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マリリン・モンロー、今も残る死の謎 新婚旅行で原爆資料館にも…
8月5日はマリリン・モンローが亡くなった日です。睡眠薬を大量に飲み36歳の人生を終えました。自殺か事故死か、今も謎が残るといわれる死因。ハリウッドスターの華やかなイメージと、結婚と離婚を繰り返した複雑なプライベートの一面。そんなモンローは、ジョー・ディマジオとの新婚旅行で来日した際、広島の原爆資料館を訪れていました。
1926年、ロサンゼルスで生まれたモンローは、孤児院で過ごしながら1945年、モデルを始めます。
その後、1952年に「ノックは無用」で初の主役を射止め、1953年に「紳士は金髪がお好き」がヒットします。
1954年には元ヤンキースの四番打者ジョー・ディマジオと結婚。まさにジェットコースターのような人生です。
広島を訪れたのは、ディマジオとの新婚旅行の時でした。
朝鮮戦争の兵士慰問の間をぬって、原爆ドームを訪れています。
「原爆記念館」(いまの平和記念資料館)を回り、その悲惨さに「ため息をくり返した」と、地元紙が記録しています。
二人はさらに、近くの比治山に設けられた日米合同の放射線影響研究所を訪れ、説明を受けたと伝えられています。
その後、東京・帝国ホテルで足を組みながら記者会見にのぞんだ姿とは別人のようなエピソードです。
モンローは「頭の弱いセクシー女」を演じていたとも言われています。実際は向上心が強く、人気絶頂の時にハリウッドを去り、ニューヨークの俳優学校に通っています。
モンローの死因をめぐっては今も謎があるという声が根強く残っています。
「女神--マリリン・モンローの秘密の人生」を出版したイギリスのノンフィクション作家アンソニー・サマーズ氏は、ケネディ兄弟との仲について言及しています。
兄の大統領がモンローと親密な関係にあり、続いて、その関係を終わらようとした弟ロバート(司法長官)も親密な関係になったという説を展開。さらに、その関係をマフィアのボスがかぎつけ、司法省のマフィア撲滅作戦に対抗して何度も脅しに使いそうになった……。
そんな「他殺説」に対し、ロス地検は死亡20周年の1982年に再捜査をし、改めて「他殺の疑いはなし。自殺ないし事故死」との結論を発表するほどでした。
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