連載
#2 平成B面史
「MD」国産技術の結晶が消えた理由 青春のマイベスト再生してみた
近年、レコードやカセットテープといったアナログ音源のリバイバルブームが起きています。そのニュースに触れるたび、何かを忘れている気がしていました。1990年代半ばから2000年代初めに活躍したMD(ミニディスク)です。36歳になった僕も高校、大学時代にお世話になりました。平成3(1991)年に生まれたMDは、平成と共に消えていくのでしょうか。(朝日新聞記者・斉藤佑介=昭和57年・1982年生まれ)
高校生の頃、お小遣いに余裕のない僕が買うCDは、英国バンド「oasis」など一部に限られ、米国ロックや邦楽はCDをレンタルしてMDにとりためたものです。そういえば、実家に大量にあったはずのMD、どこにいったのか。この冬、九州の実家の母に部屋を探してもらいました。
「机の上に2枚あったよ! Dragon Ashのだよ」
そんなLINEが来て2日後、MDが手元に届きました。
がぜん聞きたくなります。でも、手元にMDデッキがない。インターネットで調べていたら、音響機器メーカー「TEAC(ティアック)」がMDデッキを今も作っている、という情報がありました。広報に電話し、事情を説明すると、「ぜひお越し下さい」と快諾を得ました。
東京都多摩市に本社があるティアックは、高品質の高級オーディオや録音機器のメーカーとして国内外で広く支持を集めています。
企画・販売促進課の加藤丈和課長(54)と、広報の寺井翔太さん(33)が話をしてくれました。なお寺井さんも青春時代をMDと共に過ごし、学生時代の自身のバンドやラジオのお気に入りを録音した「マイMD」を持参してくれました。
――MDデッキ、まだ作っているんですね。
加藤「1996(平成8)年から作っています。現行の『MD-70CD』は2015年に登場しました」
寺井「うちは録音機器『TASCAM(タスカム)』ブランドでもMDデッキを販売しています。タスカムは業務用でティアックは一般のコンシューマー(消費者)用。会社の説明をしますと、ティアックは創業が1953年。もともと磁気記憶テープに強い会社です。68年に世界で初めてステレオのカセットテープのデッキを作ったんですよ」
加藤「『メカトロニクス』が強いのです。フロッピーディスクの読み取り機、CDやDVDのディスクドライブにも強みがあって、MDも得意でした」
寺井「でも、MDデッキは今作っている機種で最後になるかもしれません。現状部品があるだけしか、生産できないんです」
加藤「MD デッキを作っている会社は、うちが最後でしょうね」
――MDデッキの需要がまだあるとは思いませんでした。
寺井「業務用としては、コンサートホールや冠婚葬祭会場で需要があるようです。『このMDでBGMをかけてほしい』というお客様の声を切り捨てられないようです。MDディスクそのものも、他のメーカーが売ってますね」
加藤「一般のコンシューマーは買い替え需要。手元に残ったたくさんのMDを捨てられない方が買い替えている。でも、『これから新たにMDを聞こう』という新規は少ないでしょうね」
MDシステムはソニーが開発し、1991(平成3)年に発表されました。翌年「ウォークマン」1号機の販売が始まります。直径64ミリとコンパクトで高音質、長時間録音・再生ができ、音飛びもしない。オーディオ各社が、携帯型プレーヤー、MD搭載のコンポを発売し、90年半ばに市場を席巻しました。
――2000年がMDのピークと言われ、多くの人がMDを卒業しました。
加藤「一言で言うと、iPodの登場ですよ(2001年11月発売開始)」
――「最高1千曲までのCD品質の音楽を保存することができる」とされていました。
寺井「僕は大学生の始めまでMDを使っていました。ラジオを録音したり、自分のジャズバンドの練習を録音したり。でもiPodはMDの何枚分を1台で録音・再生できてしまう。音質もMDより良い。MDから離れていきました」
加藤「MDが流行ったのは日本とヨーロッパだけなんですよ。ソニーが開発して、MDウォークマンが生まれ、コンポは一斉にMDコンポに切り替わった。国策だったんじゃないかな(笑)。携帯性に優れて耐熱性もあるので、カーステレオとしても使いやすかったですよね」
――レコードやカセットは生き残ったのに、MDが生き残れないのはなぜ。
加藤「カセットは音が悪い、アナログの最たるものです。ノイズも入るし、頭出しもできない。でもその音に優しさやノスタルジーがある。デジタル全盛の時代に不完全なものに愛着を見いだす人もいる気がします」
――でも10年後にMDブームが来るかも知れない!
加藤「その前にうちのMDデッキは製造・販売が終わっていますよ(笑)」
寺井「大げさに見ても2、3年持てばいい方ではないかという気がします」
――ティアックが作らなくても、その後、作る会社が出てくるのでは。
加藤「作れないと思いますよ。精密部品だし、メカトロニクスはノウハウがないと難しい。小さな部品が集まって剛性を保たないといけないので。MDという製品は、日本の音響技術だからこそ作れたところはある。ソニーのMDウォークマンも最後はケースサイズまで小型化した。日本の技術力の結晶だったと思います」
寺井「でもMD、捨てられないんですよね。バンドの思い出もありますし、あの時の練習の音って、もはや再現できないですからね」
最後に僕も持参した2枚のMDを再生してもらいました。1枚目はドラゴン・アッシュの「Buzz Songs」(1998年)。
「陽はまたのぼりくりかえす」が懐かしい。高校1年の思い出がフラッシュバックして、脳内でよみがえります。
宮崎の山あいの町から、自転車で川べりの土手を走り、50分かけて通学していました。この曲を聞きながら自転車で走っている姿が目に浮かび、「ふえええ」と変な声をあげてしまいました。
続いて米ロックバンド・ニルバーナのベスト版。へたな字でMDケースに曲名をつづっています。これも高校生の頃、イギリスのロックばかり聞く僕に親友が教えてくれ、大学生になってレンタルしてMDに録音したのでした。MDをデッキに入れて再生ボタンを押します。
カート・コバーンではありませんでした。表示されたのは「SAKURAドロップス」。宇多田ヒカルでした。中身は2002年にヒットしたJポップのプレイリストだったようです。
ちなみに続く曲は「アイーン体操」。
寺井さんが笑って言いました。
「ケース入れ間違えちゃうの、よくありましたよね」
そうそう、MDあるあるでしたね。
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