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陸軍登戸研究所、高まる関心 怪力電波・偽札・風船爆弾…極秘に開発
戦時中、様々な秘密兵器を研究していたことで知られる陸軍登戸研究所。跡地に建つ資料館が「例年の倍」という来場者を集めています。
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戦時中、様々な秘密兵器を研究していたことで知られる陸軍登戸研究所。跡地に建つ資料館が「例年の倍」という来場者を集めています。
戦時中、「風船爆弾」や「怪力光線」など、様々な秘密兵器を研究していたことで知られる陸軍登戸研究所(神奈川県川崎市多摩区)。跡地に建つ明治大学の「平和教育登戸研究所資料館」で8月から開かれている企画展が、「例年の倍」という来場者を集めています。偽札や生物兵器や人体実験につながる研究も行われていたという登戸研究所。戦後70年の節目に、戦争の持つ「もう一つの顔」への関心が高まっています。
登戸研究所は、1937年に設置されました。最盛期には約千人が働いていました。敗戦時に関係書類や実験道具を焼却するなど徹底的に証拠を隠滅し、公文書は全く残っていません。
登戸研究所が開発した兵器として知られるのが「風船爆弾」です。和紙をコンニャクのりで貼った直径約10メートルの気球に、爆弾や焼夷(しょうい)弾をつるし、千葉や茨城から約9300発を発射。1割ほどが米本土に届き、6人の死者が出たとされています。
実は「風船爆弾」には生物兵器という目的がありました。登戸研究所では全米の牛を死滅させる牛疫ウイルスを生産していました。ウイルスを風船爆弾に積んでアメリカ本土にばらまく計画もあったと言われています。
現実離れした兵器も研究されていました。「怪力電波」と呼ばれる電波を使った兵器です。元研究員の山田愿蔵(げんぞう)さんは2003年8月、次のように証言しています。
「当時、『放送局のアンテナの近くで照明が明滅したり、自動車がエンストしたりした』という話があった。陸軍はこれに注目し、兵器にできないかと研究を進めたのです」
新兵器は「怪力電波」と呼ばれ、旧かなづかいの「くわいりき」の頭文字を取って「く号」と名付けられました。莫大な研究費もつきました。しかし、強力にしてもウサギを数分で殺すのが限界で、最終的に「兵器になり得ない」と判断。計画は変更され、研究対象はレーダーに移りました。
「ウサギじゃなく、人間で実験したいよな」
山田さんは、研究所の先輩が発した言葉が、ずっと心に残っていたと語っています。
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