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保育園ブログ 「国会で使うか迷っていた」 山尾志桜里議員の戸惑い
「保育園落ちた 日本死ね!!!」の匿名ブログを政治の場に持ち込んだ民進党の山尾志桜里衆院議員。政府が対策に乗り出すきっかけになった総理とのやりとりや署名やデモは、予想外の展開だったそうです。(聞き手 朝日新聞地域報道部記者・田中聡子)
――匿名ブログに国が腰を上げました。
予想外の展開でした。ブログを書いた方も、予想外だったかもしれない。総理がブログを「知らない」と言ったり、与党議員から「匿名だ」というヤジが飛んだり。結果的に、待機児童に対するいまの政治の姿勢が露呈されたことで、世の中が反応しました。
――ブログに何かを期待していた?
最初に目にした時、「本音だ」と感じました。とはいえ質問に使うかどうかは迷っていたんです。いろいろな方の声を自分の中で集約して、共通している課題をあぶり出し、データなどで裏付けしてから国会で提言する。そのスタイルを大切にしてきました。それが政治家の仕事だと思っていたからです。
でも、待機児童問題に関しては、自分の「伝える力」に限界を感じていました。1月にも総理に質問しましたが、待機児童という言葉には手垢(てあか)がついて、色あせていて、いくら言ってもブレークスルーがないという感覚がありました。
苦しんでいたときに目にしたのが、あのブログです。「もしかしたら、この人の言葉が何かのきっかけになるかもしれない」と思いました。
最後に背中を押したのは、当時事務所でインターンをしていた2人の女子学生でした。「これを質問してください」とブログ関連の資料をたくさん持ってきたんです。「こんな状態じゃ、結婚して子育てして仕事もするという夢がかなえられません」って。そのおかげで「当事者だけの問題じゃないんだ」という確信を持てました。
――「声をそのまま伝えたこと」が結果を生んだ。
仕掛けややらせじゃないんですね。知らないもの同士が、自分のできることを続けて、今の状況を生んでいるのかな。私もその中の一人。国会議員なので、総理への質問という自分の場所でアクションを起こした。
ブログを書いた人、署名をしようと動いた人、国会前に足を運んだ人、私の背中を押してくれたインターン。いろんな人たちが自分の「持ち場」でバトンをつないでいったんですよね。
――新聞もブログのような役割を担いたかったです。
これからでしょう。ブログのおかげで待機児童問題に対する政治の受け止めはがらっと変わりましたが、これからが本当の正念場です。
小泉政権が「待機児童ゼロ」というフレーズを打ちだしてから15年で、いまやっと突破口が開こうとしています。次にやらなきゃいけないのは、今度こそ政策実現していくことです。そのためには、様々な角度から調べたデータや制度の経過の理論的な考察などの記事が欠かせません。
新聞読者層が高齢であることも重要です。待機児童は若い世代向けの話で、議論が「世代間の分断」になりがち。そこを乗り越えないと解決しません。待機児童問題の解決は、高齢者の社会保障につながり、自分たちのお子さん夫婦、お孫さんの問題だということを、伝えなければいけない。
――本当は若い人にも読んで欲しいのですが……。
民主党で「18歳選挙プロジェクトチーム」の事務局長をやっていた時、「なんか違う気がする」と悩みました。若い人に意見を聞いて、「若者政策」を考えましたが、「本当に求められているのか」という不安が常にあった。
18歳についてしきりに報じる新聞の「18歳企画」を読んでも、「これが18歳に求められている記事なのかな」という疑問を抱いています。
今回の待機児童問題って、そんなつもりは全然なかったけど、若い人が本当に気にしてたテーマの一つだったんですよね。「社会人になった時、子育てできるのか」ということは、実はリアルな問題だった。
こちらから若い人に何かを仕掛けたり、一所懸命アプローチしたりとかって、実は間違ってるのかもしれない。18歳と同じ目線で世の中を見て、「あっ、これ問題」「これも」と一つひとつ議論していくしかないような気がする。新聞が若い人に読まれるかどうかも、同じようなことなんじゃないでしょうか。
「保育園ブログに負けたのは?」は4月16日発行の朝日新聞夕刊紙面(東京本社版)「ココハツ」と連動して配信しました。
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