話題
「天皇陛下のインテグラ」に試乗 低グレードMT車に乗り続ける理由
天皇陛下が自ら運転する2代目ホンダ・インテグラ。なぜ陛下はこのクルマに乗り続けるのか? 平成最後の冬、程度極上の中古車に試乗して考えた。
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天皇陛下が自ら運転する2代目ホンダ・インテグラ。なぜ陛下はこのクルマに乗り続けるのか? 平成最後の冬、程度極上の中古車に試乗して考えた。
今月23日に85歳の誕生日を迎える天皇陛下が皇居内で自ら運転する、2代目ホンダ・インテグラ。その程度極上の個体が仙台の中古車店にあった。陛下の愛車と同じ5速マニュアルの4ドアハードトップ、しかも低グレードのフルノーマルという希少な一台。なぜ陛下はこのクルマに乗り続けるのか? 平成最後の冬に乗って考えた。(北林慎也)
ホンダの2代目インテグラは、ちょうど天皇陛下が即位した平成元年、1989年4月にデビューした。通称「カッコインテグラ」。テレビCMでマイケル・J・フォックスが口にするダジャレフレーズが、そのまま定着した。
当時のホンダの商品ラインナップの主軸だったアコードとシビックの間を埋めるべく投入された、北米市場を強く意識したコンパクトなスペシャリティーカー。ボディー形状は3ドアクーペと4ドアハードトップの2つで、それぞれ4気筒1600ccのエンジン3種類をそろえる。
なかでも注目されたのが、トップグレードのXSiに載る同社初の「VTEC」仕様だ。可変バルブタイミング・リフト機構、つまり、低回転と高回転でバルブの開閉タイミングとリフト量を油圧で切り替えられる、世界初の画期的な技術だった。
低回転での日常域の使い勝手を犠牲にしないまま、過給に頼らずリッターあたり100馬力を絞り出して8000回転までブン回せる、バイク屋の本領発揮といえるVTECエンジン。厳しい排ガス規制をクリアした低公害のCVCCエンジン(1972年)と並ぶ、ホンダの発明として知られる。
このVTECはのちに、歴代「タイプR」に代表される、ホンダのスポーツモデルの代名詞となる。
宮内庁が詳細を明らかにしていないため、どのグレードかについては諸説あるが、陛下のインテグラはVTECではないと考える。
朝日新聞デジタルの記事「(皇室トリビア)天皇陛下、週末に愛車のハンドル握る」(2013年9月30日配信)には、宮内庁担当記者の取材結果としてこう記されている。
「陛下の愛車は1991年式のインテグラ。色はグレーで、排気量は1600ccのマニュアル車だと聞きました。長年にわたって大切に乗り続けています。当時の価格で約120万円」
そのグレードを特定する大きな手がかりが、内閣官房と内閣府が運営する「政府インターネットテレビ」だ。
陛下の80年の歩みを振り返る、2013年12月23日公開の動画「天皇陛下 傘寿をお迎えになって」。この59分43秒の映像に、陛下の日常の一コマとしてインテグラが登場する。
素っ気ないグレーメタリックの4ドアハードトップ。白いハーフシートカバーが、持ち主の人柄を想起させる。チューンナップの形跡は見当たらない。助手席に皇后さまを、後部座席にSP2人を乗せて、陛下が自らステアリングを握る。その運転は極めてゆっくり、かつ慎重だ。
この数カットからでは、グレード名を示すトランクリッドのステッカーまでは読み取れない。だが、特定につながる外装の特徴が2つ確認できる。
低グレードの象徴である無塗装の黒いドアハンドルと、ホイールカバーが付かない剥き出しのスチールホイールの造形だ。
発売当時のカタログ(マイナーチェンジ前の前期型)によると、4ドアハードトップで黒いドアハンドルが付くのは、RXi、ZX、RXの下位3グレード。
また、ホイールのデザイン形状は当時の純正14インチのもの。そして、この14インチのスチールホイールをホイールカバー無しで履くのは、RXiの1グレードのみだ。
過去には自動車雑誌の電子版が、120万円という価格に近い、最下位グレードのRX(5速マニュアルの東京地区希望小売価格119.5万円)との見立てを記していたこともあった。
しかし筆者は、先に挙げた外装の特徴から、同130.5万円のRXiだと推測する。
RXとRXiの最大の違いは、エンジン内部の燃料供給方式だ。RXは、原始的な仕組みの昔ながらのキャブレター(気化器)。RXiには、より効率的な電子制御燃料噴射装置「PGM-FI」が付く。
だがいずれにせよ、陛下の愛車の詳細なグレードや仕様は、販売したディーラーと宮内庁関係者、そして陛下ご自身が知るのみだ。
ちなみに、ちょうどこの仕様とまったく同じインテグラのミニカーが、今年9月から売られている。老舗模型情報誌「ホビージャパン」が、車両のデジタルスキャンによる原型作りからこだわったレジン製1/43スケールモデル。
実車を忠実に再現したハーフシートカバーやスチールホイールといったマニアックなディテールが受け、税別9700円という高価格ながら売れ行きは上々だという。
このクルマの潜在的な人気がうかがえる。
そんな2代目インテグラのステアリングを握る陛下が見るのは、いったいどんな景色か。
それを探るために訪ねたのが、仙台市宮城野区の中古車店「AUTO HOUSE F&E」。左ハンドルのUSホンダ製アコードクーペや日産サニートラック、英国製V8ロードスターのMG-RV8など、国内外の通好みなクルマが並ぶ。
