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不登校の子に届く「お手紙問題」に反響 2学期前に「迷う」機会を
お手紙「出さなければいい」では片付けたくない。どう向き合えばいいのか。
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お手紙「出さなければいい」では片付けたくない。どう向き合えばいいのか。
【あなたの経験を教えてください】
— withnews (@withnewsjp) 2018年8月9日
「学校においでよ」「待ってるよ」ーー不登校の子どもたちが複雑な心境を抱く、クラスメイトや部活のメンバーからのお手紙や寄せ書き。
あなたは不登校の生徒に向けた、お手紙や寄せ書きをもらったこと/書いたことがありますか?#不登校お手紙問題
――私自身、中学時代に不登校でお手紙をもらったことがあり、このテーマについて取材しようと思ったんです。ただ、ここまで広がりがある事象だと思っていませんでした。中にはこのお手紙を「文化」と表現する人もいました。小熊さんはどう感じましたか。
「今回の反響については、正直驚きました。私あてに直接連絡をくれた方もいました。不登校新聞に携わって12年が経ちますが、実はその前から、このテーマについて耳にしたことがありました。今回寄せられた声を拝見していても、ここ最近急に始まったものではないことは確かだと思います」
「不登校に関する調査が始まったのは1966年、ビートルズが来日した年です。以降、累計300万人以上の子どもが不登校とされてきました。今回はその一部ということになります」
「それでも世代を越えて寄せられた声を見るに、不登校対応における一つの方法として、長く続いてきたように思います。その意味で『文化』と呼べると私も思います」
――今回「手紙」にフォーカスしていましたが、現実にはさまざまな方法がありました。「手紙はないけど、LINEならある」とか、「カセットテープにメッセージが入っていた」というケースもありました。
「カセットテープには時代を感じましたね。私が驚いたのは『年賀状』というケースです。返事を書くのが年賀状のマナーですから、もらった以上は無視できません。LINEの『既読』にも通じると思うんですが、『見ないで捨てる』というようにやり過ごせないのは、非常にプレッシャーですよね」
――手紙を破って捨てた、燃やした、という反応もありました。手紙は一方通行。受け取っても感情をぶつけられず、自分の中で飲み込んでいることに胸が痛みました。
「そうですね。クラス内でいじめがあった場合、そこから届く手紙は『学校に行けなくなった原因』からのメッセージということでもあります。これに対する恐怖、怒り、違和感といったつらさは計り知れないと思います」
「うがった見方をしてしまえば、『学校来てね』という手紙が新たないじめのツールにもなりえるわけです。書いた本人はそこまで考えていなくても、受け取る側がそう感じてしまうかもしれません。この点だけを見ても、安易にクラス単位で動くのはリスクであるように思います」
「記事にもありましたが、受け取った子どもは文面だけではなく、『これはホームルームの時間に、みんなで時間をつくって書いてくれたのかな』という背景を感じ取ります。ありがたさ、申し訳なさ、嫌悪感、悲しみ……さまざまな感情を引き起こすのです」
――お手紙を書くのであれば、どんなことがヒントになるでしょうか。
「お手紙の場合、『私たち』や『みんな』というように、主語が複数になりがちだと思うんです。『待っているよ』という述語にかかる主語が『私』か、はたまた『みんな』か。それによって、受け取る側が感じるプレッシャーは大きく変わります」
「個人的には『私は今これにハマっています』『僕はこれが好きです』というように、自分を主語にして伝えるほうが良いと思っています。いわゆる『アイメッセージ』ですね。『書きたい子だけ書く』という手法もありかなって思います」
――「アイメッセージ」にもその役割があると思いますが、不登校の子どもを特別視しないことで、本人の気持ちがやわらぐ場合もありますよね。
「私も取材していて、『普通になりたい』という言葉はよく聞きます。たぶんその『普通』には、いろんな意味が入っているとは思うんですが。やっぱり腫れ物扱いされるのはつらいし、『されたらどうしよう』っていうドキドキの中にいるんですよね」
「あるツイートで、『学校に来なよ』と手紙に書いてあるから行ってみたら、『なんで来たの?』と言われた、というのがありました。あ然としましたね。この方はたぶん、もらった手紙を信じて、勇気を振り絞って登校したと思うんです。にもかかわらず、みんなが普通に接してくれなかった」
「それにより『私はみんなと同じじゃない、やっぱり普通じゃないからだ』と考えてしまったかもしれない。これでは、子どもは二重、三重に傷ついてしまいます」
――先生たちが不登校の子どもを普通視して、その温度感を生徒たちに伝えるのは、とても難しいことだと思います。
「難しいですね。その子が不登校である理由を、生徒たちにどう説明してるかにもよりますし、先生たちも迷いながら指導されてると思うんです」
――確かに、元教師と思われる方から「待っているだけだと管理職から指導していないとみなされるから、手紙の指導をしていた」という意見もありました。
「『今はそっとしておく時期だから、何もしない』という『指導』があってもいいと思うんです。何かすることを積み重ねていく<足し算>ばかりが『指導』ではない、と」
「『管理職が〜』という声には、子どもと上司のあいだで板挟みになっている先生の苦悩も感じます。だからこそ、この問題で安易に先生を非難すべきではないと私は思います」
「国も少しずつ変わってきていて、文部科学省は不登校の対応を『学校復帰のみにこだわらない』とする方針を示しました。ただ、現場が実感できるレベルまで広がっていくには時間がかかると思います」
――先生が感じている違和感や迷いも、考えていく必要がありそうです。
「本当にそうですね。『手紙』もあくまで現象だけで、『なぜ出しているか』『なぜ手紙をもらうときついのか』という段階で、考えるべきところがいっぱいあるんですよね。善悪の問題でも、単に『出さなければいい』で解決する問題でもないんです」
――個別のケースによっても異なるもので、正解はないですよね。
「ないと思います。不登校した時期やきっかけも人それぞれですし、今回のお手紙も、もらって嫌だったという人もいれば、嬉しかったという人もいる。であれば、先生から見て『これがいい』という一つの正解に寄って立つのではなく、『その子にとって今何が必要か』という視点に立つことが大切なのだと私は思います」
「もっと言えば、『その指導によって、安心するのは誰か』ということをいつも意識するだけでも、必然的に悩むと思うんです。そこをスタートにして、この問題を一緒に考えていけたらと思っています」
――もうすぐ、2学期が始まります。学校行事も多い時期です。
「合唱コンクールや文化祭、クラスみんなで一致団結する場面が多く、お手紙を書くかどうか議論になるクラスもあるかもしれません。そういった機会に、一度立ち止まって考えてみませんか」
筆者自身、中1の後半から中学卒業まで、学校に通っていませんでした。そのとき、クラスメイトから受け取った「つらいよね、わかるよ」という手紙。「気にかけてくれた」という驚きがあった一方、「かわいそう」と思われているのでは、という悔しさやみじめさは、今でも忘れられません。
不登校を経験した人たちにとって、「#不登校お手紙問題」は思い出すのがつらい内容だったかもしれません。それでも、多くの声が集まりました。
ツイッターに集まった投稿を読んでも思うのは、「手紙を贈った人は、誰かを傷つけたい訳ではない」ということです。だからこそ、「○○ちゃんのためにしている」というラッピングがあることで、先生、書く生徒、親が「迷う」タイミングをなくしてしまっているのでは、と感じています。
「ほっとけばいい」と片付けず、「これまでの取り組みはなんだったんだろう」とも思わないために、この記事が「迷う」機会になれば、と願います。
わかりやすい答えは出せない「お手紙」問題。これからも考え続けていきたいと思っています。
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