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やついフェスができるまで 仕事失って気づいた「1次産業芸人」の道
お笑いコンビ「エレキコミック」のボケ担当のやついいちろうさん(42)は、音楽DJの顔も持っています。今年も6月17、18日に主催の「YATSUI FESTIVAL! (やついフェス)」が開催。東京・渋谷の12会場に、八代亜紀さんや酒井法子さん、PUFFYなどといった、ミュージシャンや芸人、アイドルなどの枠を超えた約280組が集まります。いまや周遊型フェスの代表格となったやついフェス。やついさんに話を聞くと、フェスは仕事が無くなってどん底だった10年前に気づいた「1次産業芸人」としての生き方の集大成でした。
――「やついフェス」とはどのようなフェスですか
「渋谷を使った周遊型のフェスです。2012年から始まって、今年で6年目。『1日の出演者数が日本最大』をキャッチコピーに、ミュージシャンに限らず芸人やアイドルとジャンルレスなイベントにしています」
――立ち上げたきっかけは
「サニーデイ・サービスの曽我部恵一さんから何げなく言われた一言がきっかけですね。『やつい君は今勢いあるから、フェスをやったらいいよ』って。DJとして3枚目のCDを出した2011年ぐらいでした」
「勢いなんて、全然感じてなかったんですけど。でも、曽我部さんに言ってもらったんで、『そういう時期なのかな。やった方がいいのかな』と思って始めました」
――DJを始めたのも曽我部さんの影響だと聞きました
「そうそう。もう15年ぐらい前ですね。音楽の趣味が合った編集者に誘われたイベントでDJをすることになって。大学時代に遊び程度でしかやったことがなくて、恥ずかしかったんですけど、『ま、いっか』と思ってやりました」
「それを曽我部さんが見ていてくれて。『何かいいね』って声をかけてもらったんです。『あ、いいんだ』と思って。好きな楽曲を大きい音でかけられるのは、楽しいし、『DJも一緒だな』と思った。そこからずっと続けている感じですね」
――そこからなんですね
「お笑いの活動をやって、呼ばれたらDJをしていました。それで、2005年の『カウントダウンジャパン』に出たんです」
「テレビ東京で音楽番組に出ていて、その制作がフェスを運営しているロッキング・オンで。社長の渋谷陽一さんが見学に来た時に、『お前詳しいな』って声をかけられたので、『フェスに行っていいですか』って言ったんです。何とか無料で入れてくんないかなと思って」
「渋谷さんから『何かやらなきゃだめだよ。ただ来るのはだめ』と言われたので、『じゃあ僕DJやりますよ』と返したんですね。そしたら、『お前DJやるの?』という話になって、『やりますよ。曲かけるだけですから』とか言っていたら、『じゃあ、いいよ』って。その場で出演が決まったんです。開催1週間ぐらい前だったんですけど」
――すごい直前ですね
「1曲目に『愛は勝つ』をかけました。フェスでかからなそうな曲にしようと思ったんですね。本当に飛び入りだったので、誰も僕を見に来ている人はいない。当然ですけど。でもなんか、かなり盛り上がったんです。面白かったなー、あれは」
「それを渋谷さんがチェックしてるんです。『お前なかなかいいじゃねえか』と言ってもらって、翌年から正式に出るようになった。今は毎年夏冬と出演させてもらっています」
――いつかは自分でもフェスをやりたいと思っていましたか
「まったく思ってなかったですね。フェスは好きだから、出演できるのは嬉しいけど、本業はお笑いなので。だけど、ちょうど10年前、徐々にと言うか、お笑いの仕事が、ぽかんって無くなったんです」
「それまでは、『ネタで面白いと評価され、深夜のコント番組に呼ばれ、それがゴールデンに昇格』みたいなパターンに乗っかっていたんですけど、ある時それが無くなって。福岡のレギュラー番組が終了したら、ラジオ(『エレ片のコント太郎』)だけになっていたんです」
「さらに、事務所からは『やついは勝手にやれ』って言われて。当時、相方(今立進さん)を役者で売り出したかったみたいで、僕は期待されてなかった。だから好きにやってやろうと思ったんです。僕にはDJがたまたまあったんで、ちゃんとやってみようと思いました。その時に、『第1次産業』になりたいと思ったんです」
――第1次産業?
「農業や漁業のような考え方を自分に当てはめたんです。米を作ったり、魚を捕ったりするものの代替として『僕は何を作れる人間なんだろう』と考えたんです。人から与えてもらうものではなくて、自分で作って売ることができるもの。自分が売れるもので生活できれば、上の意向で『ここから仕事ないです』と言われることもない。僕が働き続ければ、仕事が無くなることはないと思い至ったんです」
――その一つがDJだった
「『どうやったらお金に換えられるか』ということを考えて、イベントをするようになったんですね。僕がDJをやって、好きなバンドやお笑い芸人を呼んで。そうしたら結構お客さんが来てくれるんですよね。そうやっているうちに、フェスで注目されてビクターさんから『アルバム出しませんか』と話をもらうことになった」
「『アルバム、まじっすか』って感じでしたけど、基本はお笑い芸人ですから、成功するにしても、失敗するにしても面白いかなと思って2009年に最初のアルバムを発売したんです。それが、まあまあ売れたんで、そこから毎年1枚出すようになり、曽我部さんの『フェスやれば』という話につながるんですね」
――すぐにやついフェスを思いついたのですか?
