連載
#28 #カミサマに満ちたセカイ
「もう耐えられない」29歳ニートの〝懺悔ツイート〟後に起きたこと
「俺の人生なんだったの」魂の叫び
大学を卒業後、いわゆる「ニート」として生きてきた男性がいます。学校の級友から受けた心ない仕打ちのため、人とつながれている実感が薄れた思春期。当時の痛みを引きずり続け、半ば人生を諦め、働くことも放棄しました。しかし30代を目前にして、自ら「モラトリアム」に終止符を打とうと決めたのです。「もう夢を見る余裕はない、強くなりたい」。一人の青年が、生き直しを図るまでの日々を追いました。(withnews編集部・神戸郁人)
学生時代、同級生の嫌がらせにより、クラスに居場所を見いだせなくなったこと。「自由に生きたい」と就職活動をせず、ニート生活を送っていること。SNS上のインフルエンサーに心酔した末、ある日突然、社会で孤立していると気づいたこと……。
30以上の投稿に並んだ生々しい言葉は、まるで懺悔(ざんげ)のようです。同時に、後ろ暗い過去と誠実に向き合い、やり直したいという思いにもあふれていました。4万以上の「いいね」がついたツイートを見ると、共感や励ましのコメントが連なっています。
発信者は、大学を卒業後、無職のまま3年ほど実家で過ごしているという29歳。どういった経緯で、今の暮らしに至ったのか。なぜ胸の内にある感情を、ツイッター上で絞り出したのか。直接答えが聞きたくなり、連絡を取りました。
社畜なんてなるか!とイキってたニートの末路を書く。
— とあるニートの末路(トニー) (@ikisugi111) November 22, 2020
29歳無職、友達ゼロ。2浪2留ぼっち陰キャが成功者やインフルエンサーに影響され勘違いして、意識だけ高いニートになって3年
その結果、何も成し遂げられず仕事も遊びも恋愛も人間関係も何一つまともにできず20代終わった。
俺の人生なんだったの
今年1月上旬、オンライン通話でやり取りした男性は、「トニー」と名乗りました。匿名を条件に取材に応じ、画面上にはツイッターアカウントと同じ、黒一色のアイコンが映し出されています。
ニートになった「原体験」は何だったのですか――。尋ねてみると、ゆっくりと言葉を紡ぐように、中高時代の思い出を話し始めました。
学生時代のトニーさんは目立たず、引っ込み思案な性格でした。そのため周囲の人に、弱々しい印象を与えがちだったそうです。中学時代、同級生に付けられたあだ名は「ゾンビ」「お化け」。直接的な暴力こそなかったものの、尊厳を傷つけられる日々でした。
「自信のなさや、暗い感じが伝わったんでしょうね。同じ組の生徒全員から、下に見られていたと思います。同じ小学校出身の友達はいましたが、相談はできなかった。深い仲ではありませんでしたから。そういうものだと思って、周りからの仕打ちを受け入れていました」
地元の高校に進んでからは、状況は更に悪化します。入学早々、クラスで後ろの席だった男子生徒から、悪態をつかれるようになったのです。理由は「たまたま話しかけたこと」でした。
名前順が近いため、体育の授業でペアを組まされたり、同じ運動部で一緒に練習させられたり。ことあるごとに陰口をたたかれました。部活の合宿で、トニーさんとゲームに興じていたチームメートも、次第に同調するようになったといいます。
「男子生徒は容姿端麗で、運動や勉強も得意な『陽キャ』。とても逆らえず、自分に貼られた『陰キャ』のレッテルをはがせなかったんです。完全に『学習性無力感』に陥っていたと思います。それでも、学校を休んだり、転校したりする気力はありませんでした」
部活を1年で辞めると、自宅と学校を往復する日々を送ります。帰宅後は、ひたすらテレビゲームをやり込んだり、インターネット掲示板に入り浸ったりしていました。
むくむくと膨れ上がる青春への憧れと、級友への妬(ねた)み。「俺は、お前たちとは違うんだ!」。勉強に恋愛にと、忙しい日々を送る他の生徒に対し、そんな感情を抱くようになっていきました。
苦しみは、トニーさんの胸の内に積み重なりました。しかし幼い頃に離婚し、女手一つで育ててくれた母には、心配をかけまいと黙っていたといいます。
