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連載

#15 平成炎上史

バカッターを生みだした犯人 「注目は金」から逃れられない末路は?

セレブから子どもまで駆り立てる欲望

「ネットにものを書くことは、渋谷の交差点に掲げることと同じ」=ネット炎上に詳しい小木曽健氏が講演で使った資料から
「ネットにものを書くことは、渋谷の交差点に掲げることと同じ」=ネット炎上に詳しい小木曽健氏が講演で使った資料から

目次

「バカッター」というネットスラングがあります。馬鹿とTwitterを組み合わせた造語で、ソーシャルメディアにおける迷惑行為や違法行為に該当する投稿を通じて、図らずもネット炎上を招いたり、自らの存在を誇示するといった一種の売名行為の総称です。特にそのような投稿が多発した2013年(平成25年)には、その年の「ネット流行語大賞」の4位にランクインするほどでした。その後、「注目は金なり」という価値観はますます広がっています。果たして私たちは沈黙を取り戻すことができるのか。「バカッター」の行き着く先について考えます。(評論家、著述家・真鍋厚)

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岡田斗司夫が予言した「評価経済社会」

若者たちがコンビニに侵入し、アイスケース内に入った様子を、撮影するなどした事例がよく知られています。アルバイトが勤務先での悪ふざけをソーシャルメディア上にアップして、企業に多大な損害をもたらす「バイトテロ」の先駆けのようなものでもありました。

しかし、この現象はそれだけにとどまりません。線路内に下りて、その画像に「人身事故なう」と添えて投稿したり、小売店に対するクレームで店員を土下座させた姿を撮影し、「くそおもろかったわ」などと私的制裁を自慢げに披露する者も続々と現れました。

主な背景要因として、単なるネットリテラシーの低さや承認欲求の暴走などが挙げられることが常でしたが、恐らくこれらはさほど重要ではないディテールに過ぎません。

本質的な変化に目を向ければ、2000年代以降、「注目は金なり」とする新しい潮流がメインストリームに浮上し、2010年代のスマートフォンの一般化でそれはより加速度を増していったからです。

プロデューサーで評論家の岡田斗司夫は、2011年に予言的な本を著しました。『評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている』(ダイヤモンド社)です。

岡田は、これからの時代は誰もが情報発信者となり、その影響への評価が重視されると考えました。既存の貨幣経済社会では、貨幣を仲介して「モノ」「サービス」が交換されていましたが、「評価経済社会」では、評価を仲介して「モノ」「サービス」、さらには「カネ」すらも交換されるようになるのがポイントと述べました。

新しい社会の競争、それは「どれだけ有名になれるか」「どれだけ高評価を集められるのか」です。それはかつて、マスコミにしかできない仕事でした。しかし、今やその競争は私たちの手にゆだねられ、自由競争となりました。その「ツール」が電子ネット=デジタル革命なのです。
岡田斗司夫『評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている』
岡田斗司夫『評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている』(ダイヤモンド社)
 

「バズること」こそが至上の価値

バカッターの氾濫以前に、例えばニコニコ動画の生主(生放送主のこと。ユーザー生放送でライブ配信をしている者)は、そのようなメカニズムを見事に体現していました。

現在のユーチューバーのような広告収入こそありませんでしたが、有料チャンネルを開設できる人気の生主となれば、ユーザーから金品をもらったりすることが多く、それは食料品から仮想通貨まで多様でした(ちなみに、ユーザーから金品をもらうことは〝乞食〟と軽蔑されることもありました)。動画共有サービスにおける評価経済の黎明期といえるかもしれません。

評価経済の考え方は、もともとは1997年に社会学者のマイケル・ゴールドハーバーが提唱した「アテンション・エコノミー(関心経済)」という概念にまで遡ることができます。

わたしたちが様々なデバイスから受け取る情報量が膨大になる一方で、それらを視認できる処理能力は大して変わっていません。

そうなると、「どれだけ耳目を集められる」かが最も重大なポイントとなります。世界経済は、物質的な支配力に基づくものから人間の注意力に基づくものへと移行していくのです。いわばアテンション=注意・関心の争奪戦です。

そこでは、「耳目を集めることができた者」が勝者として君臨できます。そのため、集団や個人を問わず多くの人々が、アテンション・エコノミーに適応しようと奔走しているのです。

マスメディアもそのゲームを無視することは不可能で、むしろ喜んで参戦してしまう場合が大半です。PV(ページビュー)数、シェアといいね!による拡散力――「バズること」――こそが至上の価値を持ち得るからです。

