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中国・深圳、モデルは秋葉原だった もっと驚いていい「パチもん魂」
「中国のシリコンバレー」とも呼ばれる深圳の電気街は、もともと日本の秋葉原をモデルに生まれた街でした。それが今ではベンチャー企業が集まる人口1千万人超の大都市に。夢と野心に燃える若者たちをひきつける魅力とは何か。現地で目の当たりにしたのは、コピー品製造などを経て培った応用力の高さ、懐の深さでした。
今年3月19日朝。深圳の電気街「華強北(ホアチャンベイ)」の一角に、この街のユニークな所を3日間で見て回る「ニコ技深圳観察会」に参加する40人近い日本人男女が顔をそろえました。
母体の「ニコニコ技術部」は、ユニークな自作の電子機器などを発表する技術者たち、いわゆる「メイカー」の集まりです。
半導体や工具、新品や中古を含めた様々な電子製品を扱う専門店が集まった華強北は、もともとは秋葉原を参考に開発された街区。今や本家の30倍とも言われる規模に広がり、世界中のありとあらゆる電子部品が取引されています。
2014年に始まり、会を重ねて8回目の今回。集まった面々は、下は親に連れられた高校生から上は中国駐在経験を持つ50代まで。通信・モーター・電池・光学・VRといった分野の技術者に加えて金融・保険・不動産・教育など多彩な業種からの参加者がありました。
主宰者はメイカーの活動を支援している高須正和さん。メイカーたちのものづくりを街を挙げて支援している深圳に惚れ込んで、昨年12月電子部品を設計・製造する「スイッチサイエンス」に転職し活動拠点を深圳に移したほど。
ツアーコンダクター役の高須さんは、旗ではなく自撮り棒に装着した360度カメラを振りながら一同を導いていました。
頭に着けた動物の耳のようなガジェットは、脳波に反応してピンと立つなど感情をかたちにする日本発のコミュニケーションツール「Necomimi」(ニューロウェア製)。
雑踏の中でひときわ目立ち、行き交う人たちから写真を撮られることもしばしばでした。「日本のメイカーの作品は世界で注目されている」と高須さん。
深圳は面積、人口ともにほぼ東京都と同規模。もとは漁村でしたが、鄧小平時代の1980年に経済特区に指定されてからこの地の運命は大きく変わりました。
20世紀末の中国の最高実力者・鄧小平は天安門事件後の1992年に深圳・上海などを視察した際、自身が推し進めた改革開放政策について「基本路線は百年変わらず堅持する」と述べ、 現在に至る経済発展の基礎を固めました(「南巡講話」)。
人民との約束の証か、深圳市内には今も、肖像画とその言葉が書かれた看板が立てられています。
その後深圳は、香港に近い地の利を生かし、海面を埋め立て安価な電子製品などの製造拠点として発展。通信機器大手の華為技術(ファーウェイ)、ドローン業界を席巻するDJI、 SNSやゲームサービスで急成長した騰訊(テンセント)はいずれも深圳発の世界的大企業です。
深圳市の2016年の経済成長率は国の平均を上回る9.0%で、地域のGDPは香港と同水準。人口は若年層に大きく偏っています。北京を「帝都」、上海を「魔都」と呼ぶのにならって、若者を引きつけるこの都市が「夢都」(梦都)と呼び習わされることもあるそうです。
街で目立つのは若いカップルや親子連れ。開放的な雰囲気の中、警官の禁止をものともせず、繁華街でドローンをデモ飛行させる様子もしばしば見受けられました
急成長する深圳。いたるところで数十階建てビルの建築や幹線道路の工事が進む街中で見かけたのは、無人コンビニでした。
自動ドアからの出入りの際にスマホアプリでの認証が必要ですが、あとは店内の冷蔵庫からペットボトルのお茶を手に取るだけで支払い完了。買い物はとても簡単でした。
最先端の技術を競うベンチャーがある一方で、訪問先の中にはソフトバンク「ペッパー」やシャープ「ロボホン」といった日本製コミュニケーションロボットをほうふつさせる製品を作っている企業もありました。
一から開発するのではなく、既に世の中にある技術を集めて短期間で実用的なプロダクトを作り上げるスタイル。大型で自走可能なロボットは、既に銀行窓口の案内業務などで供用されているということでした。
実は、深圳はその昔、香港で売られていた偽ブランド商品、コピー商品などの産地としても知られていました。今これらのロボットを日本市場に投入したら、パチもん呼ばわりされて物議をかもすかもしれません。
でも、AI技術を利用した応答機能や多彩なセンサーを詰め込まれ組み合わされた内部構造に説明が及ぶと、最初外観に失笑していた参加者からも感心の声が。
汎用技術から最先端まで、現在利用可能な技術は何でも取り込むのが深圳流。コピー品製造などを経てこの地域が培った応用力の高さ、懐の深さを改めて感じていたようでした。
中国全体の成長率がスローダウンする中で、今なお10年で2倍以上のペースで経済発展を続ける深圳。
オフィス街建設や地下鉄新線の計画は後を絶たず、無人バスなどの社会実験も盛んな「夢都」では、街を行くだけでそこかしこから動感があふれ出ていました。
1964年のオリンピックを前にした東京もこのような時期を経験していたのかもしれません。
工場から高級マンションへの建て直し、上下4車線の幹線道路網の整備が着々と進む一方、街中で近代化に取り残された古いコミュニティー「城中村」に当局の立ち退き命令が出るなど、都市計画の光と影をないまぜにして、深圳は動き続けています。
観察会最終日の夜に開かれたまとめの会合で、3月まで1年間深圳大学の訪問研究員だった伊藤亜聖・東大准教授(中国経済)は様々なデータを挙げて都市の現状をわかりやすく整理してくれました。
中国の研究開発支出額がすでに欧州合計を超えているとの見方もあること。その中国の中でもとりわけ深圳の国際特許数は他地域を圧倒していること。先進的製品を世に問う30代の経営者が台頭していること……。
伊藤さんは深圳を「新興国がテクノロジーを社会実装する先進例」と位置づけ、「それを自分の目で見た人は伝える義務がある」と結びました。
確かに日本の我々は、深圳が40年足らずの短期間で成し遂げた発展、その結果たどり着いた現状についてもっとよく知り、もっと驚いてもいいのかもしれません。
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