ネットの話題
保育園ブログ「数の力で要望。その風潮、怖いっす」中川淳一郎さん
ネット世論が国を動かした――。そんな熱狂が起こった「保育園落ちた 日本死ね!!!」ブログ。待機児童問題を繰り返し書いてきたはずの新聞は完敗でした。新しい時代を歓迎しているかと思いきや、ネットニュース編集の中川淳一郎さんは、ちょっと違います。(聞き手 朝日新聞地域報道部記者・田中聡子)
――ネットの力、すごいですね。
「困ってることは何でもネットにあげて、要望を押し通そう」っていうことになってますね。仲間を募って、数の力で要望を押し通そうとする。待機児童の話は社会的に意義があったと思いますが、その風潮、怖いっすよね。
数の力って、すごく大きい。よくデモなんかでも主催者が参加人数を「盛る」じゃないですか。それはやっぱり、数の力にマスコミも役所も弱いことを、みんなよく分かってるんですよ。
――あのブログ騒動も同じだと?
そうですよ。かわいそうな状況に陥っていることをアピールして、同じように保育園に入れずにいる人たちが「私も苦しい」「私も同じ」「じゃあ数で集え」となった。
ネットで発言権を手に入れるには、「自分がこんなに苦労している」ってアピールしないといけないんですよ。弱者が最強なんです。強者が発言するためには、ホリエモンぐらい傲慢(ごうまん)になるか、朝日新聞の論調みたいに弱者に寄り添っているかのようにしないといけない。
――じゃあ、ブログが社会でポジティブに受け止められたのは、筆者が弱者だったからなんですね。
もう一つ、妊娠・子育て・出産がネットでは「タブー」だからですよ。
――タブーというと?
「もれなく炎上する案件」です。「子どもが泣いててうるさい」とか、「ベビーカーが邪魔だ」とかがいい例です。子育て以外でも、ネトウヨ、カウンター、フェミ、障害者はタブー。今回のブログ騒動が世の中で喝采を受けたことで、またタブーが強くなりましたね。
障害者に関しては、やっと乙武さんの不倫騒動のおかげで、「障害者に対して悪いことを言っちゃいけない」という空気から「障害者でもゲスな根性のやつはたたいていい」ということになった。せっかくタブーが弱まったところだったのに。
――ネットのタブーはリアル社会のタブーでもありますよね。
違います。友だち同士ならいいでしょう。でもネットで言ったらだめ。
――衆人環視だからってことですね。
それだけです。
――だとしたら、リアル社会の公の発言や記事も同じタブーがあるってことですね。
でも、ネットの方が完全に言論の不自由ですよ。いま、週刊誌で連載を持っているけど、読者だけが読むのなら、いくらでも面白くできる。でも、ネットに出すとなると誰でも読めちゃうから、いろんな批判を想像しながら書いて、どんどんつまらなくなる。
――ネットの批判や声が本当に世の中の多数の意見なのか、判断が難しいです。
いまはネットの一部の盛り上がりに、リアル社会が過剰反応している。ネットではみんな、自分たちに都合のいい素材を集めて主張している。そうやって、昔だったら問題にならなかったかもしれないことを騒ごうとする。
五輪のエンブレムが最たるもの。ネットがなかったら「なんかぱっとしないデザインだな」で終わってたんですよ。それを「パクリだ」って見つけてきて、「あいつは年収10億円だ」とか「オリンピックで100億もうけるらしい」とか、つぶそうと必死になる。
マスコミも「ネットでこんなに盛り上がってる」と伝えて、既成事実化するわけです。ネット世論がすぐにテレビ世論になり、日本全体の世論として扱われちゃう。
――ネットの時代と言われても、マスコミの影響力はまだ大きい?
大きいでしょう。正直、マスコミが騒がなかったら、あのブログがあるなんて多くの人は知らなかった。ネットの話題って本当は4日経てば終わるんです。テレビと新聞が報じたから、ああなった。
――ネットの話題を記事にするときに、気をつけなくちゃいけませんね。
責任重大ですよ。俺もついやっちゃうけど、「○○がネットで話題」ってよく書くでしょう。でも、「いいね!」やページビューがいくつになったら話題なのか、基準はないんです。あくまでも書き手の主観。はやっているのか本当は分からない物を、「はやっている」と言ってしまうんです。
――マスコミがネットに振り回されているということ?
マスコミの人って、異常にウェブに詳しいんです。世の中には、ツイッターとミクシイの違いも分からない人がごろごろいるのに、ネットのはやりものを追いすぎて、ネットで盛り上がっているものが日本国中に広がっていると考えてしまう。ネットを意識して妙に軽い話題を取り上げることもある。ネットにこびすぎです。
「保育園ブログに負けたのは?」は4月16日発行の朝日新聞夕刊紙面(東京本社版)「ココハツ」と連動して配信しました。
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