連載
#13 現場から考える安保
戦車が銀座ど真ん中を行進・反対デモもあったけど…自衛隊観閲式は今
自衛隊が最高指揮官である首相を迎え、行進などを披露する観閲式が10月14日にありました。落下傘部隊や最新鋭の戦車、戦闘機が登場し、米軍も参加。埼玉県朝霞市の陸自朝霞訓練場に集まった観客約1万6千人をわかせました。自衛隊発足から64年、時代を映す観閲式を、かつては銀座のど真ん中を行進した様子などとあわせて紹介します。(朝日新聞専門記者・藤田直央)
まず、かつて銀座のど真ん中を戦車が走っていたというのは、左の写真のような感じです。右は今の同じ辺りです。
左の写真は自衛隊創立から4年になる1958年11月に撮影。明治神宮外苑での観閲式に続き、米軍から払い下げられた陸自のM24軽戦車チャーフィーが、数寄屋橋付近の外堀通りをパレードしました。
この年の政府の世論調査では、自衛隊の規模について「もっとしっかりしたものに」が29%、「今のままで」が45%。国民の理解は結構あったようです。
この動画(音楽隊の演奏は聞こえません…)にある今年の観閲式のように、朝霞で開かれるようになったのは1973年からです。都心での行進をやめたのは「交通事情などの関係」と防衛省は説明しています。
きょうの #自衛隊観閲式 @埼玉県朝霞市。安倍首相が力を込めた訓示など記事は追って。とりあえず動画です。 pic.twitter.com/Tkz0Dnjgen
— 藤田直央 (@naotakafujita) 2018年10月14日
この1970年代前半も政府の世論調査では自衛隊が「あった方がよい」が70%台という状況でしたが、まだ学生運動が目立つ頃でもありました。
これは73年10月の朝霞市役所近く。ヘルメット姿の学生たちがデモをし、通りに張られた「祝・自衛隊観閲式」の横断幕を旗竿でつつき、機動隊とにらみ合っています。
では、先日の朝霞の観閲式会場の周辺はというと…首相が来ることもあって物々しい警備でしたが、反対運動の人たちは見かけませんでした。目立ったのは「祝・自衛隊」「憲法改正を」と街宣車で訴える団体で、スピーカーの声が会場まで響いていました。
この日は日曜でした。会場には競争率8倍のチケット当選者ら自衛隊ファンが訪れ、陸自の車両展示スペースを歩くと家族連れやカップルの姿も。自衛隊が各地に擁するご当地キャラも現れ、楽しい休日といった雰囲気です。アナウンスとともに戦車が砲身を動かすと若者が群がり、熱心にスマホをかざしていました。
で、この日の本番の話です。
自衛隊の最高指揮官である首相を「観閲官」として迎え、「隊員の使命の自覚と士気の高揚を図るとともに、防衛力の主力を展示し国民の理解と信頼を深める」(防衛省)とされる観閲式。安倍晋三首相が車に乗り、整列した部隊を巡閲しました。
観閲式への首相出席にも歴史があります。
敗戦で日本軍はなくなりましたが、米国とソ連が対立する冷戦が東アジアで朝鮮戦争により本格化すると、米軍主導の占領下で日本の再軍備が始まります。この写真は1952年10月、陸上自衛隊の前身にあたる保安隊の観閲式です。明治神宮外苑で開かれ、保安隊を管理する保安庁の初代長官を兼ねた吉田茂首相が巡閲しました。先頭のオープンカーの座席左端にその姿があります。
これは1994年10月、朝霞での観閲式です。車上から巡閲しているのは村山富市首相。この年、自民党と連立政権を組んだ社会党の党首として首相となり、自衛隊を合憲と認めました。
安倍首相は巡閲を終えると、観閲台から訓示を述べました。
「今や国民の9割が敬意をもって自衛隊を認めています。60年を超える歩みの中で、自衛隊の存在はかつて厳しい目で見られた時もありました。それでも歯を食いしばり、ただひたすらに職務をまっとうしてきた。まさに、諸君自身の手で信頼を勝ち得たのであります」
そして、こう語りました。
「次は政治が役割をしっかり果たさねばならない。すべての自衛隊員が強い誇りをもって任務をまっとうできる環境を整える。これは今を生きる政治家の責任であります。私はその責任をしっかり果たしていく決意です」
この言葉に、憲法改正への執念を感じました。安倍首相の持論は戦争放棄・戦力不保持を掲げる9条に「自衛隊」を明記するというものです。
政府の世論調査では自衛隊は創立時から国民に広く理解されていたと言えますが、憲法改正まで必要なのか。各報道機関の世論調査では賛否が割れています。
舞台の主役は自衛隊員らに移ります。
まず、自衛隊唯一の落下傘部隊、陸自第1空挺団の隊員3人が高さ1200mを飛ぶヘリコプターから跳び出し、会場に次々と着地。拍手がわきました。
陸海空合同音楽隊の演奏に乗り、この観閲式のために編成された計約4千人の各部隊の行進が始まります。
「女性自衛官部隊」は陸海空の順に登場し、観閲台に近づくと首相に敬礼。航空自衛官のこの日の行進(上)と、朝日新聞に残っている「1977年10月、自衛隊観閲式に初めて参加」(下)の写真を並べると、こんな感じです。
次は航空機約40機による「観閲飛行」。陸自のヘリや海自の哨戒機などが続々と通り、最後は空自の戦闘機です。観閲式に初登場した最新鋭のF35が左旋回すると、ジェット音がとどろきました。
続いて、冒頭に触れた戦車など自衛隊の車両約260両が行進し、最後にゲストの在日米軍が登場しました。
米海兵隊で沖縄に司令部を置く第3遠征軍からの参加で、まず普天間飛行場から輸送機オスプレイ2機が飛来(上)。地上では水陸両用車AAV5両が行進し、その右を陸上自衛隊でこの春発足した水陸機動団のAAV5両が並走しました(下)。
他国の軍事パレード同様、自衛隊観閲式には能力を他国に誇示する狙いもあります。行進の締めで、沖縄を拠点とする米海兵隊と、水陸両用作戦の機能を持つに至った陸上自衛隊の連携を強調したのは、中国の海洋進出をけん制するものとも言えるでしょう。
こうして約2時間にわたる自衛隊観閲式は終わりましたが、最後にトリビアを一つ。
今年の観閲式は陸上自衛隊の仕切りでしたが、こうして朝霞で行われるのは3年に一度です。1996年からは、空自(航空観閲式)、海自(観艦式)と3自衛隊で持ち回りになっているのです。
それで、本当は2018年は海自、19年が陸自の番だったのですが、ひっくり返しました。というのは、陸自が観閲式で使う朝霞訓練場は、20年の東京五輪で射撃競技会場に予定されており、19年からその準備をしないといけないからです。
朝霞は1964年の東京五輪でも射撃の会場になりました。当時の準備の様子を伝える写真を紹介して終わります。
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