連載
#101 #withyou ~きみとともに~
継母から虐待、学校でもいじめられ続けた作家 本の世界に救われた命
物心ついてから20歳過ぎまで、継母に虐待され、学校でもいじめられ続けた――。そんな暗い過去を公表し、希望を訴え続ける児童文学作家がいます。野間児童文芸賞などを受賞している村上しいこさん(48)。本の世界に居場所を見つけて救われた経験から、つらい思いをしている人たちに「時間はかかっても、必ず前に進める」と伝えようとしています。(聞き手=朝日新聞編集センター記者・小川尭洋)
私は、実の母親の顔が記憶にありません。おぼろげに覚えているのは、朝起きると母の姿が見えず、「ママがいない」と言って父を起こそうとしていたことだけです。そのまま母は戻らず、私は、児童養護施設のような所に預けられました。
数年後、父が一人の女性を連れ、私を引き取りに来ました。再婚していたのです。父は単身赴任で、継母、実子の姉との3人暮らしとなりました。
弟が生まれると、私は継母から疎まれ、ののしられ始めました。小学3年ごろから暴力が始まり、虐待がエスカレートしていきました。私は徐々に笑わなくなり、自分から声や感情を発することもなくなっていきました。
高学年になると、金づちや木の棒で全身くまなく殴られるようになりました。完全にマインドコントロール状態で、母に命令されると、冷蔵庫の上にある金づちを自ら取ってきて渡していました。
昨日よりも今日、1回でも殴られる回数を少なくしたいと思っていたのですが、どうすればいいのか分からず、言いなりになるしかなかったんですよね。
暴力が終わると、下着のまま外に放り出され……。食事は、ボウルに入った腐ったご飯だけ。ほかのきょうだいとの接し方には、歴然とした違いがありました。
いつもボロボロの服を着ていて、顔や腕は傷やあざだらけ。夏になると、血で赤く染まった汗を頭から流していました。小学校、中学校では同級生から気味悪がられ、「汚い、臭い」「見るな、触るな」といじめられました。先生の大半は見て見ぬふりで、加担する人すらいました。
そんな私の心のよりどころだったのが、学校の図書室でした。本を読む時間だけは、とっても幸せでした。物語に自分を投影し、その世界に入り込むことで、「ひとりぼっちじゃない」と思えたんです。
たとえば、両親がいない「赤毛のアン」や「アルプスの少女ハイジ」の主人公の境遇や心情は、私の幼少期に通じるものがありました。彼女たちは、大変な環境の中でも、希望を捨てずに、幸せになれる自分を想像することを教えてくれました。
色々な動物たちが手袋の中で一緒に生活する童話「てぶくろ」も大好きでした。家でも学校でも受け入れられなかった私には、どんなものでも拒まずに受け入れる世界はとても素敵に思えました。
中学2年の夏。継母に殴られている最中、あまりの痛さに耐えきれなくなり、叫びました。「そんなに憎いなら殺してくれ」。初めて反抗した私に、母は少し驚いたのか、ちょっと間がありました。
でも、すぐにふっと笑って、「お前は家の奴隷。だから殺しはせえへん。半殺しや」と言ったんですね。これをきっかけに、初めて「死」を現実的に考えるようになり、自ら命を絶つことも考えました。
でも、私はいま、こうして生きています。殴られても、ののしられても、死を思いとどまることができたのは、物語の世界に居場所があったお陰だと思っています。物語から、生きる素晴らしさや様々な世界を教わり、社会とわずかでもつながることができたのです。
生きると決めたからには、虐待され続けるよりも、必ず幸せになってやろう。そう決意しました。中学卒業後は進学させてもらえず、工場や飲食店で働きました。とは言っても、給料は継母に管理されていて、私の貯金はほぼありませんでした。20歳になれば自由に働けると考え、22歳のころ、旅館の仲居の求人を頼りに家を飛び出しました。採用面接の翌日から、住み込みで働き始めました。以来、継母とは連絡を取っていません。
驚いたのは人の温かさ。胃腸炎で倒れた時は、大勢の同僚が心配して病院までついてきてくれました。自分がいた世界だけを見て絶望しなくて良かったな、と思いましたね。その後、料亭に転職し、夫と出会いました。
30代になり、働きながら、物語を書き始めました。将来の自分の子どもに読み聞かせるような気持ちで少しずつ。中学卒業以降、勉強していなかったので、物書きの基礎がありません。
漢字は書けない、簡単なプロットも組み立てられない……。それでも、何度も書いて童話賞に応募しているうちに、いつくか賞を頂けるようになりました。
つらかった子ども時代に、楽しいお話に支えられた経験が、今の創作活動につながっています。
絵本の「かめきち」シリーズ(岩崎書店)は、行動力のある小学生の「かめきち」が困った友達を助けるなどして奮闘するお話。絵本や童話は、「自分がこういう幼少期だったら楽しかっただろうな」と想像しながら書いています。小さいころの私が救われたように、今しんどい思いをしている子どもたちが少しでも明るい気持ちになってほしいと願っています。
一方で、最近は中高生や大人向けの作品も書いています。「うたうとは小さないのちひろいあげ」(講談社、野間児童文芸賞受賞)など高校短歌部を舞台にした小説シリーズでは、過去のいじめや将来の進路などで悩む高校生たちが、自分なりに前に進もうとする姿を描きました。
今夏、初めて挑戦した一般文芸小説の「死にたい、ですか」(小学館)では、いじめ自殺した高校生の遺族の再生を描きました。私と同じように、誰もが「時間はかかっても、必ず前に進める」と、希望を持ってもらえたらうれしいです。
私は、本の世界に居場所を見つけ、飛び出した外の世界ですてきな人々と出会い、人生が変わりました。そうした経験を通じて子どもの幸せを考えてもらおうと、学校や図書館で親子などに向けて講演をしています。
講演で伝えているのは、「耐えきれなくなったら、自分の好きな世界に逃げたっていいんだよ」ということ。
今いる世界を全てだと思わずに、好きなこと、心地よいと思えることをよりどころにしてほしい。そして、自分の居場所を大事にしながら、現実世界で、勇気を出して助けを求めてみてください。手をさしのべてくれる人が現れたら、その手を放さないで一歩でも半歩でも踏み出してほしいと思います。
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むらかみ・しいこ 1969年、津市生まれ。三重県松阪市在住の児童文学作家。2003年に「かめきちのおまかせ自由研究」でデビューし、日本児童文学者協会新人賞を受賞。「れいぞうこのなつやすみ」で第17回ひろすけ童話賞を受賞。
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