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「君の名は。」黒板アートが話題「ぶれたらあかん」美術の先生の思い
青空の下、すれ違った階段で視線を交わす制服姿の男女――。興行収入200億円を突破した大ヒットアニメ映画「君の名は。」のキービジュアルを再現した黒板アートがネットで話題です。お気に入り登録数は10万件をこえ、「感動した」「学生時代にこんな先生に会いたかった」という書き込みも。絵を描いた奈良県の県立高校の先生に会いにいきました。(朝日新聞奈良総局記者・浜田綾)
作者は、奈良県立郡山(こおりやま)高校の美術講師、浜崎祐貴さん(31)。
2年ほど前から、レオナルド・ダビンチの「最後の晩餐」や葛飾北斎の「富嶽三十六景」といった古今東西の名画のほか、映画の一場面をチョークで黒板に描いては、ツイッターやインスタグラムに投稿しています。
「君の名は。」を描いたきっかけは、顧問をつとめる美術部での雑談でした。映画が公開されたばかりのころで、美術部でよく話題にのぼっていました。
「先生、『君の名は。』の黒板アートを描いてください! 文化祭に来た人、喜びますよ」
「(映画主題歌の)『前前前世』にかけて、文化祭の3日前に『前前前日』ってハッシュタグつきでツイートするのは?」
ある1年生部員の発言をきっかけに美術室は大盛り上がり。ですが、文化祭まで1週間ほどしかありません。浜崎先生は勤務のあと、ひとり美術室の黒板に向かい、3日(作業は計10時間)で完成させます。7色のチョークをつかい、色を重ねたり、線の密度を変えたりして、微妙な色合いまで表現しました。
「部員の多数決であのシーンになったんですけど、正直たいへんでした。奥行きのある町並みはこまかいし、光と影のバランスも複雑。描き終えてツイートしたときはふらふらでした」
浜崎先生は大阪生まれの奈良県香芝(かしば)市育ち。大阪芸術大学を卒業し、デザイナーとしての会社勤めをしたあと、25歳で美術講師になりました。
奈良県内の中学校で教えたあと、2014年11月に郡山高校へ。
美術部の副部長、田中みのりさん(3年)は「『ほんまに先生なん?』が第一印象でした」と振り返ります。
高校に赴任したころから、髪形はいまと変わらないマッシュルームカット、服装は全身黒ずくめ。
そんなルックスのせいか、むかしあるバンドのグッズをデザインしていたエピソードがねじれて、「バンドの人らしい」とウワサされたり、旧友が少年誌にマンガを連載している話がすりかわって、「先生はマンガ描くんですか?」と聞かれたり。
「年度の途中に突然あらわれたので、校内であやしまれてしまいました。美術は選択科目なので、授業で接することがない生徒も多かったんです」と浜崎先生は振り返ります。
黒板アートを始めたきっかけは、このころに届いた元教え子からのLINEでした。
「先生に習ったピカソのゲルニカ描いたで! 先生やったらもっとうまいんやろうなあ、描いてみてください」というメッセージとともに送られてきたのが、黒板に模写した絵の写真でした。
「板書してるときって、すごく先生らしい瞬間やと思います。そのイメージもあってか、昔から黒板に何か描くのが好きでした」
もともと板書に思い入れがあった浜崎先生。そのメッセージから1カ月がたつころ、一念発起します。
「2学期の授業が終わり、黒板の絵に取りかかりました。つかうチョークもたくさんあったんです。というのも、チョークメーカーが倒産すると知って、買い込んでいたんです。もちろん自費ですよ」
描き始めて感じたのは、予想外のおもしろさでした。
「いわゆる名画をしあげる疑似体験ですよね。ピカソが描き直したであろう跡とか、筆の運び方を意識するのが新鮮で」
「何これ!すごい」「やばい」「先生、暇なん?」
ゲルニカを見た美術部員の反応はさまざま。それ以降、授業で取り上げる名画を黒板に模写し、教材の代わりにしました。生徒のリクエストで、キャラクターのイラストを描くことも。部員だけでなく、直接教えてはいない生徒たちも作品を楽しみにしているそうです。
作品によっては、描いたその日のうちに消してしまうこともあるそうですが、残念な気持ちは「まったくない」とのこと。
「ほかの教科と変わらない『板書』という感覚なんです。教材としての役割が終われば、消すものだと思っています」
でも、浜崎先生の黒板アートはただ消すだけではありません。黒板アートを生徒が消していく姿を動画に撮るんです。
それを逆再生すると……。
「黒板消しでサッサッサとなでると、絵が現れる不思議な映像になるんです。まるで消す方がメインイベントみたい。生徒のみんなも一番楽しんでいるかもしれません」
消すところまで込みで黒板アートなのだそうです。
浜崎先生は中学3年のとき、学校を休みがちになりました。
「父親が亡くなり、打ち込んでいたバスケットボールもケガでやめて、喪失感でしんどくなってしまいました。でも、木曜だけは学校に行く気持ちになれたんです。美術の授業がある日でした。絵も工作も得意じゃなかったけど、先生に会うのが楽しみでした」
先生は「自称20歳」の女性講師で、板書もギャル文字風。いつも話し相手になってくれたそうです。
「話すと心がすっと楽になりました。進路について、『はまちゃんやったら、この学校やな』って的確にアドバイスしてくれて。美術の先生になろうと思った原点です」
浜崎先生は、絵やものづくりが好きな生徒を見つけると、美術部に誘います。特に、どこかくすぶっているように映る生徒は放っておけないそうです。
「いつかの自分に似てるからやと思います。美術に触れることが、その子が壁を越えるきっかけになるんちゃうかなって」
1年の秋に柔道部をケガでやめた丹羽慶輔君(2年)も、浜崎先生に声をかけられた一人。
「なんで学校に行くんやろって、へこんでたときに誘われました。人とよくしゃべるようになったのも、学校がほんま楽しくなったのも、先生のおかげ。ああいう風に人生を楽しめる大人になりたい」と言います。
浜崎先生が赴任した当時5人だった美術部員はいま28人に。
「いろんな人が入って部が明るくなった。先生は一番青春していて、いつも楽しそうで。そんな先生のもとで何かしたいって理由で入部した子が多いんです」
副部長の田中さんが教えてくれました。
部員たちもこの春、黒板アートに初挑戦。黒板をつくる企業が主催した「第1回 日学・黒板アート甲子園」に応募し、快挙を達成しました。
地元の名物、金魚の絵を黒板に描いている自分たちの背中を描いた絵が、157点の応募作から2位の「優秀賞」に選ばれました。
当時の全部員17人の合作でした。「チームワークの良さや仲間たちと楽しみながら描いている情景が浮かび上がってくるという点で、高校生らしい良作」と評価されました。
黒板アートが話題になるにつれて、浜崎先生は学校の内外で声をかけられたり、サインやイラストを頼まれたりすることが増えました。浜崎先生は「これで勘違いしたり、ぶれたりしたらあかんと思ってます」と繰り返していました。
黒板アートは芸術ではなく、あくまでも板書の延長線上にあるもの、そして――。
「生徒が美術を好きになるきっかけづくり。最終的に学校生活が楽しいと思ってもらえたら、最高なんですけどね」
作品はツイッター(https://twitter.com/hamacream)とインスタグラム(https://www.instagram.com/hamacream/)に公開されています。
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