連載
鳥山明さんに「漫画家になれますか?」「学校へ行けない僕」のその後
「あ、年上なんですか?」。それだけだった。
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「あ、年上なんですか?」。それだけだった。
作者の不登校経験を描いた漫画「学校へ行けない僕と9人の先生」(双葉社)。不登校の子どもの心の機微を丁寧に描いた作品に、「気持ちを代弁してくれた」と当事者などから反響が集まりました。作者の棚園正一さん(36)に話を聞くと、不登校だった小1から中3までの生活を「大変だとか、特別な体験と思っていませんでした」といいます。学校に行けず、「『フツウ』になりたい」と、焦っていた小・中学時代。そこから、定時制高校や予備校などに身を置くなかで、徐々に「フツウ」のハードルは下がってきました。「となりの芝はいつだって青い」ままだけど、背伸びはしない。そんな生き方を聞きました。
棚園さんは「学校へ行けない僕と9人の先生」の中で、学校に行けない生活やそこで出会った大人たちのこと、そして「ドラゴンボール」で大ファンになった漫画家・鳥山明さんに会ったことなど、中学生までの経験を中心に描いています。
毎朝迎えに来る担任の先生、家の窓からのぞく同級生の姿、遅れを取り戻そうとがむしゃらに勉強しても解けないテスト……。主人公の焦りや疎外感に、読んでいて胸がしめつけられます。
「不登校のときのこと、漫画にしてみたら?」制作のきっかけは、次回作の構想を練っていた2013年末頃。棚園さんの経験を知った、出版社の編集者の提案でした。
ところが、それを聞いた棚園さんは、全くピンときていなかったそうです。
「『不登校』って、特別な体験じゃないと思ってたんです」
ふわっとした表情で答える棚園さん。
「つらかったのはつらかったです。でも何一つ不幸だと思ってなかったから、自分の経験が誰の役に立つのかもわからなかった。それくらい、僕にとっては『不登校』が大したことのないものになっていました」
義務教育のほとんどの期間、学校に通っていなかった棚園さんが、そう思えたのはどうしてなのでしょうか。
子どもの頃から絵を描くのが好きだった棚園さんは、中学卒業後、アニメの専門学校に入学しました。そこでは教養、いわゆる「勉強」の授業がなく、「不登校だった、ということにコンプレックスを感じるタイミングがなかった」と話します。
その後、2週間だけ通った定時制高校でも「言葉は悪いですが、不登校だった自分より、勉強ができない人がいたんです」。授業を真面目に聞いてない人もいて、不登校の特別感や自己否定感が薄れたといいます。
「不登校は負い目じゃない」と、さらに実感するようになったのは、大検(現在の高等学校卒業程度認定試験)のために予備校に通っていた頃でした。
「僕のように不登校の子もいれば、海外で過ごしていた帰国子女の子、頭が良すぎて学校の勉強がつまらない、という子もいました。いろんな人がいて、僕の経験って、その中のひとつでしかないんだと」
大学に入学したのは20歳のとき。同級生は「あ、年上なんですか?」。それ以上、詮索されることもありません。
「大人になってみると、その程度のインパクトだったんです」という棚園さん。その頃には不登校の経験は「話のネタ」になり、友だちが笑ってくれて「ラッキー」だと感じるようになっていました。
大学を卒業した後は、漫画家になる夢を叶えるため、絵に関わる仕事をしながら、漫画を描き続けました。「不登校ということに引け目は感じてなかったけど、絵しかなかったのも事実」。焦燥感に駆られながらひりひりした20代を過ごしました。
編集者の提案から連載が始まり、2015年に「学校へ行けない僕と9人の先生」が単行本になると、たくさんの反響が寄せられました。「勇気をもらった」「気持ちを代弁してくれた」という当事者や、「子どもの気持ちがわかった」という不登校の親……。
当初、自分の描いた漫画がどう読まれるかイメージが湧かなかった棚園さんも、「初めて編集者の言っていた意味がわかった」と振り返ります。
「でも、僕の体験って一例でしかないんですよ」
本を出版してから、不登校の親などを対象にした講演を頼まれることが増えたそうです。熱心にメモをとりながら話を聞く人たちに、「悲観的にならずに、どうかあせらないでほしい」と伝えているそうです。
「僕の経験が、他の誰かの正解とは限らない。僕自身『どうすればいいだろう』と考えて、もがき続けて、定時制に行ったり、予備校に通ったりして、結果的にいろいろな人に出会えました。『これが転機』というのがわからないくらい小さな積み重ねだったし、不登校を『乗り越えた』という感覚もありません」
「それに」という棚園さん。「となりの芝はいつだって青いです」
「作中では『フツウにならなきゃ』って焦っていましたが、僕が思っていた『普通』って『結構うまくいっている人』のことをさしていた気がします。勉強もできて、スポーツもできて、みたいな」
「そんなあこがれは、今でもあんまり変わってないと思いますが……」と苦笑いしながらも、「満たされている人たちばかりじゃないんだってわかると、気持ちが楽になりました。『フツウ』は、そんなに上の方にあるものじゃないんです」。
「乗り越えた感覚」がないから、コンプレックスにも実感がない。むしろ話のネタになり、漫画のテーマにもでき、不登校を経験したことを「ラッキーだった」と語ります。「だからこそ、これからが大事なんです」
不登校をテーマとした漫画以外にも、いろいろな作品をを描いていきたいと意気込みます。ここから待っているのも、「フツウの漫画家の悩み」です。
大人たちに伝えたいこととして、棚園さんは「ひとりの子どもを『学校に行かない子』とカテゴライズしないで」と話します。
「当時つらかったのは、不登校であることをごまかしてクラスになじむつもりだったのに、周囲に逆に自覚させられることでした」
『学校へ行けない僕と9人の先生.Neo 』
— 棚園正一@マジスター〜見崎先生の病院訪問授業〜 (@tanazono) 2018年9月13日
●自身の実体験を元に不登校の少年の気持ちを漫画に描いています。
第5話 みんなからの手紙
手紙をもらうことで、嬉しい反面、"自分は不登校児なんだ"と、くっきり線を引かれた感じでした。#学校へ行けない僕と9人の先生Neo #不登校お手紙問題 #不登校 pic.twitter.com/QMHodajXvl
「僕は『学校に行った方が偉い』とも『学校に行かない方が個性的』とも思いません。鳥山明先生の言葉が、すべてだと思うんです」
たまたま、棚園さんの母親は鳥山さんと同級生でした。不登校支援に関わっていた大人たちがそれを知り、鳥山さんに会えないか交渉を重ねました。
作中では、棚園さんが中学生のころ、鳥山さんと対面を果たした様子も描かれています。中学生だった棚園さんが、鳥山さんに尋ねたのは「学校に行かなくても漫画家になれますか?」。それに対する鳥山さんの答えはこうでした。
「それくらいのこと。僕は学校に行かない経験を描けたし、学校に行ってたら部活の話を描けたかも。どっちもどっちだし、そうあるべき。じゃなきゃ、誰にとっても生きづらいですよ」
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棚園正一 (たなぞの・しょういち)
漫画家。1982年生まれ、愛知県出身。著書に自身の不登校経験を描いた「学校へ行けない僕と9人の先生」(双葉社)。現在、ビッグコミックスペリオール(小学館)にて、「病院訪問教育」をテーマとした「マジスター 〜見崎先生の病院訪問授業〜」を不定期で連載中。
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