感動
「英語より重要」中国語ブームのカンボジア 両親の期待、9歳児に
「カンボジアのチャイナタウン」と呼ばれる同国南西部の小さな観光地で、空前の中国語ブームが起きています。9歳の男の子、ジョム・ジャンリー君も勉強をする一人。お母さんは幼少期に両親を失って孤児となり、小学校も卒業できぬまま、働かざるをえませんでした。だからこそ、息子にはしっかり勉強してほしい。厳しい家計の中から授業料を捻出して、息子を応援しています。(朝日新聞広州支局長・益満雄一郎)
私がジャンリー君と出会ったのは、カンボジア南西部シアヌークビルの中国語学校でした。学校の机はガタガタ。すきま風が入る粗末な建物でしたが、夕方になると、子どもや大人たちで満員になります。
シアヌークビルはもともと旧宗主国フランスを始め、欧米人の観光地でした。
大型船が接岸できるカンボジア唯一の深海港をもつ国際貿易の適地でもあるため、中国が近年、その重要性に着目。中国からの投資が相次ぎ、工場やカジノ、ホテルがたくさん建設されています。
私が街を歩いていると、子どもたちから「ニーハオ」と声をかけられました。スーパーの店員も簡単な中国語を使って接客します。街は「酒店(ホテル)」や「餐庁(レストラン)」、「超市(スーパー)」など中国語の看板だらけ。
ここは中国なのか。私は一瞬、そんな錯覚にとらわれました。
ジャンリー君が中国語を学び始めたのは今年1月から。週に5回、「初級中国語コース」に通っています。「中国語の勉強は面白いね」。笑顔がこぼれます。
最も小柄なジャンリー君は教室の最前列が指定席。取材に訪れた2月のある日、十二支を暗記するため、ほかの生徒と一緒に「猿」や「牛」などの中国語の単語を大きな声を出して読んでいました。
ジャンリー君の自宅を訪ねました。学校から徒歩5分ほど。中国人が暮らす大きな邸宅の敷地の隅に、両親と妹の計4人で住み込んで生活しています。屋根はありますが、壁はなく、風や雨が吹きさらし。ベッドの上が、家族の唯一の生活空間です。
トイレや風呂は中国人の許可を得て、室内に入り、使わせてもらっています。
実はジャンリー君の両親は昨年夏、失業しました。それまで共に同じアパレル工場で働いていましたが、中国企業がカジノを建てることになり、工場が閉鎖されたためです。その後、家の掃除や門の開け閉めをする今の仕事をみつけました。
月給は夫婦2人で250ドル(約2万8千円)。2人合わせても、シアヌークビルの一般的な1人分の給与水準の約半分しかありません。
ジャンリー君が中国語を学ぶことになったのは、「中国語が話せれば就職に有利」と両親が考えたからです。
母親のオン・ジャンロドナーさん(29)は2年間しか小学校に通えませんでした。父がエイズで亡くなり、アルコール中毒症だった母も前後して病死。兄2人とは生き別れとなり、自身は孤児になりました。他人の家の軒先で暮らしながら、廃品の中から再利用できる物を抜き出して換金する仕事をして、生き抜いてきました。
ジャンリー君の中国語教室の授業料は毎月9ドル。両親からみれば、決して少なくはない金額だといいます。ジャンリー君ととても仲の良い妹のジョム・スレイイーちゃん(5)も中国語教室に通いたいとせがんでいます。
しかし、ジャンロドナーさんは病気がち。ジャンリー君の父のジョム・バオさん(37)も稼ぎのよい仕事がなかなか見つからず、スレイイーちゃんの授業料を出す余裕がありません。
シアヌークビルでは、中国語を学びたいという人が急増しています。ホテルやレストランのスタッフの一般的な月給は300ドルですが、中国語を話せれば、月給が2倍に増えるためです。
校長のオム・サマリーさんは断言します。「シアヌークビルでは英語よりも中国語のほうが重要です」。
頭痛のタネは先生の不足です。生徒の急激な増加に先生の人数が追いつかないため、中国語教室で学んだ生徒の中から、中国語が上手な人を先生に指名。
ジャンリー君に中国語を教えているのは、中国語を学んで1年あまりという女子高生のオン・スィディエンさんでした。
一方、中国語ブームのあおりを受けたのが、外国人技能実習生として日本に3年間滞在した経歴を持ち、日本語を話せるドゥン・サムダさんです。シアヌークビルの旅行会社で働きながら、2月に日本語教室を開設しようとしました。
しかし、生徒が集まらず、オープンできませんでした。サムダさん自身も今年から、仕事上有利だとして、中国語の勉強を始めました。
ただ、中国との関係が密接になるのは良い面ばかりではありません。中国人同士のトラブルで治安が悪化したり、道路が混雑したりするなどの問題も出ています。
シアヌークビルのある住民は「マナーが悪い中国人の観光客もおり、本音では歓迎していません。だけどカンボジアのような貧しい国では、中国人に頼らざるをえない。仕方がないんです」。
中国から押し寄せる圧倒的な投資や人の流れを受け、社会が大きく変わりつつあるカンボジアの小さな街で、ジャンリー君はたくましく生きていくことでしょう。夢は「警察官になって悪い人を捕まえること」です。
そんな息子に対して、母のジャンロドナーさんは期待を寄せています。「私は貧しかったので小学校を途中でやめざるをえませんでした。せめて自分の子どもには、勉強をさせてあげたい」。
ジャンリー君はまだ中国語の勉強を始めたばかり。今回は中国語を話せるカンボジア人の通訳を介して会話しましたが、将来会うときは、通訳なしで会話できるほど上達していることでしょう。
私は記者として就職してから中国語を本格的に勉強し、なんとか希望していた中国特派員になることができました。若いうちから外国語を勉強すれば、絶対に将来のチャンスは広がります。頑張れ、ジャンリー君!
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