感動
定年する恩師へ「日本一の贈りもの」 14年前の卒業生が富士山へ
定年を迎える恩師のため、教え子たちは全国各地を訪ねて「日本一の材料」を集め、富士山の頂上で卒業証書を書き上げました。
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定年を迎える恩師のため、教え子たちは全国各地を訪ねて「日本一の材料」を集め、富士山の頂上で卒業証書を書き上げました。
36年間、教職一筋だった塩野淳司さん。今年春、60歳で定年を迎えました。14年前の卒業生たちが集まり、先生のために贈り物を企画します。「日本一の先生のために、日本一の卒業証書を贈ろう」。教え子たちは全国各地を訪ねて「日本一の材料」を集め、日本一の山である富士山の頂上で卒業証書を書き上げました。
企画したのは、青木茂さんや板井英子さんら神奈川県立相原高校の国際経済科(当時)の卒業生。3年間同じクラスメートで、ずっと塩野さんが担任でした。
定期的に集まって塩野さんを囲んでいた青木さんたち。定年が近いのを知って「何かイベントをしよう」と考えていましたが、何をするかは、なかなか決まりませんでした。
そんなときにfacebookで見つけたのが、ある大手企業のキャンペーン。「大切な人の節目に〝幸せなハプニング〟を届けたい全ての人を応援する」。応募者と運営事務局が一緒にプランを検討し、準備から実行までの様子を動画にまとめるという企画でした。
およそ200通の応募の中から選ばれ、「日本一の卒業証書」企画はスタートしました。
最初に訪ねたのは、和紙の産地・福井県越前市。手漉きで卒業証書の紙をつくります。
次なる素材は石川県金沢市の金箔(きんぱく)。さきほどの和紙に縁取りをするように張り付けます。奈良市では筆を、山梨県早川町では硯(すずり)を手作りしました。
そして最後に訪れたのが富士山。みんなが集めた日本一の素材を手に、日本一高い山頂へ登り、卒業証書のメッセージを書き上げました。
卒業証書が出来るまでの過程は録画してあり、それを編集。塩野さんを噓の理由で最後に勤めていた学校に呼び出し、1人で見てもらいます。
映像が終わると、スクリーンの向こうから教え子たちが現れ、先生への「卒業証書授与式」が始まりました。
そして卒業証書が手渡されました。
受け取った塩野さんは照れくさそうに笑いながら、冗談めかして、こう話します。
「なんかね、みんな勘違いしてる。すごい、いい先生だったみたいなこと書いてある。そう思いたい気持ちはわかるんだけども。みんなが仲良くできたのは、ぼくの功績じゃないと思うんだけども、みんながそう思えば、それでもいいかなと」
受け取った卒業証書を手に、教え子たちと一緒に並んで記念撮影をしました。
企画した青木さんや受け取った塩野さん、動画製作にあたった監督はどんな思いだったのか? 会って話を聞きました。
「参加者の思いの強さ、喜ばせる相手のことをどれくらい好きかというのが選考基準でした」と話すのは監督を務めた萩原健太郎さん。
「先生の気持ちを知りたい」「先生のこと好きなんだけど、なんでかはわからない」。そう話す青木さんたちと打ち合わせをする中で、こう考えたそうです。
「動画を通じて好きな理由を見つけてもらい、その瞬間だけでなく、その後の人生にも影響を及ぼすようなものを作ろう」
青木さんは、当時のクラスメートと連絡を取り合い、誰にどこに行ってもらうかといった手配をしました。
「『私はここに行きたい』とか『○○が行くなら私も行く』とか大変でした。一番難航したのは、誰が富士山に登るか。クラスは女子の方が圧倒的に多かったので、数少ない男子の中から選びました」
最終的には、40人ほどいた卒業生のうち、事前準備や当日出席も含めて半数の20人ほどが参加しました。
受け取った塩野さんはどうだったのか? 学校に呼び出されたときは「クラスメートの結婚式だから」と青木さんが車で迎えに来たそうです。
「思い出の場所でビデオを撮影している」と食堂へ案内され、教え子たちが日本各地に材料探しに行った動画を見せられます。食堂、渡り廊下、教室と場所を変えながら映像を見て、最後は体育館に。
「なんとなく結婚式じゃなくて、僕のために何かしてくれるんだろうな、という気はしてきましたが、最後に言われるまで、卒業証書をくれるなんてわかりませんでした」
手渡されて苦笑いした塩野さん。当日の感想を照れくさそうに、こう話します。「日本一って、すごい恥ずかしかったですよ。私は生徒思いでも何でもないんです。もちろん仕事の範囲では大事にしてきましたけどね」
企画を終えた今の気持ちを、教え子の板井さんはこう話します。「みんなで力を合わせるなんて、文化祭や体育祭みたいでした。社会人になってからはこんなこともなく、みんなの絆が深まって、より仲良くなれました」
それを聞いた塩野さんが、こう付け加えます。「今回のことが先につながっていくことがうれしいです。連絡がとれなかった仲間とつながったみたいですし。みんなに本当に感謝してます」
監督の萩原さんの「その後の人生にも影響を及ぼすようなものを作ろう」という目標は、達成されたようです。