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ロシアに「ワセダ山」名付けたったぞ!早大探検部、冷静と情熱の快挙
冒険家にとって、前人未到ほど心揺さぶられる言葉はありません。それを学生たちがやり遂げました。ロシア極東・カムチャツカの未踏峰に登った早稲田大学探検部。現地の地理協会からも認定され、現在、「ワセダ山」と名付ける手続きが進んでいます。近年まで外国人の入域が規制されていたエリアを選んだ「目利き力」と、厳しい自然に立ち向かうための「鍛錬」。両方が合わさった末での快挙でした。
カムチャツカ遠征隊が登頂を果たした山が、ロシア地理協会によって正式に未踏峰であると認められました!そして、私たちに命名権があります。
— 早稲田大学探検部 (@wasedatanken) 2017年10月31日
極東ロシアにある1300メートルの山。その名は「ワセダ山」‼ pic.twitter.com/nb8Y7ONGiS
8月25日午後4時40分32秒。日本を離れて20日余り。早稲田大学探検部「カムチャツカ遠征隊」の5人が、未踏峰(仮称ワセダ山、標高1300m)山頂で隊旗を掲げました。
残された活動時間は限られ、明確なルートも見いだせていませんでした。それでも、「手ぶらでは帰れない」。沢を登り獣道を進み、岩に覆われた山肌を登ること約10時間。たどり着いた頂上は雲が晴れ、眼下には広大なツンドラが、遠くには、雪に覆われたコリャーク山脈が広がっていました。
「自分たちが立っている場所、来た道、どれも、誰も来たことがない。周りに誰もいない。風の音しか聞こえない。日本での登山では味わったことのない感覚でした」。3年の井上一星隊長(21)は振り返ります。
実は、ワセダ山登頂は第二目標であり、第一は、コリャーク山脈最高峰レジャーナヤ(標高約2500m)への外国人隊初登頂でした。自然の壁に阻まれたとはいえ、第一目標がかなわず、「探検した、と胸は張れない」(井上さん)。
それでも、ツイッターでの「未踏峰登頂」「ワセダ山(仮称)命名」のつぶやきには大きな反響があり、井上さんは「ここまでの反応は予想してませんでした。若い探検家にとっては十分です」。2年の走出(そで)隆成副隊長(21)は「今度は自分で計画したい思いが強くなりました。野心とロマンですね」と次を見据えていました。
帰国後、ロシア地理協会から未踏峰と認められ、現在、命名権を得る手続きを進めているとのこと。地図に「ワセダ山」の名が登場する日は、近いようです。
「未踏の地に行きたい」。探検家が目指すゴールであり、井上さんも入部当初から憧れ続けてきました。
問題は、どこに行くか。
宇宙や海底、南極、砂漠の真ん中は、学生には難しい。そこで目をつけたのが、「近年まで政治的にアクセスが難しかった場所」。
まず考えたのは、北朝鮮。しかし、各方面からの反対にあい断念。次に注目したのが、日本から比較的近いロシア極東・カムチャツカでした。カムチャツカ半島は、ソ連末期(1990年ごろ)まで外国人の入域が規制されていましたが、近年はリゾート開発が進んで観光客が訪れ始めており、まさに「若き探検家に開かれた地」だったのです。
井上さんを含む隊員6人(男子5人、女子1人)と現地ガイド1人で結成された遠征隊が掲げた目標は二つでした。
(1)コリャーク山脈最高峰レジャーナヤの外国人隊初登頂
(2)周囲の未踏峰登頂
一行は、以下のルートで半島を北上し、目標地点を目指しました。
東京
↓
ウラジオストク
↓
ペトロバブロフスク・カムチャツキー(州都)
↓
チリチキ
↓
アチャイヴァヤム(スタート地点となるトナカイ遊牧民の村)
↓
レインディアステーション(ベースキャンプ)※レインディアはトナカイの意味
↓
レジャーナヤ・仮称ワセダ山
今回は「報告・記録」を特に重視し、映像作りにもこだわりました。誰もが気軽に世界を旅し、発信出来る中で、「報告の有無」が旅行と探検を分け、「探検の価値」を示す上で重要だと考えるからです。
カメラ2台とドローン2台を持参し、撮影を担った武蔵野美術大学大学院1年の小野寛志(かんじ)さん(22)は「探検に縁のない人にも興味を持ってもらえる可能性がある、新しくて面白い試み」と強調します。井上さんによると、報告書とドキュメンタリー映像は、現在も鋭意作成中。「完結」はもう少し先のようです。
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