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「殯」ってどういう意味? 天皇陛下、お気持ち表明で検索急上昇

天皇陛下のお気持ちを示したビデオメッセージを放送するテレビ各社
天皇陛下のお気持ちを示したビデオメッセージを放送するテレビ各社

目次

 宮内庁は8月8日午後3時、天皇陛下が「象徴としてのお務め」についてのお気持ちを示したビデオメッセージを公表しました。テレビ各局が同じ映像を一斉に放映するなど、日本中の関心を集めました。公表直後に人々はどんな単語を検索したのか? ヤフーの検索データから関心を集めた「5つの単語」を振り返ります。

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1位は殯、2位に摂政、終焉も

 検索データは、8月8日午後3時から1時間に検索数が増えた急上昇ワードをまとめたものです。全体のランキングではなく天皇に関するものだけを抽出しています。

ヤフーの検索画面。「天皇陛下」と入力すると関連単語が表示される
ヤフーの検索画面。「天皇陛下」と入力すると関連単語が表示される

1位 もがり
2位 摂政
3位 殯
4位 宮内庁
5位 市井
6位 昭和天皇
7位 お気持ち
8位 天皇陛下
9位 玉音放送
10位 天皇陛下 お気持ち

11位 安寧
12位 天皇
13位 平成天皇
14位 天皇 お気持ち
15位 皇室典範
16位 大正天皇
17位 終焉
18位 上皇
19位 宮内庁ホームページ
20位 陛下
21位 象徴

街頭の大画面で天皇陛下のお気持ちを示したビデオメッセージが流され、通りかかった人たちが見上げていた=東京・新宿
街頭の大画面で天皇陛下のお気持ちを示したビデオメッセージが流され、通りかかった人たちが見上げていた=東京・新宿 出典: 朝日新聞

【殯】葬送の儀式

 「殯(もがり)」は葬送の儀式を指す言葉です。殯の文字は8世紀初頭の古事記や日本書紀に出てきます。帝塚山学院大学の及川智早氏は朝日新聞の取材に「もはや蘇生しないと確かめたあと、荒らぶる魂にならないよう鎮めるのが主な目的だった」と解説しています。

 昭和天皇の大喪では、連日24時間にわたる「殯宮祗候(ひんきゅうしこう)」(一般の通夜にあたる)などの儀式が2カ月に及びました。

 天皇陛下は「お言葉」の中で下記のように触れています。

「更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ二ケ月にわたって続き、その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が、一年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。」

昭和天皇の大喪=1989年1月
昭和天皇の大喪=1989年1月 出典: 朝日新聞
陛下が用いた「殯(もがり)」という葬送の儀式を指す言葉に、「初めて知った」との声も。
2016年8月9日:陛下お気持ち、ネットも関心 表現への感想や健康気づかう書き込み:朝日新聞紙面から
天皇陛下も触れている「もがり」は、連日24時間にわたる「殯宮祗候(ひんきゅうしこう)」(一般の通夜にあたる)などの儀式が2カ月に及んだ。当時の新天皇は55歳。気力・体力の充実した年齢で、皇太子としての経験と研鑽(けんさん)を長年積んでいたからこそ、父を喪(うしな)った悲しみを抱えつつ全うできたのだろう。
2016年8月9日:「身の処し方」国民に語りかけた 天皇陛下お気持ち表明 皇室担当特別嘱託・岩井克己:朝日新聞紙面から
殯の文字は8世紀初頭の古事記や日本書紀に出てくる。ただ、現代の「喪」とは意味合いが違っていたようだ。帝塚山学院大学の及川智早教授(日本上代文学)は、殯を「死霊がたたらないようにするための鎮魂の儀礼だった」と見る。「よみがえりを祈る儀礼」説もあるが、それならば死の直後から行われたはず。日本書紀には、4人の天皇についてそれぞれの死後約10日過ぎてから殯が行われたとある。遺体を安置する喪屋あるいは殯宮(ひんきゅう)がつくられている。ある天皇に関しては殯宮で「大祓(おおはらえ)」をしたと記されている。「もはや蘇生しないと確かめたあと、荒らぶる魂にならないよう鎮めるのが主な目的だった」というのが及川教授の見方だ。「喪」は、死→殯→葬という儀礼全体を指したと考えられるという。
2007年6月23日:カンヌ映画グランプリ「殯の森」の殯とは? 他界観失われた今:朝日新聞紙面から

