お金と仕事
もう1つのマッサン 信州マルスウイスキー 竹鶴ノート元に世界的賞
信州に、もう1つのマッサンの物語がありました。竹鶴政孝を英国に送り出した、当時の上司、岩井喜一郎。通称「竹鶴ノート」を元に蒸留所を開き世界的な賞も獲得しています。
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信州に、もう1つのマッサンの物語がありました。竹鶴政孝を英国に送り出した、当時の上司、岩井喜一郎。通称「竹鶴ノート」を元に蒸留所を開き世界的な賞も獲得しています。
信州に、もう1つのマッサンの物語がありました。マッサンのモデルとなった竹鶴政孝をスコットランド留学に送り出した、当時の会社の上司、岩井喜一郎(1883~1966)は、竹鶴から提出された通称「竹鶴ノート」を元に、ウイスキーの蒸留所を開設。蒸留所のウイスキーは2013年に世界的な賞を獲得するなど、国産ウイスキーの発展に貢献しています。
NHK朝の連ドラ「マッサン」は、高い視聴率を維持したまま3月28日、感動の最終回に。玉山鉄二さんと、シャーロット・ケイト・フォックスさんが演じるマッサン夫婦の姿に多くの人が共感。ドラマ本編が好評だったことから、スピンオフの番組が作られることも決まっています。
竹鶴は大阪高等工業学校(現大阪大学)を卒業後、大阪の摂津酒造へ入社。社命によりスコットランドへ渡ります。この時の上司が、岩井喜一郎でした。摂津酒造は、竹鶴の帰国後、ウイスキー事業から撤退したため、竹鶴は退社します。その後、寿屋(後のサントリー)に移り、国産ウイスキーの夢を実現。さらにウイスキーの理想郷を求め、北海道余市に蒸留所を開きます。
岩井は、竹鶴からスコットランドでの経験をまとめた「竹鶴ノート」を受け取っていたと言われています。この「竹鶴ノート」を元に、岩井自身も1949年にウイスキー作りに取り組みます。1960年には、山梨でウイスキー蒸留工場設計と指導に携わりました。岩井の死後の1985年、長野県宮田村に「信州マルス蒸留所」が生まれ、現在に至ります。
「信州マルス蒸留所」は、一時、閉鎖の危機にも直面しました。酒税制度が変わり、主力商品だった2級ウイスキーが2倍の値段になる一方で、輸入物が手頃な価格になり、国産品の需要は低迷しました。結果、1992年を最後に製造を休止しました。
完全に撤退する案も出ましたが、ハイボールブームをきっかけに需要が増え、2011年3月、製造を再開しました。2013年には世界最高峰のウイスキー品評会「ワールド・ウイスキー・アワード(WWA)2013」で、「マルスモルテージ3プラス25 28年」が世界最高賞を受賞。国内の大手メーカーをはじめ、世界の名だたるウイスキーと競って勝ち取りました。
信州マルス蒸留所を運営する本坊酒造の本坊修社長は、世界最高賞の受賞あいさつで「1949年からウイスキーに取り組んで、ここまで来た。受賞をもう一つのスタートラインとして、世界に日本のウイスキーを発信していきたい」と語っています。
「いつか日本の風土を生かした本物のウイスキーを造りたい」という思いで生まれたという信州マルス蒸留所。けっして大きな蒸留所ではありませんが、地元でしか作れないウイスキーを追い求めてきました。そんな信州マルス蒸留所の礎を築いた岩井喜一郎は、まさに、もう1人のマッサンともいえる人物でした。