連載
#2 平成炎上史
「平成炎上史」よみがえるイラク人質事件 いけにえ求めた自己責任論
平成という時代を振り返るとき、「炎上」という言葉とともに頻発するキーワードがある。その一つ「自己責任」が顕在化するのは2004年の「イラク日本人人質事件」だった。自殺者が最多の3万4427人に達した翌年、「失われた10年」の直後。「自己責任」という「生贄(いけにえ)」を求めたのは、他でもない不安定な立場に追いやられた若者たちでもあった。(評論家、著述家・真鍋厚)
昨年10月、フリージャーナリストの安田純平さんが、40か月にわたるシリアでの監禁生活から解放され、無事帰国した。
その後巻き起こったネット上でのバッシングはまだ記憶に新しい。「金儲けのために日本に迷惑をかけるな」「自作自演だろう」などと攻撃的なコメントが相次いだ。
批判的な意見の主なものをまとめると、「国の忠告を無視して危険地帯に赴いたのだから、国が助けに行く必要はないし殺されても仕方がない」である。
このような言説は、2004年の「イラク日本人人質事件」において、一部の政治家やマスコミなどの煽りを受けて急速に拡大した。
間を置かずして日本人のバックパッカーの青年が拉致され、斬首された事件では、ネット上で「自業自得」「勝手に死ね」などの投稿が後を絶たず、いわゆる「自己責任論」は「どこか突き放したような冷酷さ」を増していった。
これは歴史的な視点から見ると、とても興味深い現象だ。
筆者は以前、このような「自己責任論」の噴出について、「自己責任論」という見方自体が間違いで、「臣民的価値観の残存」が影響しているのではないかと推測した。
誤解のないように言い添えておくと、この場合の「ゾンビ」は、ホラー映画でお馴染みのキャラクターのことではなく、アンデッド(undead=死に切っていない)ということを表現している。
明治維新以後に根付いた国家観とは、「家長を頂点とする家族」であった。
当時は天皇がいわば「国民の父」。国家と国民の関係性を親と子のモデルで説明し、実際にもこの「親子モデル」で思考することを強いた。
すると、国家の指示に従わない者は、親の言うことを聞かない「親不孝者」になる。
つまり、ドラマのワンシーンに例えると、「父親の期待を裏切った放蕩息子の帰郷で、罵詈雑言を浴びせる親族一同と近隣住民」という構図の方が、「自己責任論」よりも「炎上」の実態を上手く言い表しているように思えるのだ。
これに関しては、福沢諭吉が『学問のすゝめ』で分かりやすく要約している。
為政者と民衆を「親子間の愛情」で結ばれたものと捉え、子が困ったときは親がしっかりと施しを行ない、子は親に服従することを理想とする。
続く文章において、福沢は、しかし「政府と人民」は「他人」に過ぎない、だから「規則約束」を作り、これに基づき国家を運営しなければならないと述べ、「親子モデル」の乗り越えを唱えている。
だが周知のとおり、明治政府は自らの正当性を「天皇の神格化」によって担保しようとするあまり、国民には(君主制のような)「親子モデル」を押し付けておいて、実際には(藩閥政治に基づく形式だけの君主制である)「他人モデル」を敷くダブルスタンダードを採った。
要するに、わたしたちの社会には、二つの世界大戦を経た後も、この権威主義の権化ともいえる「親子モデル」が残った。
そして、福沢の言葉を借りれば、わたしたちは、意識的にしろ無意識的にしろ「親(政府)の立場になって、子(人民)を叩くのだ」。
他方、歴史性を抜きにした最も明快な分析は、逸脱者に対する「寛容ゼロ」(ゼロトレランス)かもしれない。
いかなる理由であれルールを破った者は「厳罰」で構わないとする心性だ。
マサチューセッツ工科大学のメディアラボの研究チームによる思考実験の結果は、わたしたち日本人の傾向を少なからず言い当てている。
人工知能(AI)を搭載した自動運転車の事故が避けられない場合に、誰に「被害」が及ぶのであれば受け入れ可能か、という多様な人と人・人と動物の命の優先度を問うジレンマの問題である。
例えば、自動運転車のブレーキが利かない場合に、信号を無視して横断歩道を渡る若年者と、青信号で渡る高齢者のどちらに向かうかを選ばなければならない。
国別、地域別に大きな違いがあることが話題になったため目にした人も多いだろう。
日本では、交通法規を守らない者への優先度が低かった。
フィンランドや日本のような、「比較的治安の良い豊かな国」の回答者は、例えば交通規則を無視して道路を横断するような人は殺されてもいいと答える傾向が強かった。
前述の話につなげると、「臣民的メンタリティ」の基礎である「親子モデル」の「親」が、形骸化して「空位」になっている可能性が考えられる。
そのため、この「空位」に「ルールや規則」が入り込んでいるという仮説を立てることもできるだろう。国家レベルから文化レベルに至るまで「ルールや規則」は権威の源泉となり得るからだ。
しかもこれは、不安な主体が弱者を攻撃することで強者の権威と一体化しようとする「権威主義的パーソナリティ」(エーリッヒ・フロム)とも親和性がある。
ここでもやはり、「親子モデル」とまったく同様に、「ルールや規則の立場になって、逸脱者を叩くのだ」。
だが、見て見ぬふりをしようとしたのは、一部の当事者に当てはまることでもあった。
それは、「自己選択の余地が高まっても、特定のコースを歩まざるを得ない」状況を突き付けられ、「あらゆる社会の問題を個人の問題にすり替える世相」を次第に内面化してしまい、「自分以外の他人がどうなろうと知ったことではない」といった、「外界からの切断」「外部への無関心」を処世にした層に顕著だった。
「自己責任」を声高に叫ぶ時代の空気に気圧されて、バックパッカーの青年を揶揄(やゆ)する言動に連なることで、自分自身の境遇を冒涜していたのである。
もっと言えば、そこに「自己責任」という信仰に捧げられた生贄(いけにえ)の幻影を見ていたのだ。
わたしたちは、炎上の炎に身を焼かれることによって、自己滅却を図ろうとしていたのかもしれない。
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