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田んぼでアイシング・炭酸もOK 公立の星・白山、番記者が見た素顔
初の甲子園出場を果たした白山の選手たちは個性派揃い。自然体で大舞台に挑んだ彼らの素顔に迫った。
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初の甲子園出場を果たした白山の選手たちは個性派揃い。自然体で大舞台に挑んだ彼らの素顔に迫った。
大阪桐蔭の2度目の春夏連覇で幕を閉じた第100回全国高校野球選手権記念大会。公立高校の金足農(秋田)の準優勝が大きな話題を集めましたが、大会前半に全国の熱視線を集めた公立は、三重代表の白山でした。一昨年まで三重大会で10年連続初戦敗退していた無名の学校が、甲子園に駆け上がったサクセスストーリーはファンの心を動かしました。番記者として密着して見えてきたのは、初の甲子園にも物おじしない、「今どき」の高校生の姿でした。(朝日新聞津総局記者・甲斐江里子)
白山の選手は、私がイメージしていた「野球強豪校」とは少し違いました。出場56チーム中、平均身長は下から3番目、体重は一番下。三重大会はノーシードから頂点に立ち、東拓司監督(40)ですら「なんで100回大会で白山みたいな公立が選ばれたんだろうなあ」と話していました。
三重大会決勝翌日、あいさつと取材を兼ねて選手一人ひとりに話を聞きました。一番最初に聞いたのはチームの元気印パルマ・ハーヴィー選手(2年)でした。笑顔がすてきなパルマ選手を見ていて気になったことが一つ。帽子のつばの折り目が鋭角過ぎます。「普通ですよ」とパルマ選手。確かに、他の選手の帽子も折れています。記者の調べでは、堀涼選手(3年)が一番急角度でした。つばが折れている方が「かっこいい」そうです。
甲子園入りしてからの練習には私も同行。ある日、あばらに痛みがあり、練習を見学していた市川京太郎選手(3年)に「俺の写真、かっこよく撮って下さい」と頼まれました。練習に出ていないのに……。
紅白戦だったこの日、バット引きをする市川選手を激写。すると他の選手からも「俺の写真はないんですか」と反応が。この日以来、「今日もかっこよく俺を撮って下さい」というリクエストが絶えませんでした。東監督は「『自分を見て!』という子が多い」と言います。
普段はおちゃらけたところもありますが、練習中は真剣そのもの。甲子園に向けてバットやボールを新調し、気分も上々。打撃練習では、特大本塁打を連発していました。
選手が水分補給のためにベンチに戻って取り出したのは、なんとオレンジジュースや炭酸飲料。ごくごく飲みます。球児に炭酸飲料はご法度というイメージがあったのですが……。東監督に聞きました。「自分が高校の時にすごく飲みたかったから」と言いながらも、「でも練習中に炭酸飲料とかよく飲めますよね」と笑っていました。
選手や東監督、川本牧子部長(40)が脚光を浴びましたが、20~30代のコーチ陣4人も忘れてはいけません。東監督は20代のころ、教員採用試験に受からず、講師として働いていました。「野球を教えたいのに、正教員ではないから監督にも部長にもなれない」という悔しい思いをしました。同じようなもどかしさを抱えた教え子や後輩らを、学校に紹介しました。
コーチ陣のうち、唯一東監督の教え子でも後輩でもないのが池山桂太教諭(29)です。池山教諭は3年前の97回大会でも津商を部長として甲子園初出場に導き、「幸運を持っている」とささやかれていました。甲子園にも同行。選手が寝静まってから、黙々と筋トレや走り込みに余念がありませんでした。
白山には使えるピッチングマシンがなく、コーチ陣は、打撃投手としても活躍します。特に試合前の練習では、マウンドよりも近い位置から投げて、選手は速球に目を慣らしました。
驚きの光景もありました。甲子園入り前、白山のグラウンドで投球を終えたコーチ陣が周辺にある田んぼに向かいました。用水路に腕や肩を入れ、「あー気持ちいい」とつぶやくコーチたち。これは一体? 池山教諭に聞くと「アイシングをしています。アイスを作るのももったいないし、ここならひじだけでなく腕全体も冷やせます」。
抽選会のあった2日に甲子園入りした白山は、兵庫県のホテルに計10泊という長期滞在になりました。
選手たちの笑顔は、宿舎でも絶えません。はやっていたのは、会話を通じて互いの正体を見破る「人狼」というゲーム。しかし神野真志選手(3年)は「口が下手だから見ているだけ」とのこと。他にも大盛りのカップ焼きそばの早食い対決をしたり、彼女と長電話をしたり、男子高校生らしい過ごし方をしていました。ちなみに、白山一の早食いは伊藤尚選手(3年)とのこと。
そして大会7日目第4試合で迎えた愛工大名電戦。多くの選手が甲子園入り前から「あのライトの中でプレーするのがかっこいい」と希望した通り、ナイター試合になりました。
他の野球強豪校の入試に落ちて白山に来た選手も多くいます。遊撃手の栗山翔伍選手(3年)もその一人。愛工大名電戦では、守備で美技を連発しました。「いつも以上の力を出せた」。全国からの声援が白山の力になりました。
試合は0―10で敗れましたが、選手の輝きに球場全体が拍手に包まれました。「日本一の下克上」という言葉で脚光を浴びた辻宏樹主将(3年)は最後の打者になりました。終わった瞬間は「もう一回、この場所に戻って試合がしたい」と思ったそうです。
高校球児としては、その夢はかないません。でも、勉強でも「学年1位」という主将は大会中、みんなが素振りをしていたホテルの地下駐車場で、将来は商業科の教員になり、野球部の指導者になりたいという夢を明かしてくれました。「100回大会に出たあの白山の元主将ってことで伝説の監督になれますかね」
「今どきの高校生」が甲子園で見せた素顔。一躍時の人になった彼らの夏は終わりましたが、その輝きは、私の心に深く刻まれました。
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