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「悟空が東京五輪マスコット?」 中国人が本気で信じた理由
今年2月ごろ、中国のネット民の間であるニュースが騒ぎになりました。「2020年の東京オリンピック・パラリンピックの大会マスコットにアニメ『ドラゴンボール』の孫悟空が就任する!」というものです。そういう事実はないんですが、「西遊記の孫悟空を取られた!」「いやあれは、カカロットだ!」と議論は大いに盛り上がりました。この騒動、なぜこんなに広まったのか。背景には、日本アニメへの中国人の感情がありました。
最初にはっきりとお伝えしておきます。悟空が東京五輪マスコットになる可能性はありません。
五輪組織委員会は2017年4月現在、マスコットの選考方法を検討しています。
組織委員会に確認すると、すでに存在するアニメキャラクターなどがマスコットに選ばれることは商標登録などの問題から「まずあり得ない」ということでした。
「マスコットはプロアマ問わず広く公募する予定ですが、全く新しいニューキャラクターを選ぶことが原則です」(広報担当)
ところが、中国では少なくない数の新聞やネットニュースが、「孫悟空のマスコット決定」を報道。中国を代表するメディアの国営通信社、新華社の電子版でも騒ぎが記事化されるに至りました。
では、最近ネット社会を揺るがす「フェイクニュース」のたぐいだったのかと言うと、そうとも言い切れないようです。
きっかけは、実はヨーロッパでした。1月下旬、ロンドンやニューヨークなどに拠点があるポップカルチャー専門サイト「konbini」に「孫悟空が2020年東京オリンピックの大使に決まった」というニュースが流れました。
この報道はパリ発だったようで「ジョークではない!」と驚きを伝えています。日本アニメのファンも多いパリだからこそ取り上げられたのでしょう。
記事には、オリンピックシンボル(五輪の輪)を元気玉のように頭上に掲げる孫悟空のほか、組織委員会のホームページ上にある写真が使われていました。昨年7月に売り始めた公式ライセンス商品の帽子やTシャツでした。
ただ、このページには悟空だけでなく、「鉄腕アトム」や「クレヨンしんちゃん」のキャラクターも並んでいます。
組織委員会によると、この人気ヒーローたちは、あくまで東京五輪を盛り上げるためにライセンス商品に登場しただけ。マスコット起用とは完全に別物だということでした。
そう聞けば、日本人なら「まあ、そういうことか」と納得できる話だと思いますが、外国では理解に苦しむようです。そのあたりを、日本アニメに詳しい中国の友人が解説してくれました。
「日本のアニメキャラクターは国民からの認知度が圧倒的に高く、しばしば人間の有名人と同じような扱いで登場しますよね。他の国では、なかなかそういう存在はいません」
人間の有名人と同じってどういうこと?
彼の話を裏付けるような事例がありました。まだ東京五輪が決定する前の2013年、招致運動を応援するスペシャルアンバサダー(特別大使)にドラえもんが就任していたのです。
この友人は「招致大使なんて、普通は人間でしょう。ドラえもんが招致大使に起用されるなんて、日本でしかできないことなんです」と話します。
ドラゴンボールの孫悟空も、これに似た位置づけです。パリ発のニュースは「大使」という表現で、大会マスコットとは切り離して報じていますが、これが中国に伝わると、翻訳の中で「形象大使(イメージキャラクター)」と「吉祥物(マスコット)」という言葉が入り乱れ、ついに「孫悟空がマスコットに選ばれた」という間違いにつながりました。
もう一つ、中国が反応した大事な要素があります。「孫悟空」という名前です。説明するまでもなく、この名前は中国の伝奇小説「西遊記」の主人公から来ています。
中国ネット民の一部からは、「中国の孫悟空が日本に奪われてしまった!」という批判が起きました。
これに対し、「あれは悟空じゃない! カカロットだ!」(※注、カカロットは悟空のサイヤ人としての名前、いやカカロットの地球での名前が孫悟空というか。詳しくは原作をお読みください)という反論が現れます。
そして「あのアニメの孫悟空なら就任は当然だ。日本はうまいよ」と前向きな声も。
議論は大いに盛り上がりました。
西遊記は、中国人なら誰もが知っている物語。ドラマやアニメでも何度も放送されています。
中でも1986年版のテレビドラマは社会現象となり、日本の正月にあたる春節期の放送で最高視聴率89.4%を記録したそうです。
4月中旬、このドラマの女性監督が88歳で亡くなると、中国メディアは一斉に大きな扱いで報じました。
一方、ドラゴンボールも中国で人気を博し、各地で繰り返し放送されてきました。朝日新聞上海支局の中国人スタッフ(22)によると、「ドラゴンボールは『七龍珠』という名前で知られています。若者はみんな知ってますよ」とのこと。
つまり、西遊記の孫悟空とドラゴンボールの孫悟空は、名前以外は似ても似つかぬ存在であることを、みんな理解しているのです。
むしろ、この2人の「孫悟空」を知る中国人だからこそ、マスコット就任の一報に飛びついたのかもしれません。
中国共産党の機関紙・人民日報系の「環球時報」は、かつて中国のテレビドラマで孫悟空を演じた俳優に取材。「孫悟空が国と国、民族と民族の友好の懸け橋になってほしい」と大真面目に回答を寄せました。もはや就任の真偽より、「悟空論」に発展した感さえあります。
この俳優はこんなコメントも発しました。
「このニュースは感慨深い。私は2008年の北京五輪の時も孫悟空を大会マスコットにすればいいと提案していたんですよ。孫悟空には不屈の精神で全力で闘うといった、五輪精神につながるところがあります」
実は、東京五輪の次にやって来る22年冬季五輪は、北京開催。中国がどんな大会マスコットを選ぶのか、今から楽しみです。
いずれにせよ、今回の悟空騒動は、日本のアニメパワーを改めて思い知る一件でした。世界中で話題になるコンテンツなど、そうはありません。
リオ五輪の閉会式でも、東京大会をアピールする映像でドラえもんやスーパーマリオが登場しました。起用したくなる気持ちが何となく分かる気がします。
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