「最初は嫌だったんですよ。それまでのイベントで満足していたし。規模が大きくなって、目が行き届かなくなるのが嫌だったんですよね」
「だけど、ちょうど同じ時期に渋谷のライブハウス『O-EAST』から、運営する5つのライブハウスを使った周遊型のイベントをしませんか?って誘いがあったんです。フェスのことを考えていたら、この話が来たので『これはやるかー』と決心しました」
――どうやってフェスを立ち上げたのですか
「いきなりはできないと思ったので、一緒に運営してくれるO-EASTの人たちとプレイベントをやったんです。曽我部さんやレキシと仲が良かったバンドをO-EASTに呼んで、僕もDJやコントをしました」
「大阪や名古屋でも開催したんですが、スタッフさん側の信頼を得たのが大きかったですね。『やつい君ちゃんとしてるね』と思ってもらえて、チームの一体感が出た。これでフェスもやりやすくなりました」
「値段設定もよく分からなかったんで、1回目は5千円でやったんです。そうしたら、売り切れたのに赤字で。「こんなお金でやってたらもうできないよ」って言われた。でもイベントとしてはうまくいったし、2回目は規模大きくして、赤字にならないように値段も考えてやったら、また売り切れた。その繰り返しで6回目になりますね」
――出演者はどうしたんですか
「1回目は80組ぐらいに出てもらったんですけど、ほとんど僕がブッキングをしました。いとうせいこうさんの家で花見をしたり、集まったりしていたので、そこで知り合ったミュージシャンが結構いて。あとは、曽我部さんにも『もちろん協力してもらいますよ』と言ってあった。芸人にも出てもらおうと思っていたので、何とかなると思ったんですよね」
――八代亜紀さんなど大御所の方も出演していて、人選が本当に面白いです
「興味の赴くままにというのが好きで、ジャンルを縛りたくなかったんですよね。音楽も聴きたいし、お笑いも見たいし、ためになるトークショーも好きだから、文化人もいてくれたらいいなと思うし。アイドルももちろん好きじゃないですか」
「いっぱいあるのが好きなんですよ。自分の家には、聞いていないCDや読んでいない本や見ていない映画がいっぱいあるけど、あることでうれしいというか。いつでも見たり聞いたりすることができるっていうのがよくて、このフェスも見ようと思えば見れるというのが面白いかなと思ったんですよね」
「大御所の人を呼ぶ流れができたのは、1回目に小室哲哉さんに出演してもらってから。DJの時にTRFの『survival dAnce』をよくかけていて、リスペクトしていた小室さんに出てもらったんですけど、すごく面白かったんですね。意外な面白さがあって、そこに僕は喜びを感じたんで、やっています」
――思い出に残っている場面はありますか
「2年前から、歌合戦をやっていて。それは超面白いから今年もやります。最初の年はレキシの池ちゃん(池田貴史さん)と僕でレキシ軍VSやつい軍に分かれてやったんですけど、カルメラさん(エンタメジャズバンド)をバッグバンドに色んな人が歌うんです。僕とコムアイ(水曜日のカンパネラ)が『DA.YO.NE』を歌ったり、池チャンといつかちゃん(カリスマドットコム)とせいこうさんで『今夜はブギーバック』を歌ったりして、すごい面白かった」
「マキタ(マキタスポーツさん)軍とやった去年は、山本晋也監督が審査員で来てくれて。DJ KOOさんが、飛び入りでおっぱいの大きいジャズミュージシャンを連れて来た時は監督も超喜んじゃって、次のスケジュールがあるのに、もう1曲弾いてとかお願いしたりして。そういうハプニング感みたいなのは、普通のライブにはないから、やってても楽しいんですよね」
――やついさんもDJをしますが、衣装が気になります
「あれは、コントで使った三国志の諸葛亮の衣装なんですよ。10年ぐらい前に作ったんですけど、そのコント1回しかやらなくて、ずっと残ってたんです。ロッキンに出るようになって、1人だし、衣装っぽいものを着た方がいいかなってなった時に、思い出したんです」
「だけど、みんな三国志をよく分かってなくて。『関羽いるかー』ってあおっても『わー』ってだけでピンときてない。『どうも諸葛亮です』ってあいさつしても、男の一部が『あー』ってうなづいているだけ。でも、みんな『いぇーい』って反応はしてくれて、何かはまったんですね、この格好が。写真とかで見ても、しっくりきてたんで、いまでもそのスタイルでやってます」
――続けていく上で心がけていることは?
「『型にはまらない』ことですね。型が出来上がって、それを繰り返すという発想になると、もともとあった面白みが欠落しちゃうと思うんです。さっき『大御所が出る』という話がありましたけど、それが『大御所は一組み入れる』というHow Toになってしまうと、頭を使わなくなってしまう。『こうあらねばならない』という型がないのが、面白いのに、型にはまるとつまんなくなっちゃうんですよね」
「やついフェスも6年目になると、やっぱりそういう部分も出てくる。なので、『何のためにやるのか』というのを考えて、型を打破していくようにするというのは、いつも考えています」
――やついさんは、朝ドラにも出演されていますが、自分自身も型を破ろうとしているのですか
「この10年間、『自分で決めて自分でやる』という1次産業的な生き方をしてきて、その一つがやついフェスのような形になった。自分でやるからには『どうやって生き残れるか』というのを考えつづけてきたけど、それが性格的に向いてたんですね」
「ただ、この先の10年がこの方法でいいかは分からない。もう1度考え直さなきゃいけないとは思っていったんです。その時に、ドラマの話があった。今まで自分で全部決めてきたけど、今度は人の誘いに乗っかってみようと思ったんです」
「だから今は、『こういうのもやったら』という誘いは素直にやってみようと思っています。どうなるかは分からないけど、新しいものを見たいし。そこから、色んなことにはまっていきたいですね」
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