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「岸壁の母」の物語、世界記憶遺産 二葉百合子・坂本冬美が歌い継ぐ
「世界記憶遺産」に登録された舞鶴市の「引き揚げの記録」。歌謡曲「岸壁の母」の舞台としても知られています。
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「世界記憶遺産」に登録された舞鶴市の「引き揚げの記録」。歌謡曲「岸壁の母」の舞台としても知られています。
ユネスコ(国連教育科学文化機関)の「世界記憶遺産」に、京都府舞鶴市が申請していた「舞鶴への生還―1945~1956シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げの記録―」が登録されました。歌手・二葉百合子さんが歌い大ヒットした、引き揚げ船を待つ母の思いを歌った歌謡曲「岸壁の母」の題材としても知られています。引退した二葉さんの後を継ぐように演歌歌手・坂本冬美さんらによって今も歌い継がれるこの曲も、再注目されそうです。
終戦を迎えた1945年から58年にかけて、大陸から舞鶴港に引き揚げてきた人たちは総計66万人超とされています。大半がシベリア抑留からの帰還者でした。桟橋近くの小学校で用務員として働きながら夫を待つ妻もいたといいます。
「岸壁の母」は、そんな夫や息子の帰りを待ち、引き揚げ船の入港のたび舞鶴に来た女性たちの切ない心情をテーマにした曲です。
54年、「星の流れに」などの「母もの演歌」で知られる歌手の故・菊池章子さんが発表して大ヒット。72年には二葉さんも歌い、再び知られるようになりました。
JR舞鶴線の東舞鶴駅には、岸壁の母の歌碑が建っています。
31年生まれの二葉さんは、浪曲師として3歳で初舞台を踏み、1957年に歌手デビューしました。
しかし、50年代後半になると浪曲人気に陰りがさし、三波春夫や村田英雄らの浪曲師が歌に進出する例が増え始めます。
二葉さんも57年に「女国定」をレコーディング。徐々に歌の仕事が増え、72年に「岸壁の母」の大ヒットが生まれました。菊池さんが歌った元曲に、二葉さんは浪曲でお得意のセリフを入れて歌い、これが当たります。
「岸壁の母」は380万枚を売り上げる大ヒット。76年に紅白歌合戦に初出場を果たしました。当時はまだ戦争の傷痕と記憶が色濃く残っていた時代。国民の涙を誘いました。
衰え知らずのボーカルでこの曲を歌い続けた二葉さんでしたが、2011年に惜しまれながら引退します。
しかし「岸壁の母」は、二葉さんのエネルギッシュな歌唱とあいまって人々の記憶に残り、後進の歌手らに歌い継がれています。
坂本さんは2002年の1年間の休業中、和歌山の実家のテレビで二葉さんが「岸壁の母」を朗々と歌う姿に衝撃を受けたといいます。「『岸壁の母』が胸に突き刺さり、たかが15年で歌えないなんて言っている自分が恥ずかしくなりました」。
迷ったあげく手紙を書き、二葉さんの指導を受けるようになりました。
真剣勝負の歌唱指導を受けたという坂本さんは今も、直伝の「岸壁の母」を情感たっぷりに歌い上げ、舞鶴の母たちの悲しい記憶を、現代に歌い継いでいます。
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