連載
#5 辺境旅
早大探検部、ロシアでの「サバイバル」が想像絶する過酷さだった…
ロシアの、しかも、いまだ人が足を踏み入れていない山に登る。早稲田大学探検部「カムチャツカ遠征隊」は、今年8月、ロシア極東・カムチャツカの未踏峰登頂を果たしました。現地では、予期せぬトラブルが襲いました。顔中の穴という穴に入り込む羽虫。熊の気配におびえる野営。連日のハードワークに負けず、未踏峰へと歩を進めました。
8月4日に先発隊が東京を発ち、一行は飛行機、ヘリコプター、ホバークラフトを乗り継いで1週間かけてカムチャツカ半島を北上。本格的なスタート地点となるトナカイ遊牧民の村(アチャイバヤム)に着きました。
ここから装甲車でツンドラを越え、70km先のベースキャンプに向かうハズが、突然、出発には村長の許可が必要だと告げられます。
事前に、ロシア当局に入域申請はしていましたが「そんなの関係ない」状況。村人にとって、ツンドラは精の宿る聖地であり、外国人が入るのは一大事。村の決まりと言われれば、従うしかありません。4日後、許可は出ましたが、大幅なロス。おまけに、直前の大雨による水害で、装甲車が使えなくなる事態に。
「このまま進めないかも」。不安になる隊員たち。幸いにもモーターボートを手配でき、川下りに切り替えます。しかし、1人30kg余りある荷物は乗せられず、綿密にカロリー計算した食糧を半分近く減らすことに。
キャンプ生活に備え、米を我慢していた2年の吉田健一さん(19)は「楽しみがなくなった」とショック。2年の走出(そで)隆成副隊長(21)も「ツンドラで食べていけるのか」と不安がよぎりましたが、「早くフィールドに出たかったので、とりあえず前に進める、と前向きに考えました」。
ようやくスタート。と思ったら、30kmほど進んだところで水位が低くなり、ボートが停止。ベースキャンプまで40kmを残し、突然、ツンドラでのサバイバル生活が始まったのです。
「木のないところ」を意味するツンドラ。その名の通り、見渡す限り木一本、一切の凹凸もなく、目の前には空と雲が全面に広がっていました。「先に進めるか」という不安から解放され、「歩いた分だけ、目標に近づける」と無心で歩を進めます。
しかし、膝まで浸かる沼地に苦戦。左足を抜こうと、踏ん張った右足も「ズボッ」。30kg近い荷物のせいで、地力では上がれません。トレッキングシューズ(2kg)は役に立たず、サンダルが緊急登板。結局、初日は20km進む予定が5km止まりに。
夜は薪を集め、キノコや木の実を採り、魚を釣って味噌汁やパスタ、煮魚で腹を満たします。季節は夏。幸いにも、食料に恵まれました。
一方で、大量の虫が隊員を苦しめました。ジーパンの上から刺す1~2cmの蚊、顔の穴という穴に入る小さな羽虫、服の中に入ってかむ甲虫。食事にもどんどん突入してきます。
体中が痛かゆく、腫れた顔は別人のように。熊の恐怖もつきまといます。朝になると、近くに足跡やフンが出現。気配が気になり、寝付けない隊員も現れます。
沼地を越え、川を渡り進むこと4日。最後は雨の降る中、40km先のベースキャンプに着きました。目的の山、レジャーナヤまでは約60km。しかし、迎えの装甲車が来なければ先に進むのは危険です。やむなく迎えの可否を衛星電話で確認しながら、待機することに。
この時点でレジャーナヤ登頂はほぼ不可能になり、隊の士気も下降気味に。しかし、このまま終わるわけにはいきません。第二目標「周辺の未踏峰登頂」に気持ちを切り替え、仮称ワセダ山へのルートの偵察を進めます。
待機5日目。2回の偵察では「登れる可能性は30%」。3回目の偵察を考えた矢先、迎えの装甲車が来ないとの知らせが入ります。帰りの移動を考えると、残された活動時間は2日に。「無理な場所があれば退く」と、足を痛めた隊員を除く5人で、早朝からのアタックを決断します。沢を登り、熊が通った獣道を進んだ先に、岩と砂利で覆われた山肌が広がっていました。
登山道などなく、頼りは地図と自分たちの感覚。安全だと思うルート、登り方を探りながらの旅路を、吉田さんは「童心に戻ったようなワクワク感があって、メチャクチャ楽しかった」と振り返ります。「ルールなんて考えず、自分を『解放』出来るような感覚。低い山だったけど、それを味わえたのが良かったです」。1年の小松陸雄さん(19)は「足場の悪さこそ、人が来てなかった証明だと思えて、興奮しました」。
道中足を痛め、登頂を断念した2年の野田正奈さん(20)は、「みんなを送り出して、『どんな景色見てるかな』と、うらやましさもありました。でも、一人の旅行じゃないので、妥当な判断だったと思います。準備を頑張ってやり切ったからこそ、今は悔しさは無くて、いい思い出として残ってます」と話してくれました。
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