「本心を打ち明けられなかったのは、自分の生活に対する母の態度を、〝過干渉〟と受け止めてしまったこともあります。何かしようとすると先回りされたり、世話を焼かれたりして。いつまでも子ども扱いされている気になり、結果的に、主体性や自信が育たなかったようにも思います」
「また、気が強い姉と、母がけんかすることもしばしばだったんです。二人の様子を見るうち、衝突を避けるようになりました」
その後トニーさんは、2浪した末、東京都内にある大学の法学部に入ります。人間関係が従来ほど濃密ではなくなり、「それまでマイナスだったものがゼロになった」。それでも、他人に心を開けないのは相変わらずでした。
講義中、気が合う学生と出会えたこともあります。しかし「自分なんかといて楽しいのか」と、自ら距離を置いてしまったのです。他の人と同じように、コミュニケーションを取れない……。一歩踏み出そうとするたび、劣等感が噴き出し、勇気を打ち砕きました。
サークル活動は、2年生のとき三つの団体に所属したものの、場の雰囲気になじめず全て脱退。加えて、難解な法律の授業も重荷となりました。孤独感からゲーム依存になった時期を挟み、2回の留年を経験します。
「唯一、広告会社で2年ほど、校閲作業などのアルバイトを続けました。それ以外は何一つ結果を出せていない。自分自身に対する諦めの気持ちは、すさまじいものでした」
4年生になると、いわゆる自己啓発に傾倒します。きっかけは、ある著名人が出演している動画を、YouTube上で偶然見つけたことでした。
「働かなくても、生活保護で生きれば良い」「日本で暮らしていれば、最悪でも死にはしない」。極端な主張ではあるけれど、「主流派」になれない自分を肯定してくれている――。そう感じられたのです。
ビジネス書を買い込み、SNS上で、インフルエンサーと呼ばれる人々を次々フォロー。起業家や作家、ネットビジネス関係者に至るまで、様々な人物の言葉を飲み込んでいきます。周囲の学生が就職活動を始めても、「レールに乗りたくない」と拒みました。
そして約3年前、無職のまま大学を卒業し、ニート生活に入ります。当初、焦りは全くありませんでした。インターネットを通じて、社会と交信できている気がしたからです。中でもツイッターは、世界と自分とをつなぐ「窓」になりました。
自作のゲーム実況動画を披露したり、尊敬するインフルエンサーの講演会に行った後、会場の様子を報告したり。ツイッター上で支持を集めている人物にならい、日々達成できたことについて、積極的に発信した時期もありました。
「もっとあなたのコンテンツが見たい」「とても共感できる」。ぽつり、ぽつりと、投稿に良い反応が寄せられ始めます。次第に数百単位の「いいね」がつくことも増え、トニーさんは自信を深めていきました。
「このままいけば、人生が良い方向に転がるかもしれない。そんな思いでツイートを続けるうち、フォロワーが1千人を超えた。これは、自分にとって大きな成果でした。承認欲求が満たされ、『成長できている』という実感も得られました」
「でも1年、2年と続けるうち、他人から評価されるのが怖くなってきた。次第に批判されない方法ばかり考えるようになったんです。悩みすぎて、一ヶ月全く投稿できないことが、断続的に続きました。並行して書いていたブログも、いつしか更新が滞りました」
更に、決定的な出来事が起こります。昨年10月、近所のショッピングモールを訪れたときのことです。29歳になったばかりのトニーさんは、広場のソファに座り、道行く家族連れやカップルの姿を眺めていました。そのとき不意に、猛烈な焦燥感に襲われたのです。
「働いてお金を稼ぎ、結婚して子どもを育てる。そんな『普通の幸せ』を、自分は得られないのではないか。20代も終わりに差し掛かったからか、そんな思いに駆られ、強い悲しみを覚えました」
「30代になると、世間からのまなざしが変わるでしょう。就職するのも厳しくなると、ネット上の情報で知りました。自分はブログも動画も続けられず、全てが中途半端だった。このまま働かず、年ばかり取った先の未来を想像して、恐ろしくなったんです」
