連載
#1 ここにも「スゴ腕」
「牌詰まり」見抜き、修理した雀卓4万台 波乱の業界渡り歩く職人
新しいプロリーグ「Mリーグ」が開幕し、話題が多い麻雀の世界。対局をする時に欠かせないのが、全自動麻雀卓です。麻雀牌を混ぜて積む、その構造を知り尽くし、会社を渡り歩きながら、修理し続けてきた技術者がいます。埼玉県川口市の麻雀用具販売・修理会社「ささき商事」の宮川秀一さん(66)。37年間で修理した数は延べ約4万台。雀卓業界のレジェンドは、今も現役で修理を続けています。(朝日新聞経済部記者・千葉卓朗)
卓上の緑色のマットが所々白くはげた全自動麻雀卓が、東京・新橋の雀荘からささき商事に送られてきた。1996年製の「センチュリー」。幾多の戦いの舞台となった卓上には、電源を入れても牌が現れない。宮川さんが、66センチ四方の卓の天板を開くと、中はホコリとたばこのヤニまみれ。100個以上の全パーツを点検し、再び商品として送り出す「オーバーホール」に取りかかった。
部品の取り外しは手作業。全部品の位置関係が頭に入っていて、手の運びに迷いがない。修理に使う道具は、長さ32センチのドライバーとT型の六角レンチの二つ。ホームセンターで普通に買うことができるものだ。これだけで、分解も組み立ても作業のほぼ全てをこなす。
牌の通り道を点検すると、ホコリがたまって「牌詰まり」の原因になっていた。部品は全て洗剤で水洗いし、バネやゴムなどの消耗部品や卓上マットは取り換え、元通りに組み上げる。再び電源を入れると、センチュリーは新品同様に動き出した。
全自動雀卓が登場したのは、全国で3万軒以上の雀荘が乱立した80年代前半ごろ。宮川さんは、その頃から業界に身を置く生き字引的存在だ。37年間で修理した全自動雀卓は延べ約4万台。今は、十数種類ある国内産全機種を修理できる「唯一の会社」(佐々木覚社長)の最年長社員として、現場を支える。
全自動雀卓は日本独自の製品として進化してきたが、雀荘がピークの4分の1ほどにまで減り、近年はメーカーの倒産や事業撤退が相次いだ。それでも今も約15万台が稼働中といわれ、ささき商事には年間約2千件の修理依頼が来る。高齢者を中心に「健康麻雀」が広まり、中古品を求める公民館や介護施設が増え、オーバーホールも多い。
全136枚の牌を2組使い、牌を混ぜて山積みにするのが基本機能。1局ごとに卓中央部が開口し、卓上の牌を全て落とすと、内部でセッティングされたもう一組の牌山が卓上に上昇。同時に卓内部ではターンテーブルが牌を混ぜ、山積みにし、次局に備える。
牌をエスカレーター式で運び上げる機種、ベルトで牌を分配する機種。山積みの仕組みは機種ごとに異なる。故障原因を見つけるため、機種ごとの特徴は全て覚え込んでいる。職人技も必須。例えば、牌をターンテーブルから山に導く「牌案内」という部品は幅が1ミリずれただけで牌詰まりを起こすため、手で幅を微調整する。「経験をもとに、感覚で合わせる」という。
高校卒業後、大手レコード会社に就職し、その後職を転々。29歳でこの業界に飛び込んだ。麻雀自体には興味がなく、プライベートでは全く打たないが、機械いじりが元々好きで全自動雀卓には興味があった。営業で雀荘を回るうち、全自動雀卓は故障が多いことに気づき、メーカーに出向いて構造を学び、営業先の雀卓を直すようになった。
その後に移った雀卓メーカーでも、営業と修理を兼務したが、60歳の時に会社が倒産。「この業界はもういい。足を洗う」と決め、工事現場の仕事に移った。すると、かつての営業先の雀荘から電話が来て、「腕がいいんだから、やめないで」と言われた。
「自分はまだ必要とされているんだ」と心が動いた。倒産した時に気に掛けてくれていた旧知の佐々木社長に連絡すると「あなたの技術がほしい」と言われ、業界に舞い戻った。「雀卓を直してきたおかげで、私は生き返ることができたんです」
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