話題
原発爆発のホワイトデー ぎりぎりまでケーキを焼いた洋菓子店の決意
東日本大震災が襲った5年前のホワイトデー。原発事故下で静まりかえった福島県いわき市の駅前で、1軒の洋菓子店が店を開け続けていました。
話題
東日本大震災が襲った5年前のホワイトデー。原発事故下で静まりかえった福島県いわき市の駅前で、1軒の洋菓子店が店を開け続けていました。
東日本大震災が襲った5年前のホワイトデー。原発事故下で静まりかえった福島県いわき市の駅前で、1軒の洋菓子店が店を開け続けていました。JRいわき駅前に2005年に開店した洋菓子店「アンジェリーク」。当時、どんな思いで店を開けていたのか。夫の伊藤亨さん(47)と店を営むパティシエの志保さん(41)に震災直後のホワイトデーについて聞きました。
「あの日、水道管が破裂して、カフェスペースの床は水浸しになりました。お皿やお菓子作りに使う洋酒の瓶も全部割れてしまいました。店の片付けをして、夜に自宅アパートに戻ってテレビをつけると、津波の映像が流れていた。惨状を初めて知り、ショックを受けました」
「その翌日には、原発が1回目の爆発を起こしました。駅前では人も車もほとんど見かけず、街は静まりかえってしまいました」
「こんな状況でお店を続けるべきか、夫と話しました。ホワイトデーの予約は十数件入っていました。電話はなかなかつながらないし、控えていた住所のおうちへ行きましたが、誰もいなくて連絡がつかなかった」
「でも、もしお客さんが店に来てくれたのに閉まっていたら、迷惑をかけてしまう。ぎりぎりまで店を開けようと決めました」
「スタッフは休んでもらい、夫婦2人で続けることにしました。断水していたので、給水所に水を取りに行きながら。物流が途絶えて仕入れもできなかったので、季節もので店にあったイチゴや生クリームなどを使い、できるものを焼きました。イチゴタルトやイチゴショート、チョコレートケーキ、モンブラン、ホワイトデー用の焼き菓子をショーケースに並べました」
「お客さんは1時間に1、2組、来るかどうかでした。でも『パンはありませんか』『サンドイッチはない?』と聞く人が多かった。うちは洋菓子だけしかありません。そう言うたびに、こんな時に、みんな生きるだけで精いっぱいになっている時に、主食でない贅沢品のお菓子なんて売っていていいんだろうか、現実離れしている、と思いました」
「でも12日か13日に、中年の女性のお客さんがいらしたんです。『どうしてもお祝いがしたくて』と、その日じゅうに大きなデコレーションケーキを作れるか尋ねてこられた。『できるものでいいんです』と」
「厨房で材料を確かめ、お受けしました。イチゴののった直径18センチのホールのケーキをお作りしました。そしたら取りに来られた時、『家族のお祝いなんです。こんな時に、こんなケーキが食べられるなんて』と喜んでくださり、涙を流していた。こんなお客さんが一人でもいらっしゃるならと、開けていてよかったと思いました」
「14日のホワイトデー当日は結局、予約をしていたお客さんはいらっしゃいませんでした。みなさん避難されたり、大変だったのだと思います」
「そして午前11時ごろ、2回目の原発の爆発があり、お客さんの一人がそれを知らせてくれました。その日いっぱいでお店をいったん閉めることにしました」
「店を休んでいる間は自宅アパートで、母からもらった古いホームベーカリーで、店に余っていた粉を使ってひたすらパンを作り、近所に配りました。店でパンを求める方々が来たのに、ケーキしか売れなかったのが引っかかっていたんですね」
「それから市内の実家にも行きました。親戚で津波に遭った家もあったので。正直、その時はお店を福島で続けるか迷いました。お客さんはいつ来るか分からない。県外に出た方がいいのかなと」
「でもある夜、車でいわきの市街地を走っていたら、暗い街中でおでん屋さんが1軒ぽつんとやっていたんです。それを見て『私たちにもできるかもしれない』と思いました」
「それまでに、『もらったパンのお礼よ』とお肉や靴下をいただいたり、お店を開けている間にもお水をいただいたり、そんないわきの温かさも忘れられず、戻ることを決めました。1週間の休業後、店を再開しました」
「ホワイトデーの予約のお客さんたちとは全員と後日、連絡がとれました。『今は避難所でいつ帰れるか分からないけど、必ず取りに行きます』と電話してきてくれたお客様や、中年男性のお客様は『バレンタインもらったから、ちゃんとお返ししないとな。疲れた時は甘いもの欲しいだろ』とお菓子を受け取る時に話していました」
「こんな大変な時に周りの人を気遣い、律義にバレンタインのお返しができるんだと、心にしみました。ちょっと遅くなったけど、焼き直したお菓子は1件のキャンセルもなくお渡しできました。店は水道管の破裂で使えなくなってしまいましたが、隣に移転することができました」
「でも震災を機にご商売をやめたお店は、この駅前でもいくつもあります。いわきの産業の漁業もまだまだ大変。普通にケーキを喜んでもらえる日常ってとても大切なんだなと、今は思います」
震災直後のホワイトデーにケーキを買った人は、どのような思いだったのでしょうか。同じ、いわき市に住むパート井坂美誉(みよ)さんは、5年前の3月14日、アンジェリークでケーキを買いました。「娘たちの喜ぶ顔が見たくて」。そう話す井坂さん一家には、今もしっかりと、あのケーキの思い出が刻まれています。
「仕事の都合で駅前へ行き、ひと気のなさに驚きました。原発事故で、私も友人たちも不安にかられ避難しようかと迷っていました。だからあのゴーストタウンのような静まりかえった異様な街が、本当に怖かった」
「仕事仲間と数人で食料が買えるところを探しましたが、どこもお店は閉まっていました。すると、1軒の洋菓子店に明かりがついているのが目に入ったのです。店内をのぞくと、ショーケースには色とりどりのケーキが並んでいました」
「山中でキツネかタヌキに化かされたかのような、ヘンゼルとグレーテルがお菓子の家に出会った時のような驚きといえるでしょうか、本当にびっくりしてドアを開けました」
「思わず『このお菓子、売っていただけるんですか』と尋ねました。すると女性の店員さんが『もちろんです、今日はホワイトデーですから』と弾けるような笑顔で答えたのです。ああ、今日は3月14日か。肩から力が抜け、一瞬、日常が戻ってきたような気がしました」
「人間、怖いと甘いものが食べたくなるんですね。うれしくって、イチゴタルトとかパウンドケーキとか数千円分買ってしまいました。高校3年と中学3年の娘たちの喜ぶ顔が見たくて、帰途を急ぎました」
「でも帰りのバスで思ったのです。市内は断水している。この状況下でどうやってこのケーキを焼いたのだろう。きっと苦労があったはず。原発事故で客が来るかどうかも分からない。ケーキを焼き続けたお店の決意に涙がこぼれました」
「その日、2回目の原発の爆発があり、うちは急きょ家族で県外に避難しました。ケーキはご近所や一時身を寄せた先へお礼に差し上げ、結局食べることはできませんでした」
「でもあの日のケーキは忘れません。うちの娘たちは今でも『あの時のケーキ、食べたかったなあ』と言うんですよ」
1/42枚