そんな中に入庫したてで並んでいたのが、陛下の愛車に限りなく近い仕様の2代目インテグラだった。1992年式の4ドアハードトップ、5速マニュアル。しかも、グレードは最下位のRXに次いで廉価な、ZXという希少な個体だ。
走行距離は大台間近の9.9万キロだが、整備が行き届いたフルノーマル車。店舗の雛鶴信浩代表(48)も「好きな人は好きな、極上の一台」と太鼓判を押す。
車両本体価格は48万円。探しているマニアにとってはバーゲンプライスかもしれない……と書きかけたところで案の定、さっそく買い手がついたとの連絡があった。購入したのは宮城県内在住の若い男性。納車されたら自らカスタマイズして、US仕様に仕立てるつもりだという。
幸運にも成約前に試乗できたダークブルーの実車。近づくとまず、車体の背の低さに目を見張る。同じホンダのプレリュードもそうだったが、この頃のスペシャリティーカーはどれも背が低くて、スマートで単純に格好いい。
これらのクルマは当時、若者が恋人とのドライブに好んだ「デートカー」の代名詞だった。しかし30年近くたって、いまやスペシャリティーカーというカテゴリー自体がほぼ消滅している。
「いざなぎ景気」を超える長さで景気拡大が続いているというが、デートのためにクルマを買う余裕のある若者は少ない。こののち、国産車はどんどん背が高く、そしてボテッとしていく。
ミニバンやSUV、軽ハイトワゴンのように、限られた車体寸法の中で最大限の室内空間を確保する車高の高いクルマが売れ筋になった。また、2004年に改正された国の歩行者頭部保護基準に沿って、衝突安全性のためにボンネットのデザインは次第にふくよかになっていく。
この天地方向にふくらむフロントマスクの鈍重さをごまかすためか、派手なグリルとつり目のヘッドライトで周囲を威嚇するような、いかつい顔つきのクルマが近頃は多い。
それにひきかえ、この「カッコインテグラ」はクールで、どことなく知的な印象。グリルレスに切れ長のヘッドライトが醸し出すのは、今どきのオラついたイケメンではなく、品の良いイケメンな顔つきだ。
一方、タイヤを見てみると、最近の立派なホイールを見慣れた目には貧弱に映る。
13インチのスチールホイールに地味なホイールカバーが付く、廉価グレードお約束の仕様だ。陛下の愛車の14インチよりも小さい。
しかし、国産スポーツカーの最高峰だった日産スカイラインGT-R(R32型)ですら標準車は16インチを履いていたのだから、当時はさほど見劣りしなかったのだろう。
エアバッグが付かないステアリングはセンター部分が丸みを帯びたデザインの4スポークで、この特徴からこの個体はマイナーチェンジを経た後期型だと分かる。
収納は少なく、ドリンクホルダーも見当たらないが、硬貨が何枚も入る大きなコインポケットが備わる。高速道路の料金所にETCレーンがない時代には必須だった。
そして、当時のバブル景気を強く感じさせるのが、快適装備の充実だ。
低グレードの小型車ながら、パワーステアリングやパワーウィンドー、エアコン、電動ミラーが付く。今では当たり前すぎて意識すらされない快適装備だが、昭和の終わり頃までは豪華仕様の代名詞で「フル装備」と言われていた。
ちょうどこの頃、大衆車にも普及が進む。現在、「フル装備」は死語に近い。
小ぶりでタイトなフロントシートは着座位置が低く、座ると地面が近く感じられる。
ただ、インテリアは明るくて開放的。当時のホンダ車に共通する低くて広々としたインパネと大きな窓ガラス、そして、まだ衝突安全性を十分に考慮していない細いAピラーのおかげで、見切りが良くて運転しやすい。
エンジンは1.6リッターSOHCのキャブレター仕様。ラインナップ中、いちばん“素”のエンジンだ。
ところがこれが、105馬力、最大トルク13.8キログラムという凡庸なスペックからは想像もつかないぐらい楽しい。
スロットルに直結する固いアクセルをアイドリングで煽ると、回転計の針がピョンと跳ねるレスポンスの良さ。2連キャブは乾いた吸気音を響かせ、コンパクトながら凝った造りのシングルカム16バルブが軽快に回る。
シフトのストロークが短めの5速マニュアルは、小気味良くカチッと入る。低い座面に腰を沈めて脚を前に投げ出し、意外と重たいクラッチペダルを蹴飛ばすように切ってシフトアップ/ダウンを繰り返すのは、ちょっとしたスポーツ感覚だ。
一方、車重は1トンちょいと軽量なだけにボディー剛性もそれなりで、ロードノイズはけっこう耳に入ってくる。キャブレター特有の揮発したガソリンの匂いも、室内にほのかに漂う。
ふだん平成末期の安楽なクルマに乗る身には、とっても刺激的。どノーマルの低グレード車とは思えないぐらい、痛快な乗り味だった。
2代目インテグラに乗って感じたのは、現代のクルマにはない、プリミティブでむき出しの走行感覚。
地面が近くて路面の状況がダイレクトに身体に伝わり、車外から入り込む風の匂いも含めて、運転を間違ったらすぐさま外界に放り出されそうなスリリングな感じ。
たとえるなら、厚くて硬い鉄板の囲いの中に座らされている感覚の現代のクルマに対して、薄い被膜をかぶって外界と対話しながら、自らの手足を駆使して操るような感覚がある。
それは、見るからに分厚くて頑丈そうな御料車のトヨタ・センチュリーロイヤルの後部座席では、おそらく味わえない感覚だろう。
もしかしたら陛下は、この得難くて懐かしい感覚を大切に思って、できるだけ長く味わい続けたかったのかもしれない。助手席に皇后さまを乗せて、穏やかにアクセルペダルを踏み込みながら。
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