ」もありました。私は「KAMAISHI」の名前が入っているキーホルダーや巾着など、ここでしか売られていない商品の数々を保護。これらはおそらく釜石この参道でしか売られていないもので、他の場所では入手できないものでしょう。
お店の方から話を聞くと、震災前はもっともっとたくさんの店が営業していたそうです。
こちらのお店も親の代から引き継いだそうですが、他に仕事をなさっていてなかなか開けられないとのことでした。営業する日もあるようですが、はっきりとは決めていらっしゃらないそうです。
突然訪問して、わざわざお店を開けてもらったことを謝罪すると、
「むしろ買ってもらえて嬉しい
あなたのような人が来るのをずっと待っていた」
なんだか、これまでたくさんの苦労を重ねてきた保護活動が、報われたような気持ちになりました。多少迷惑かなということでも、勇気をもって踏み込めば、実はそれが相手が望んでることだった……そのようなケースは往々にしてあります。あきらめずに呼びかけ続けて、本当によかったなと思いました。
いまも「ファンシー絵みやげ」が残っている店は、跡継ぎがいない個人商店が多く、ご高齢の方がひとりで営業しているケースがほとんどです。自然災害の影響だけではなく、担い手がいないことで、文化が消滅していくことはあるのです。誰も悪くないので、これはもう買って保護していくしかないわけですね。
きょうも日本のどこかで、「ファンシー絵みやげ」たちが自分を待ってると信じるしかありません。まるで「いい日旅立ち」の歌詞のようですね。保護活動がつらいときは、思い出します。この先に、自分を待っている人、そして「ファンシー絵みやげ」がいると。
◇
山下メロさんが「ファンシー絵みやげ」を保護する旅はまだまだ続きます。withnewsでは週1回、山下さんのルポを紹介していきます。
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