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陸軍登戸研究所、高まる関心 怪力電波・偽札・風船爆弾…極秘に開発

戦時中、様々な秘密兵器を研究していたことで知られる陸軍登戸研究所。跡地に建つ資料館が「例年の倍」という来場者を集めています。

旧陸軍が偽札を製造していた登戸研究所5号棟の内部。2011年に解体され、今はもうない
旧陸軍が偽札を製造していた登戸研究所5号棟の内部。2011年に解体され、今はもうない 出典: 朝日新聞

目次

 戦時中、「風船爆弾」や「怪力光線」など、様々な秘密兵器を研究していたことで知られる陸軍登戸研究所(神奈川県川崎市多摩区)。跡地に建つ明治大学の「平和教育登戸研究所資料館」で8月から開かれている企画展が、「例年の倍」という来場者を集めています。偽札や生物兵器や人体実験につながる研究も行われていたという登戸研究所。戦後70年の節目に、戦争の持つ「もう一つの顔」への関心が高まっています。

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敗戦時、証拠を徹底的に隠滅

 登戸研究所は、1937年に設置されました。最盛期には約千人が働いていました。敗戦時に関係書類や実験道具を焼却するなど徹底的に証拠を隠滅し、公文書は全く残っていません。

1999年6月撮影の旧陸軍「登戸研究所」の建物の一部=川崎市多摩区の明治大学生田キャンパスで
1999年6月撮影の旧陸軍「登戸研究所」の建物の一部=川崎市多摩区の明治大学生田キャンパスで 出典: 朝日新聞
1937年に設置。秘密戦の兵器や資材の研究開発のため、最盛期には約千人が働いていた。敗戦で解散。50年に明治大学が敷地の約半分と87棟の建物を買い、生田キャンパスに。建て替えが進み、資料館が87棟のうち最後の1棟になった。
2013年9月27日:(?ふしぎ探検隊)旧陸軍登戸研究所 川崎市多摩区 風船爆弾・偽札造りまで:朝日新聞紙面から
敗戦時に関係書類や実験道具を焼却するなど徹底的に証拠を隠滅し、公文書は全く残っていない。中国本土で工作にあたった憲兵らは戦後、BC級戦犯として処刑された例が多く、登戸研究所関係者の口を堅くさせたという。
2013年9月27日:(?ふしぎ探検隊)旧陸軍登戸研究所 川崎市多摩区 風船爆弾・偽札造りまで:朝日新聞紙面から

生物兵器でもあった風船爆弾

 登戸研究所が開発した兵器として知られるのが「風船爆弾」です。和紙をコンニャクのりで貼った直径約10メートルの気球に、爆弾や焼夷(しょうい)弾をつるし、千葉や茨城から約9300発を発射。1割ほどが米本土に届き、6人の死者が出たとされています。

 実は「風船爆弾」には生物兵器という目的がありました。登戸研究所では全米の牛を死滅させる牛疫ウイルスを生産していました。ウイルスを風船爆弾に積んでアメリカ本土にばらまく計画もあったと言われています。

資料館には、登戸研究所で開発していた風船爆弾の模型も展示されている=2013年4月27日、川崎市多摩区
資料館には、登戸研究所で開発していた風船爆弾の模型も展示されている=2013年4月27日、川崎市多摩区 出典: 朝日新聞
旧日本軍が米国の本土攻撃に向けた秘密兵器として開発。全国の紙産地などで製造された。和紙をコンニャクのりで貼った直径約10メートルの気球に、爆弾や焼夷(しょうい)弾をつるし、千葉や茨城から約9300発を発射。1割ほどが米本土に届き、6人の死者が出たとされる。
2015年2月12日:(戦後70年)風船爆弾づくり、今は後悔 「考える材料」後輩に伝える:朝日新聞紙面から
開発された兵器として有名なのは「風船爆弾」。直径10メートルの巨大風船に焼夷(しょうい)弾をぶら下げて、米国本土を狙った。和紙をコンニャクで貼り合わせて風船を造った、と聞くと苦し紛れの兵器だったのか。しかし、気圧計に連動し、バラストを落として高度を調整するハイテクが組み合わされ、ジェット気流に乗って米国本土に二昼夜半で到達したという。
2013年9月27日:(?ふしぎ探検隊)旧陸軍登戸研究所 川崎市多摩区 風船爆弾・偽札造りまで:朝日新聞紙面から
1944年11月から45年3月までに9300発を発射、約千発が到着。6人の死者が出たというが、風船爆弾の本当の目的は他にあった。登戸研究所資料館館長の山田朗・明大教授は「生物兵器の搭載です。研究所では全米の牛を死滅させる量の牛疫ウイルスを生産していました」
2013年9月27日:(?ふしぎ探検隊)旧陸軍登戸研究所 川崎市多摩区 風船爆弾・偽札造りまで:朝日新聞紙面から
当時の建物を生かし明大が造った平和教育登戸研究所資料館に風船爆弾を展示するコーナーがある。解説によると、原料には薄くて丈夫な特別規格の和紙を使い、高度維持装置も備えていた。各分野の高名な科学者が開発に携わった。当初は牛疫ウイルスという病原体を使った生物兵器を搭載する計画もあったという。
2014年8月14日:(ふ号作戦 風船爆弾の記憶:下)動員体験、次世代へ:朝日新聞紙面から

「怪力電波」に莫大な予算

 現実離れした兵器も研究されていました。「怪力電波」と呼ばれる電波を使った兵器です。元研究員の山田愿蔵(げんぞう)さんは2003年8月、次のように証言しています。

 「当時、『放送局のアンテナの近くで照明が明滅したり、自動車がエンストしたりした』という話があった。陸軍はこれに注目し、兵器にできないかと研究を進めたのです」

 新兵器は「怪力電波」と呼ばれ、旧かなづかいの「くわいりき」の頭文字を取って「く号」と名付けられました。莫大な研究費もつきました。しかし、強力にしてもウサギを数分で殺すのが限界で、最終的に「兵器になり得ない」と判断。計画は変更され、研究対象はレーダーに移りました。

「ウサギじゃなく、人間で実験したいよな」

 山田さんは、研究所の先輩が発した言葉が、ずっと心に残っていたと語っています。

旧日本軍の研究施設をそのまま活用した国内唯一の資料館。植物を枯死させる細菌兵器を開発した建物だった=2013年9月21日、川崎市多摩区
旧日本軍の研究施設をそのまま活用した国内唯一の資料館。植物を枯死させる細菌兵器を開発した建物だった=2013年9月21日、川崎市多摩区 出典: 朝日新聞
「当時、『放送局のアンテナの近くで照明が明滅したり、自動車がエンストしたりした』という話があった。陸軍はこれに注目し、兵器にできないかと研究を進めたのです」。元研究員の山田愿蔵(げんぞう)さん(90)=埼玉県狭山市=は話す。開発をめざした新兵器は「怪力電波」と呼ばれ、旧かなづかいの「くわいりき」の頭文字を取って「く号」と名付けられた。山田さんにも莫大(ばくだい)な研究費がついた。しかし、強力にしてもウサギを数分で殺すのが限界。「兵器になり得ない」。山田さんたちは上層部には黙って研究の中心をレーダーに移した。
2003年8月9日:怪力電波(語り継ぐ人たち 陸軍登戸研究所:3):朝日新聞紙面から

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