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連載

#21 #カミサマに満ちたセカイ

「自己啓発本」編集者が明かす「言葉のドーピング」それでも作る理由

成長し続けるための「麻薬」という本質

前向きに生きれば、必ず成功できるーー。そんな「原理」をうたう自己啓発本は、なぜ日本に根付いたのか。書籍編集者の言葉からひもとき、その本質について考えます
前向きに生きれば、必ず成功できるーー。そんな「原理」をうたう自己啓発本は、なぜ日本に根付いたのか。書籍編集者の言葉からひもとき、その本質について考えます 出典: (c)kame

目次

ちまたにあふれる「自己啓発本」。需要は衰えることを知らず、毎月のように新刊が発売され、書店の棚をにぎわせています。その多くは社会的成功者の言葉を通じ、気持ちをもりたてるメッセージを伝えるものです。一方、熱心な読者を囲い込み、搾取するビジネスにつながりかねないとして、批判の的にもなってきました。「啓発本には、成長を求め続けるため、人々をハイにさせる『麻薬』のような側面がある」。自らも類書の出版に携わってきた、書籍編集者の言葉から、その本質について考えます。(withnews編集部・神戸郁人)

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経済成長なき時代の「言葉の麻薬」

今回話を聞いたのは、東京都の出版社・KKベストセラーズの編集者、鈴木康成さんです。30年近い業歴を踏まえ、自己啓発本が日本に根付いてきた歴史をひもときつつ、出版界の現状と、良書の条件に関する思いを語ってもらいました。



私が出版社に入ったのは1990年代中盤。バブル景気が終わり、まだその残り香が若干あった時代です。自己啓発本と呼ばれる書籍は、既に数多く世に出ていました。新書としての体裁が主であり、「いかによりよく生きるべきか」というテーマで、1960年代終わりから盛んに出版されていたようです。

「今日よりも明日はよくなる」と漠然と信じられた時代。啓発本も成功者の豪快談や痛快談の連続で、今読めば「のんきだな」と思える内容も少なくありません。けれど読者は「自分の殻を破ってくれそう」「著者に比べれば自分の悩みは小さい」と感じていたのでしょう。

本の謳(うた)い文句も「ゼロからのスタートで大金持ち」「バカでも成功できる」「女にモテまくる口説き方」といった、脂っこい欲望を喚起するものが多かったように思えます。「金」「仕事」「女」での成功という、昭和の価値観を引きずっていたのです。

その点で言えば、啓発本に親しむことは、「成功のロールモデル探し」でもありました。90年代にバブルが崩壊し、社会に暗雲がたれ込み始めても、まだそうした流れは続いていた。自己啓発本には、当時も今も、精神的な「言葉の麻薬」という側面があると思います。

もっとも、日本の実質的な経済成長は、1970年代半ばにして終了。バブルへとつながっていきますが、それでも更なる経済の推進力は求められ続けました。

KKベストセラーズの編集者、鈴木康成さん。
KKベストセラーズの編集者、鈴木康成さん。 出典: 神戸郁人撮影

ITバブルが招いた「まやかしの時代」

努力しても、実績がなかなか伴わない。そんな時代に、「会社人間」たちは自分を鼓舞するため、自己啓発本から「麻薬」としての言葉を「ドーピング」する必要があったのかもしれません。それが90年代終わりから2000年代だったと思います。

2000年代前半に日本を覆ったのが、インターネットの勃興とともに起こった「ITバブル」。IT起業家の言葉が自己啓発本の形をとり流通しました。それを読み「俺にもパソコンで仕事の鉱脈を見つけられるんじゃないか」と奮起する図式が、再生産されたのです。

好きなことを諦めず、こつこつ努力する。与えられた仕事に楽しみを見つけ、続ける。それこそが成功の前提だと考えます。ただ、当時は「成功=金儲け」という単純な図式が一気に蔓延(まんえん)しました。コストパフォーマンスをよくして、とにかく早く数字で結果をたたき出す。そのようにして「スピードと結果」が重視されるようになっていきました。

インターネットの影響は大きかったでしょう。簡単に株がネット上で売買できますし、実際にIT産業がものすごいスピードで急成長していましたから。更に「金持ちになれるよ」という誘い文句で、ネットワークビジネスなどが盛んになり始めた頃とも重なります。

東京・港区の六本木ヒルズ。2000年代、ビジネスにおける成功の象徴と見なされ、IT長者たちが競うようにオフィスを構えた。現在もグローバル企業の日本支社などが軒を連ねる。
東京・港区の六本木ヒルズ。2000年代、ビジネスにおける成功の象徴と見なされ、IT長者たちが競うようにオフィスを構えた。現在もグローバル企業の日本支社などが軒を連ねる。 出典: PIXTA

こうした時代状況を背景に、自己啓発本のテーマも「いかに効率よく金を稼ぐ人間になるか」が主流となりました。その先に、投資術やFX術を扱う実用書がセットで幅を利かせるようになったのが、2000年代という「まやかしの時代」だったとも思います。

一方、「適職探し=自分探し」をテーマとした書籍も多く見受けられました。「ロールモデルなき時代をいかに生きるか」に関心が集まったために、「自分は何を欲し、何ができるのか」を掘り下げる作業が流行したのです。

