連載
#9 平成B面史
捨てられない「MD」シールの文字も愛しい……80分を4倍モードで録音
1990年代半ばから2000年代初めに活躍したMD(ミニディスク)を覚えていますか? もう聴くことはないかもしれないと思いつつ、手元にディスクを残していませんか? そんなある日、ツイッターのタイムラインに「MDたちを捨てた」という投稿を見つけました。書き込んだのは「お前はまだグンマを知らない」の作者、漫画家井田ヒロトさんです。その数、50枚以上。井田さん、なんで捨てちゃったんですか? (朝日新聞記者・斉藤佑介=昭和57年・1982年生まれ)
――1月6日のつぶやきに衝撃を受けました。「MDたちを捨てた」。一体何があったんですか?
井田さん「自分でも、今までずっと廃棄を拒んできたMDを何であの時『捨てよう』と思い切れたのか、よく分からないのですが、今思うと巷の『平成最後』という雰囲気に押されたのかもしれません」
――MD、結局何枚捨てたんですか?
井田さん「収納していたケースの容量から考えると、およそ50~70枚です」
――かなりの枚数ですね。捨てたMDにはどんな音楽が入っていましたか?
井田さん「捨てたMDは全て音楽です。2000年代のポピュラーな曲ばかりなので、捨ててもまたネットから入手できると思って踏ん切りがつきました。『LOVE PSYCHEDELICO』とか『the brilliant green』とか『SOUL'd OUT』とかです」
――いま手元にあるMDは?
井田さん「残したMDは、およそ130枚ですね」
――何が録音されているんですか?
井田さん「すべて、伊集院光さんのラジオ番組で、TBSラジオの『日曜日の秘密基地』と『深夜の馬鹿力』です。伊集院さんのトークと、リスナーのレベルの高い投稿。そして時折絡むキャラの立った若手芸人さんたちと竹内香苗さんとのやり取りもステキでした。自分もたまに投稿していて、一度だけ採用されて番組ノベルティグッズである伊集院さんの遺影カードをもらいました」
――音楽は捨てられたけど、ラジオは捨てられなかった?
井田さん「このMDを作成していた頃は、何日も誰にも会わずにこのラジオ音源を友に生活していました。内容を細かくケースやシールに書き込んだり、CMを細かく編集したりして何回も何回も聴いていました。自分にとっては単なる音源ではなくて、MDがあの頃の思い出そのものなんですよね……。あと、ラジオ音源なので後から入手するのも難しいかなと」
――井田さんは17年前、漫画家としてデビューしました。駆け出しの頃は、漫画中心の生活で、孤独な日々を過ごしていたとか……。
井田さん「ラジオの録音をしていたのは2004~2009年頃までかな……。当時住んだのは、埼玉県川口市と、群馬県高崎市。もう結構いい大人だったんですけど、その頃、私は駆け出しの漫画家で、寝て食べて漫画描くだけの生活をしていました」
井田さん「遊びもせず、ほぼ誰にも会わず。食費は一日300円を目安にしていたので、食が充実しているわけでもなく。ネットもそんなにやらず。そんな中で、深夜ラジオってものすごく親密感を持ってしまう音源で、一日中音源を流していると、独りぼっちなのにまるで一日友達と楽しく過ごしていたかのような気持ちになれました」
井田さん「MDだけを娯楽に生きていたこの当時は、一週間に一度編集部に怒られに行って、それとアシスタントさんが唯一の人との接点みたいなもので、アシスタントさんが来ている時も基本無言でMD音源流しっぱなしでした。描いている漫画のことしか、考える余裕がない感じだったかなあ……」
――MDはいつも隣で励ましてくれるような存在でしたか?
井田さん「基本的には。ただ、たまにずっと1曲リピートを何時間もしていることがあって、もうそんなことしている段階で精神ヤバいんですが、そんな聴き方をしていた曲はもう聴けなくなりました。聴くとあの頃の精神状態が甦る気がして」
井田さん「励ましてくれる存在というより、もうあって当たり前な存在でした。ないと漫画が描けませんでした」
井田さん「ラジオ収録には80分のMDを使って4倍モードで録音していたので、1枚を5時間流しっぱなしに出来るんですよね。だから一枚一枚が内容が濃い。ラジオMDだけでも130枚あるというのに、1枚につき何度繰り返し聴いたか分かりませんね……」
――130枚、捨てられないですね。
井田さん「今もMDラジカセを所持しています。まだ現役で使っています。MDを使い始めたのは、99年か2000年頃です。今持っているラジカセは2008年製です」
――今も漫画制作中にMDを聞いているんですか?
井田さん「実はMDに収録したラジオ音源がおそらくほぼ全てyoutubeに落ちてるんですよ……。いつか削除されるかもしれませんが。なので、今はラジカセもCD再生専用になっちゃっています」
――それでも、やっぱり捨てられない?
井田さん「MDに入っているのは、自分が編集した厳選した音源なので、残す価値はあるかなとも思っていますし……でもさすがにラジカセが壊れたら考えますが。それとシールに書かれた当時の自分の文字も愛しいって言うか(笑)。そんな思い出のアルバム的な側面もきっとありますね」
――井田さんにとってのMDとは?
井田さん「MDって、ラジカセだけで全ての操作が完結する。そして『物』として存在する。MDをより良いものにしようと編集を重ねて、キレイな文字をケースに書こうと苦心して、すぐにはがれる背表紙のシールを何度も張り替え……そんなアナログな作業も、何だかその音源と共にMD自体に執着してしまう要因かもしれません」
井田さん「MDは、私にとって、どこまでも個人的な物としてある気がします。自分の自意識とか執着とか無様さとか……本当に個人的で、あまり人に話せないような感情が詰まっている気がしますね」
今年の正月、連載企画「#平成B面史」で、ポケベルやミクシィなど、平成を彩りつつもメインストリームから消えたアイテムの一つとして「MD(ミニディスク)」を振り返りました。
記事を配信後、「我が家にも大量のMDあった!」と懐かしむ反応や数百枚のコレクションを披露する写真がツイッター上に投稿されました。
井田さんがMDとともにあった駆け出し時代の苦労話を聞きながら、大学卒業後も3年ほど、フリーターでふらふらとしていた自分の記憶がよみがえってきました。親のすねをかじって、金もない、将来の見通しもない不安の日々。
お気に入りの曲や音を録音して、編集し、タイトルをケースに書き込んで、自分だけのプレイリストを作った青春。たとえ再生デッキがなくなっても、ぼくらのMDに記録された「あの時の風景」は、残り続けるのでしょう。
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