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陸軍登戸研究所、高まる関心 怪力電波・偽札・風船爆弾…極秘に開発
戦時中、様々な秘密兵器を研究していたことで知られる陸軍登戸研究所。跡地に建つ資料館が「例年の倍」という来場者を集めています。
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戦時中、様々な秘密兵器を研究していたことで知られる陸軍登戸研究所。跡地に建つ資料館が「例年の倍」という来場者を集めています。
登戸研究所では「偽札」も作られていました。中国経済の混乱を狙ったものでした。偽札製造に関わっていた元研究員によると、当初は失敗の連続で、インクがうまくのらず、すぐに偽札だとばれてしまう状態でした。試行錯誤の結果、1940年ごろにはすぐには偽札だとわからないものが作れるようになりました。
偽札作戦は「杉工作」と呼ばれ、中国では「松機関」という秘密結社が担当していました。1945年4月には、空襲を逃れて福井県に研究所ごと疎開します。現地の製紙工場を借り上げますが、機器の搬入がうまくいかず、そのままま敗戦に。研究員の中には名古屋市内で印刷会社を立ち上げた人もいました。
登戸研究所は1950年に明治大学が敷地の約半分と87棟の建物を買い、生田キャンパスになりました。建て替えが進み、資料館が87棟のうち最後の1棟になっています。現在は明治大学の「平和教育登戸研究所資料館」として、秘密兵器の歴史を紹介するなど、様々な活動をしています。
8月5日から開かれている展示「NOBORITO 1945 -登戸研究所 70年前の真実-」について、資料館の担当者は「通常の展示よりも問い合わせが多く、倍くらいの来場者が訪れています」と話しています。展示では当時、登戸研究所で研究されていた兵器について、その実態を豊富な資料を使って紹介しています。
「戦後70年という節目もあり、秘密兵器に関わっていた登戸研究所への注目が高まっているようです。展示を通して新しい世代にも戦争の記憶を継承してもらいたいです」
登戸研究所資料館では8月5日(水)より企画展「NOBORITO1945 -登戸研究所70年前の真実-」を開始いたします。HPでも告知を始めました!詳細はこちら↓よりご覧ください。http://t.co/wgNO0zrL9E pic.twitter.com/aJKgZZsPPE
— 平和教育登戸研究所資料館 (@meiji_noborito) 2015, 7月 9