Twitterを見れば一目瞭然でしょう。

自分より名のあるタレントや著名人に進んで絡んでいき、最終的には自分のファン=信者獲得に奔走するインフルエンサーが典型です。

エゴサーチするだけでは飽き足らず、特定の問題について語っている著名人に論争をふっかけるか、冷笑を浴びせて相手を怒らせます。そうすれば、炎上に乗じて自分の主張は拡散され、自分に好意を持つフォロワーが集まり、ファン=信者の結束はより強まるというわけです。

彼らの多くはもちろん支持するインフルエンサーに何らかの形で対価を支払います(動画であれば間接的に広告費、記事であれば直接購入するなどの方法で)。

これは、かつて生主界隈で横行していた注意を引き付けるための自作自演の炎上、警察沙汰といった行動様式の継承にほかなりません。迷惑系ユーチューバーと呼ばれる人々はまさにこのど真ん中に位置している正統な継承者といえます。

そのようなインフルエンサーは、往々にして敵と味方を分ける友敵図式を採用しています。手当たり次第に敵を認定し、敵との闘争に勝つためにフォロワー、つまり「皆さんの応援(時間と出費)」が必要だと鼓舞するのです。

怒りといった強烈な情動を刺激され、それを基盤にスクラムを組む部族化の享楽に慣れていない人ほど、瞬く間にその闘争に引き込まれていくことでしょう。

敵は世界政府のような陰謀めいたものもあれば、「サヨク」といった政治グループを指すこともあり様々です。究極的には思想云々よりも、闘争することの享楽に傾きがちなのが特徴です。

これこそがアテンション・エコノミーを意識した行動様式の行き着く先であり、アテンション・エコノミーへの過剰適応の成れの果てなのです。

スマートフォンを操作するトランプ大統領=2020年6月、ロイター
スマートフォンを操作するトランプ大統領=2020年6月、ロイター

沈黙が難しくなった世界

残念ながら普段の生活においてオンラインに依存していない、ソーシャルメディアをやっていないから関係ないと考えるのは早計です。

評価経済/アテンション・エコノミーへのシフトは高度情報社会の宿命だからです。これはすべての行為主体を巻き込む情報の軍拡競争なのです。

しかも、国家やグローバル企業から、ハリウッドセレブ、名もない小学生のユーチューバーまでを含む膨大な参加者によって構成されています。

このようなダイナミズムが支配的になっている社会に関わっている限り、誰もが多かれ少なかれその価値規範の影響をこうむり、不可逆的にほとんど無意識レベルで内面化していくのです。

メデイア論の泰斗であるマーシャル・マクルーハンは、いみじくも「私たちはツールを形作り、次にツールが私たちを形作る」と指摘しました。

それにならえば、アテンション・エコノミーを形作ったのはわたしたちですが、今度はアテンション・エコノミーがわたしたちを形作るのです。

これはまるで「見えない牢獄」のようなものです。触れられることができる壁がどこにもなく、何ら自由を拘束されていないにもかかわらず、あるシステムの回路に従って生きる実験動物に似ています。

とはいえ、特段不自由を感じることはさらさらなく、ナルシスティックな欲望に身を任せながら、アテンション(関心)の的になれる機会をうかがうのです。

しかし、それは面白くない現実生活からの脱出を夢見ながら、永遠に当たりそうもない宝くじの結果を待つようなものです。

「注目は金なり」の大合唱に抗うことが非常に困難になっていく世界で、わたしたちは何が本当に大切なものであるかを見極めねばなりません。

医師で批評家のマックス・ピカートは、「沈黙は人間の根本構造をなすものの一つ」であると言い、メデイアの発達によって沈黙と言葉のバランスが崩れ去り、喧騒で覆い尽くされた世界を憂いました。

「沈黙を失った人間は、沈黙とともに固有の一つの性格を失っただけではない。人間はそのために自己の構造全体において変質させられてしまったのである」と(以上、『沈黙の世界』佐野利勝訳、みすず書房)。

このような変質を自覚しつつ、守るべきもの、対処しなければならない事柄を明確にすることは、仮に専門家であっても至難の技でしょう。ありとあらゆるものが変質を免れないからです。

だからといって、なされるがままにすべてを静観するわけにもいきません。そんな抜き差しならない時代の坩堝(るつぼ)にわたしたちは立ち会っているのです。

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