連載
障害者だからって聖人君子じゃねぇぞ!たけしに絶賛された車いす芸人
生まれつき手足が未発達で、車いす生活を送る芸人のホーキング青山さん(45)。早口で毒舌を吐き、「聖人君子」的な障害者イメージを崩しまくる芸風が売りで、あのビートたけしさんからも絶賛されました。「世間の『障害者』への既成概念をひっくり返してやりたい」。確かな「しゃべり」の実力を武器に、青山さんが切り開こうとしている未来とは?(withnews編集部・神戸郁人)
――なぜ芸人になりたいと思ったのでしょうか
お笑いや落語を見るのが好きだったんです。10代の頃から、車いすで都内の小劇場に通っていました。毎回立ち見席にいたら、名物のようになってしまって。ある時、江頭2:50さんなどが所属する「大川興業」の大川豊総裁に「舞台に出ないか」と声をかけられました。
初ライブは94年6月、東京の銀座小劇場で開かれました。どんな芸人に対しても、お客さんって拍手をくれるじゃないですか。ところが、僕がステージに出た時、一つも起きなかったんです。「えっ、こういうやつを出しちゃっていいの」という空気を感じました。
――なかなかに耐えがたい雰囲気ですね……
そうそう(笑)。その時、とっさに「見せ物小屋へようこそ」って言ったんですよ。これで「笑って良いんだ」と思ってもらえて、ドカーンと会場が沸いた。自分の言葉で、真っ暗な客席から爆笑が起きるっていうのは、これまでに無い快感でしたね。
当時から「障害者=聖人君子」というイメージは強かったんです。だから、あえて逆をいくネタで攻めました。特別支援学校時代、車いすの座高の高さを活かしてカンニングした話や、障害者の性事情の話などを披露すると、とにかくウケた。
障害者が「清く正しく美しい存在」として語られがちだったことへの、違和感を表現するようにしていましたね。
――手足が動かず、日々の暮らしには介助者が必要かと思います
そうなんです。目の前にあるカバンをどかすことすら、一人では出来ません。かといってライブの時に、身の回りのことを、他の芸人やイベントスタッフに頼むわけにもいかない。だから、お手伝いしてくれる人を雇っていました。マイナスからのスタートですよ。
忘れられない出来事もあります。うちのライブの打ち上げで、別の車いす芸人が、介助者からネタのダメ出しをされたんです。マネジャーでもない立場の人で、「舞台に上がってから言え!」と思いました。人の手を借りると、どうしても主従関係が出来てしまうんですね。
――青山さんは生活上のハンデと、どう向き合っていらっしゃいますか
最初は家族に介護をお願いしていました。ただ、今はそこまででもないけれど、芸人は「飲みニケーション」も重要な仕事だから、深夜帰宅も多くて。仕事が増えると、生活はどんどん不規則になります。
そこで2009年に介護事業所を立ち上げ、僕自身も利用者として手助けしてもらうようにしました。マネジメントと異なる部分で、介護的な支えがないとどうにもならないのが、障害者芸人の一面です。そういう意味で、他の人とは平等じゃない。
だからといって、芸人としてそこを大目に見て欲しいとは絶対に思いません。勝負の世界ですから。
――それほど、お笑いに情熱を注げる原点とは何でしょうか
ビートたけしさんの存在ですね。世間の「常識」や各界の「大御所」を話術で切っていくのを、小学生の時に深夜ラジオで聞いて、とりこになりました。世の中を斜めから見る感じが、格好良かった。
01年に、テレビのバラエティー番組で、何と共演できたんです。司会を務めるたけしさんの前で緊張して何も話せなかったのに、なぜか2回目も呼ばれました。“芸人”という肩書きに「あいつがどれだけやれるか試してみるか」と思ってくれたのかもしれないですね。
次の収録で披露したのはネタでやっている話。他の出演者の人たちが大爆笑する中、たけしさんだけは「ネタじゃねぇか、馬鹿野郎!」とツッコんだ。「(ネタだと)見抜かれた、スゲェ!」。もう鳥肌ものでしたよ。
その後、一緒に飲ませて頂いたときに「お前のしゃべりは、俺に似ていて好きだ」と言ってくれました。
――憧れの人に、自分の芸風が評価された。達成感は大きかったでしょうね
「しゃべり」を評価していただけたのは財産です。大きな自信になりました。だからこそ「もっと面白く、上手くなりたい」という気持ちが強いですね。
――25年近く舞台に立つ中で、世間の障害者への見方が変わってきたと感じますか
少なくともお笑いにおいては、1ミリも変わっていないですね。障害者芸人は増えてきたけれど、やっていることや、笑いが起きる場面は、僕がデビューした頃と同じ。障害の内容が多様化しただけではないでしょうか。
――ある意味、障害者ネタが「テンプレ化」している?
そうですね。障害者ネタって、障害者自身がやれば必ずウケる「保険」みたいなところがあるんです。でもパターンは限られてくるし、周囲から「世間の障害者像を切る」ことばかり期待されるし。そうなると抜け出せなくなる。「呪縛」ですよね。
それが嫌だったので、僕は時事ネタ中心の漫談と、最近は落語にも挑戦するようになりました。ちなみに、落語をやる時は「古開院亭大麻(こかいんてい・たいま)」と名乗っています。たけしさんにつけてもらったんですが、ひどいネーミングですね(笑)。
――障害があろうが無かろうが、面白ければいいと
「面白さ」という健常者の芸人と同じ土俵で評価されることで、初めて「障害者」への既成概念も覆すことができると思うんです。
――青山さんのお話を伺っていると、破るべき「障害者のタブー」って何枚あるんだ、と思わされます
タブーは、恐らく一枚しかないんだと思っています。でもその一枚がなかなか破れない。破れたと思っても、まだくっついている。そんな状況がずっと続いているんじゃないかと思います。
結局のところ、障害者芸人が他の芸人やタレントと同じ舞台に立ち、勝負していけるようになるしかないと思っています。僕はもちろん、その先頭にいたいです。
障害者とは違うけれど、同じマイノリティとしてLGBTの方々がいます。その中から、テレビで活躍するトップ級タレントが現れている。たとえばマツコ・デラックスさんのような、シンボリックな人が障害者の中からも出てこないと。
徐々に活躍しつつある障害者芸人が、「頑張ろう」と思った時に、どんな支援が、どれくらい必要なのか。今は全然共有されていないから、当然システム化もされていない。これはすごく重要だと思いますね。自分もずいぶん苦労したので、役立てる事もあります。
そうした情報を広めるためにも、「障害者版マツコ」みたいな存在になって、風穴を開けたいです。僕のような人間が成功している世の中って、どんな風になっているんだろう?見てみたい。そう考えると、必要なのは「存在証明」ですね。
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