連載
「そんなかんたんじゃない」 不登校の子、日記で本音伝えた
学校の友だちに気を遣い、本音を言えない窮屈さを抱えている子どもがいます。放課後にもう1度、友だちと会って遊ぶのが疲れるという子も。でも本音をため込んでいると、しんどさは募るばかり。いつか無理が来てしまうかもしれません。そんな中、自由に作文を書き、それをクラス全員で読み、感想を言い合う「生活綴方(つづりかた)」が注目されています。他人の評価を気にしがちな時代。本音を引き出せる「生活綴方」について研究してきた神戸大大学院准教授の川地亜弥子さん(43)に、文を書き、読み合うことの意味を聞きました。(奈良総局記者・宮崎亮)
【気持ちを表現する方法について様々な人に話を聞く、連載「表現しよう」。18日まで全6回でお届けします】
――いまの子たちの置かれた状況をどう思いますか。
「いまの子は何考えてるかわからない」とか言われますが、多くの子たちはとっても優しく、人の気持ちがよくわかる子たちです。
でも、だからこそ自分の本音が言いにくい。こんなこと言ったら良い風に受け止められないんじゃないかとか、気まずくなるんじゃないかと思ってしまう。
その背景には、洗濯機や電子レンジが広まり、子どもが担っていた家庭での手伝いや農業など、労働の世界がなくなったことがあると思います。労働の世界では、自分のやったことをじかに自分で確認して、こんなふうにできたとか次はこうしようとか考える。
学校や勉強とは違う世界で、自分なりに実感を持って生きられた。今は学校でうまく生きられないとしんどい時代です。
「ほめられたい」ということに意識が向きがちで、他人の評価をすごく気にするようになる。
もう一つ、1980年代以降、学校で「関心、意欲、態度」が評価される制度になったことも影響しているかもしれません。
学校の中では息苦しく、外でも手ごたえを感じにくいのではないでしょうか。
色んな保護者や先生から話を聞くと、友達と本音で話すような関係が薄れてきているようです。
下校後にもう一度友達と遊びに行く子が減っている。習い事が忙しいとか遊ぶ場所がないとかいう事情が何もなくても、「放課後まで友達に気をつかっているのが疲れるから嫌だ。家でゆっくりしたい」という子が多いと。
――「気遣い」とは。
私は月1回くらい、作文教育に取り組む先生たちの研究会に参加させてもらっているんですが、そこで子どもの作文や日記をたくさん読ませてもらいます。家族にも気をつかっている子どもたちもいます。
例えば自分が長男で小さい弟や妹がいるという時に、お兄ちゃんだけど親に甘えたい気持ちってあると思うんです。でもその気持ちはちょっとしか書かれていない。それ以外は両親への感謝や、両親は弟や妹の世話で忙しいということを僕はよくわかっているよ、と書いたりする。
研究会に来る先生は、作文を通じて子どもを理解することを続けているので、甘えたいと思っている気持ちがわかる。でもそうでない先生は「この子はお父さんお母さんのことをよく見て、えらいな」と読んでしまうかもしれない。
4月ごろにそういう気遣いをしながら書いていた子たちが、夏休み明け、徐々に自分の気持ちを書いてくるようになったりします。
京都の小学校の先生だった小松伸二さんが出版し、私が解説を書かせてもらった「学級の困難と向き合う」(かもがわ出版)の中に、6年生のカノンちゃんという女の子が出てきます。
カノンちゃんは不登校ですが、学校に日記を届けたりしています。最初は誰が読んでも楽しめるような内容ばかり書いているのですが、ちょっとずつ、1人で家で過ごす時間のことを書くようになります。
しばらくして、彼女が一人で学校に来たのですが、その後、クラスの子が「カノンちゃんが教室に来て、みんながすごい盛り上がった。楽しい1日だった」という作文を書くんです。
その後、彼女は日記を書きました。
みんなが自分のことを歓迎してくれてるって思えたからこそ、書けた本音だと思います。もしまだ彼女が気遣いの世界に生きてたら、「これからも頑張って来るね」って書いていたんじゃないでしょうか。みんなが学校に来られない自分を責めるのでなく、「楽しいからおいでよ」って言ってくれる中で初めて、「そんなにかんたんじゃない」という気持ちを見つめられると思うんですね。
文章がうまい下手とかじゃなくて、自分が丁寧に表現したことが受け止められていく、共感的に読まれていく中で、普通だったら書きにくいことも書けるようになってくんやなあと思います。
――書きたくない子はどうしたらいいでしょうか。
表現したくない時には表現しなくていいと思います。
周りの人に言いたいのは、表現したくないということも一つの表現なので、「何も言ってこないからこの子は大丈夫なんや」と言うふうに、考えるのはちょっと危険だなと思います。
書きたくない子は、書きたくなるような経験、心が動くような経験をすることも大事なのですが、まずは何を書いても大丈夫、と思えることが大事です。
――先生とか親は、子どもが書きたいと思った時を見逃さないことも大事?
作文の先生は、作文を書く時間を取れなくても、題とかテーマだけを書いてもらうとか、その子がその日に面白いって思ったことをちゃんと覚えておけるような方法を実践している。
子どもたちはその場で書けなくても、後で書ける。書くのは面倒、という子には、しっかり話を聞いてあげてほしいですね。
そうして表現していくうちに、子どもたちが「今どうしてこうなったんだろう」「なんでなんだろう」とかいうことを非常によく見るようになります。日々忙しいんだけど、生活が流れてしまわないで、そこで深く考えるようになります。
――小学生に限らず、中高生やもっと上の人にも書くことを勧めたいですか?
ぜひ書いていったらいいなあと思いますね。
自分が本当に信頼できる人がいればその人を思い浮かべて、その人に話すように書くといいですね。
もしいなければ、是非そういう人に出会って欲しい。
出会っていない時にはそれは簡単ではないように思うんですけど、きちんと話を聞いてくれる人はいます。図書館の司書さんにも、いい人がいっぱいますし、学校の先生、学童の先生もそうですし、家族にもいると思います。困ったことがあれば思い切って相談すればいいし、難しければいっぺん書いてみて、それを持っていってみるっていうのも一つの手です。
――先生も19歳の息子さんがいるそうですが、10代の人にメッセージを。
一番伝えたいのは、自分らしく生きていいんだって言うことですよね。
好きなことがあれば一緒懸命やったらいい。
「好きなこと」って、先生とかちょっと偉い人に言われると何か、勉強とかスポーツとか「誰が見ても価値があること」という風に聞こえたりする。その中で好きなことを見つけなさい、というように。
でもそうじゃなくて、例えば「こんなの集めてどうすんの」って大人から言われそうな、収集癖のある子、こだわりのある子がいますけど、とことんやったらいい。
昔だったら漫画とかアニメとかに夢中になるのは恥ずかしいって言われていましたが、今は文化として確立している。自分が面白いと思う感覚を大事にして、これこんなに面白いんだよっていうのを誰かに伝えてもらえるといいなっています。伝えたら、それ面白いねって言う人、必ずいると思います。
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