【摂政】負担軽減として議論

 「摂政」は負担軽減の対応の一つとして議論されている対応の一つです。

 現在の皇室典範にも規定があり、大正天皇の病が重くなった1921年、当時は皇太子だった昭和天皇が摂政に就いています。

 摂政について天皇陛下は「お言葉」の中で下記のように触れています。

「また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。」

陸軍特別大演習後の四国旅行で、松山高等学校(旧制)を訪れた皇太子時代の昭和天皇=1922年11月24日
陸軍特別大演習後の四国旅行で、松山高等学校(旧制)を訪れた皇太子時代の昭和天皇=1922年11月24日 出典: 朝日新聞
麻生太郎副総理兼財務相は15日、天皇に代わって国事行為を行う「摂政」制度に言及した。有識者会議を設け、生前退位の検討を始めるべきだという意見も出ている。麻生氏は15日の会見で、「(天皇陛下が)ご高齢ということを考え、非常に負担がかかるということであればどう対応していくかは政府で考えないといけない」と述べた。「大正天皇の後半のころも昭和天皇が実質的にしておられた面がある」と指摘。大正天皇の病が重くなった1921年、当時は皇太子だった昭和天皇が摂政に就いたことを例に挙げ、現在の皇室典範にも規定がある摂政を置くことが負担軽減策の一つになり得るとの考えを示した。
2016年7月16日:「生前退位」対応求める声 麻生氏、摂政制度に言及:朝日新聞紙面から

【市井】人が集まるところ

 「市井」は昔、井戸のまわりが人々の集合場所だったことから、人が集まっている場所を指し、市中に住む人=庶民という意味でも使われます。

 天皇陛下は「お言葉」の中で下記のように触れています。

「皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。」

井戸端会議をする人々
井戸端会議をする人々 出典:https://pixta.jp/

【玉音放送】異例な試みとして注目

 メッセージには入っていないものの、関心を集めたのが「玉音放送」でした。天皇陛下は、東日本大震災発生後に、国民に向けたビデオメッセージで「いたわり合って不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています」と語りかけました。当時、天皇が直接国民に語りかける方式は、昭和天皇が終戦を伝える1945年8月15日の「玉音放送」以来とされ、注目されました。

 今回の生前退位を巡る「お言葉」も、同様に異例の試みとして海外でも話題になりました。

 スペインのエルムンド紙や仏ルモンド紙は、「玉音放送」や、東日本大震災直後のメッセージなどを引き合いに、極めて異例なものだと強調しました。

終戦の詔勅を聞く動員の女学生
終戦の詔勅を聞く動員の女学生 出典: 朝日新聞
例えば、東日本大震災発生後には、国民に向けたビデオメッセージで「いたわり合って不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています」と語りかけた。天皇が直接国民に語りかける方式は、昭和天皇が終戦を伝える1945年8月15日の「玉音放送」以来で、異例の試みと注目された。
2016年7月30日:(時時刻刻)陛下、自ら発信へ強い思い 来月、公務への考え反映か:朝日新聞紙面から
海外メディアは8日、天皇陛下のビデオメッセージ公表を相次いで速報した。女性・女系天皇容認をめぐる論争が再び高まる可能性や、安倍晋三首相が掲げる憲法改正との関わりへの指摘が目立った。米CNNは「日本の天皇が異例の演説」との見出しで速報。スペインのエルムンド紙や仏ルモンド紙は、第2次大戦終戦時の昭和天皇の「玉音放送」や、東日本大震災直後のメッセージなどを引き合いに、極めて異例なものだと強調した。
2016年8月9日:天皇陛下お気持ち、海外も速報 「異例の演説」「論争再燃も」:朝日新聞紙面から

【安寧】無事でやすらかなこと

 「安寧」は無事でやすらかなこと、という意味の言葉です。宮内庁は歴代天皇や皇族を埋葬したとされる「陵墓」の学術調査について「御霊の安寧と静謐(せいひつ)」を理由に認めていませんでした。日本考古学協会による学術調査は、2008年2月、奈良市山陵町の神功(じんぐう)皇后陵(五社神<ごさし>古墳)で初めて認められました。

 安寧について天皇陛下は「お言葉」の中で下記のように触れています。

「私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。」

神功皇后陵=2008年1月18日
神功皇后陵=2008年1月18日 出典: 朝日新聞
宮内庁が管理する奈良市山陵町の神功(じんぐう)皇后陵(五社神<ごさし>古墳)で22日午後、日本考古学協会(会長=西谷正・九州大名誉教授)など考古・歴史学16学会の研究者代表16人が墳丘の立ち入り調査を始めた。学会側の要望を受け、同庁が歴代天皇や皇族を埋葬したとされる「陵墓」で初めて許可した。同庁は「御霊の安寧と静謐(せいひつ)」を理由に、学会側による陵墓の学術調査を認めていなかった。
2008年2月22日:陵墓に初の立ち入り 学会、外周を調査 奈良・神功皇后陵:朝日新聞紙面から

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