旧陸軍の秘密機関「登戸研究所」 偽札・風船爆弾・怪力電波…
戦時中は登戸研究所の偽札工場として使われていたといわれる5号棟=明治大学提供
資料館の脇にある通称「弾薬庫」。室内は狭く、実際には薬品の保管庫に使われたらしい=2013年9月21日、川崎市多摩区の明治大学生田キャンパスで
戦時中、偽札印刷の工場として使われたとされる木造建物。登戸研究所の中でも「最も秘密の場所」とされていた=2007年6月30日、川崎市多摩区の明治大学生田キャンパスで
登戸研究所で確認された偽札用紙。孫文の横顔のすかしがある=明治大学平和教育登戸研究所資料館提供
登戸研究所5号棟で製造されていた偽札(登戸研究所資料館所蔵)
登戸研究所5号棟で製造されていた偽札(登戸研究所資料館所蔵)
偽札製造に関わっていたことを証言した旧陸軍「登戸研究所」研究員・川津敬介さん=2011年2月18日
登戸研究所で製造された中国紙幣。大陸での物資調達にも使われたとされる=アジアディスパッチ提供
偽札印刷のための倉庫として使われていた木造建物の前では見学者から質問が相次いでいた=2007年6月30日、川崎市多摩区の明治大学生田キャンパスで
登戸研究所5号棟。中国国民党政府の偽札を製造していた=2011年2月20日、川崎市多摩区の明治大学生田キャンパスで
陸軍登戸研究所の跡地にできた明大生田キャンパス=明治大学史資料センター所蔵
陸軍登戸研究所の関係者に取材する日本映画学校の学生=アジアディスパッチ提供
研究所跡の見学会で説明を聞く参加者たち=2003年5月11日、川崎市多摩区の明治大学生田キャンパスで
最後の一般見学会が開かれた登戸研究所5号棟=2011年2月20日、川崎市多摩区の明治大学生田キャンパスで
解体が決まった登戸研究所5号棟。中国国民党政府の偽札を製造していた=2011年2月20日、川崎市多摩区の明治大学生田キャンパスで
偽札がつくられていた部屋で説明を聞く見学者ら=2011年2月20日、川崎市多摩区の明治大学生田キャンパスで
解体が進む登戸研究所5号棟=2011年2月25日、川崎市多摩区の明治大学生田キャンパスで
資料館で展示されている品々。細菌戦に備えて開発されたと見られる濾過器など=2008年11月17日、川崎市多摩区の明治大学生田キャンパス
登戸研究所の絵本を手にする編集者ら=2014年7月30日、川崎市役所
保存の会が作製した冊子「あなたは旧陸軍登戸研究所を知っていますか?」=2008年4月28日
発見された279枚のつづり。表題として、日本の傀儡国家だった汪兆銘政権の紙幣に由来する「儲備券用紙」と書かれていた=明治大学平和教育登戸研究所資料館提供
登戸研究所36号棟=2007年6月30日、川崎市多摩区の明治大学生田キャンパスで
登戸研究所の施設をそのまま活用した資料館。植物を枯死させる細菌兵器を開発した建物だった=2013年9月21日、川崎市多摩区の明治大学生田キャンパス
明治大学が「戦争遺跡」として保存に取り組む旧陸軍「登戸研究所」の建物の一部=1999年6月17日、川崎市多摩区の明治大学生田キャンパスで
登戸研究所の元職員が保管していた「石井式濾水機」の円筒を持つ渡辺賢二さん。手前にあるのは研究所内で製造されていた偽札。「どちらも今の生活でも使われているもの。これを武器に変えるのが戦争なんです」=2007年8月1日
資料館の展示の様子=2015年1月10日、川崎市多摩区の明治大学生田キャンパス
資料館で展示されている風船爆弾の模型=2013年4月27日、川崎市多摩区の明治大学生田キャンパス
風船爆弾打ち上げ基地跡で、当時の様子について語る秦聖佑さん(左)と上映委員会代表の宗形祥子さん=2012年11月14日、千葉県一宮町
風船爆弾を放球する様子
風船爆弾を放球する様子
風船爆弾を放球する様子
風船爆弾を放球する様子
アメリカの国立スミソニアン博物館所蔵の旧日本陸軍の風船爆弾
風船爆弾工場となっていた日劇前で昼休みをとる「女子勤労隊」=1944年11月
風船爆弾の球皮の一部とマニラ麻のロープの一部=いわき市の勿来関文学歴史館で
試作された直径3メートルの紙風船=2007年5月14日、愛媛県四国中央市で
風船爆弾の復元模型や写真などが並ぶ会場=静岡市葵区相生町で
女子高校らによる「風船爆弾」を模した巨大紙風船づくり=2007年6月15日
1944年3月に出された風船爆弾の用紙研究の命令書。題目は「気球用紙加工試験」、試験の目的は、強靱で気密な、気球用の紙をつくるための研究をすることだった
回転板の反対側に気圧計が載っている。左下の接点が導火線につながっていたらしい=2007年12月11日
展示された風船爆弾の実物大の模型=1999年8月7日
旧日本海軍が作った小型の風船爆弾=会津若松市の福島県立博物館