大学時代、就職活動を避けたのは、面接で自分の空虚さを見破られたくなかったから。そして、インフルエンサーたちは、人生の責任を決して取ってくれない……。無視し続けてきた現実が、巨大な壁として目の前に立ち塞がりました。
トニーさんは、次第に気力を失い、一日中寝て過ごすことが増えていきました。そんな状況下で書き連ねたのが、冒頭で触れたツイート群です。
「私のことかと思った」「一人じゃない気がした」。精神的に追い込まれた末の行動でしたが、反応は温かいものが大半でした。そしてアカウントのフォロワーも、6千人を上回ったのです。トニーさんは振り返ります。
「誰かに評価され、褒めてもらえた。もう何も期待していなかったけれど……。正直、希望が持てました。こんな自分にも、価値があるんじゃないかって思えたんです」
昨年11月、トニーさんは定職を探し始めました。地元のハローワークに通い、これまでの経緯について、担当者に打ち明けたそうです。今後、資格の取得や、一人暮らしに向けた準備も進めたいと考えています。
ただ、道のりは平坦(へいたん)ではありません。たびたび息苦しさで動けなくなったり、ふとした瞬間に自責の念にさいなまれたりと、一進一退の毎日です。まずは経済的に自立することを目標に、チャレンジを続けています。
加えて、母となるべく顔を合わせないようにしているといいます。自分に寄り添ってくれたことに対する感謝の念の強さゆえ、主義主張を表明できなかった。そんな感覚から、これ以上依存してはならないと、適切な距離を探っています。
今までの暮らしに、未練はないのですか――。あえて尋ねてみると、少し間を置いて、こんな答えが返ってきました。
「もちろん、快適な環境で、働かないまま生活することも可能でしょう。でも、それでは成長できない。他人の目を気にして、楽な方へと流れ続けるのは、もう耐えられません」
「自分の力で、自分の人生を生きているという実感がほしいんです。もう夢を見る余裕はない。強くなりたいと思っています」
約3時間に及んだ、トニーさんへのインタビュー。一つ一つの質問に対し、訥々(とつとつ)と、かつ真摯(しんし)に答える様子が記憶に残っています。その都度、思いを言葉に当てはめながら、まっすぐ向き合ってくれました。
トニーさんのツイートには、自らの過去に関する、精確な分析がつづられていました。初めて読んだ際に受けた、聡明(そうめい)な印象は、実際に語らった後も変わりません。一方、「この人は、たった一人で、自分を持て余してきたのだろう」との感想も抱きました。
取材中、トニーさんが繰り返したフレーズがあります。「身の上話を真剣に聞いてもらえたのは初めて」。言いたいことが山ほどあるのに、耳を傾けてもらえない。あるいは始めから伝えるのを諦めてしまう。自尊心を奪われ続けた日々を思えば、無理もないはずです。
親元で暮らし、衣食住が満たされても、無力感を抱えて過ごすことは困難でしょう。トニーさんの心の空白を埋めたのは、インフルエンサーの言葉でした。彼ら・彼女らが語る「物語」こそが、自らを虐げる世界への対抗手段であると考えてしまったことは、想像に難くありません。
その判断を「軽率」と切り捨てるのは簡単だと思います。「昔の記憶にとらわれる必要はない」という意見も寄せられそうです。しかし、たとえば私が同じ状況に陥ったとき、何にもすがらずに日々を越えられるのか。そう考えると、決して笑えないのです。
生き直しの一歩を踏み出したトニーさん。彼にとって、そのための導き手は、インフルエンサーの存在でした。一時的な現実逃避ではあっても、人生の足場を固める上でよすがになったことは、否定できないのではないでしょうか。
トニーさんは、その段階から先に進み、等身大の自分自身と格闘しています。同世代より遅めの船出かもしれません。それでも、お仕着せの希望ではなく、心から納得できる生き方を見つけてもらいたい。明るい未来をつかんだとき、どのような話が聞けるのか楽しみです。
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