それとともに「学び直し」のブームが始まります。「地頭を鍛える」とか、「教養力を高める」とかいった自己啓発本が花盛りとなりました。これは言ってみれば、目的と手段の関係が逆転し、手段が目的化したようなもの。その流れの中で、「大人の勉強法」も自己啓発本の売れ筋商品になったと思います。

ITバブルを通じ、株取引や投資で結果を出すことが、成功者への近道と目されるようになった。(画像はイメージ)
ITバブルを通じ、株取引や投資で結果を出すことが、成功者への近道と目されるようになった。(画像はイメージ) 出典: PIXTA

震災で高まった社会不安、そして「筋トレ」へ

話を戻しましょう。私は2004年、『CIRCUS(サーカス)』という男性総合誌を創刊しました(2014年に休刊)。その中に、IT起業家の仕事術やライフスタイルを紹介するコーナーがあったんです。

高級な車や調度品を買いそろえるなど、彼らの生活ぶりは、バブル期を焼き直しているようでした。まさに昭和の「成功テンプレート」を、そのままなぞっていた。そして読者の間では、まだ経済成長への憧れや、「あなたもやればできる」という論調が息づいていたのです。本の作り手、読み手とも、昭和的なロールモデルから離れられなかったんですね。

ところが2010年代、特に11年の東日本大震災以降は景気の悪化とともに、懸命に働いても「すぐに年収が上がらない」「なかなか出世もできない」という人が、更に増えていきます。

企業では人減らしのために、パワハラやリストラが横行するようになりました。当時一緒に仕事をしていた、私より若いカメラマンの言葉が、今も印象に残っています。「僕はこれ以上、下流に落ちたくないんです」

こうした流れの中で注目されたのが、「脱サラして30代で隠居生活を送る」「なるべく働かないで生きていく方法」などのテーマです。上昇志向からいかに抜け出せるかを説く自己啓発本が、この頃から脚光を浴び始めました。

企業による「派遣切り」が横行した2008年の大晦日、東京・日比谷公園に設けられた「年越し派遣村」のようす。非正規労働者の苦境は、2010年代を経て、更に深刻化している=杉本康弘撮影
企業による「派遣切り」が横行した2008年の大晦日、東京・日比谷公園に設けられた「年越し派遣村」のようす。非正規労働者の苦境は、2010年代を経て、更に深刻化している=杉本康弘撮影 出典: 朝日新聞

一方、昭和的な「努力の見返り」を期待し、生きがいを感じる人たちは、「筋トレ本」に目を向けます。意外に思えるかもしれませんが、「努力して仕事で成功する」から、「努力して肉体を改造する」へと目的をずらした書籍が人気になったのです。

確かに筋トレは、自分の体の見た目や筋力に効果が出やすく、仕事を真面目に頑張る人との親和性が非常に高い。努力しても仕事の成果が上がりにくく、心を病む人も多い時代ですから、プロスポーツ選手にメンタルトレーニング術を学ぶ、という本の出版も相次ぎました。

2011年に私が手掛けたムック本の中に、『腹を凹ます体幹トレーニング』があります。サッカー日本代表の長友佑都選手がカバーに登場し、「健全な精神は健全な肉体に宿る」という大義とダイエットを目的とした本です。

体幹の鍛え方や食事術などを扱い、80万部超の大ベストセラーになりました。会社で成績を上げ、出世することがなかなか叶わない。しかし、ストイックな努力でダイエットを達成し「丈夫な肉体」を得る、というテーマがビジネスマンの心をとらえたのです。

「トレーニング本」は今でも、ビジネスで自分の成長を求めている人々の受け皿になっているように思えます。

仕事で結果を残すことが難しくなった分、ビジネスマンの中には、「筋トレ」に意義を見いだす人も増えていった。(画像はイメージ)
仕事で結果を残すことが難しくなった分、ビジネスマンの中には、「筋トレ」に意義を見いだす人も増えていった。(画像はイメージ) 出典: PIXTA

「承認欲求が人を自己啓発に駆り立てる」

ところで、2010年代以降の変化で特徴的なのが、スマホなどのガジェットの流通と、インターネットインフラの爆発的な普及です。

特に東日本大震災以降は、情報を得るためのプラットフォームとして、多くの人々がSNSを使うようになりました。その結果、最新の情報に、無料で触れられる機会が増加。反面で、新聞、雑誌を中心とした紙媒体の売り上げは激減していったのです。

こうした中、一部の出版社が、会員制のサロン的なサービスを始めます。本を購入した人だけが参加できる「著者の講演会」を開く。または、著者の高額な講演会資料に書籍を同封する。そうしたやり方で、読者を囲い込む出版ビジネスが出てきました。

そこにあるのは「今この時代に成功した人物」を、まるで教祖のように崇(あが)める読者を狙った、ある意味での「信者ビジネス」とも捉えられる構図です。アイドルビジネスや、ある種の宗教的なコミュニティと、よく似た枠組みだと言えます。

この「信者ビジネス」が成り立つのは「ロールモデルなき時代でも、ロールモデルを必死に求めてしまう」という人間の弱さゆえでしょう。更に悩ましいのは、誰かに認められないと満たされない「承認欲求」という病に、少なくない人々が冒されてしまっていることです。

インターネットの一般化により起こった「出版不況」。出版社の中には、書籍購入者限定の著者講演会を開くなど、新たなビジネススタイルを模索するところも出てきた。(画像はイメージ)
インターネットの一般化により起こった「出版不況」。出版社の中には、書籍購入者限定の著者講演会を開くなど、新たなビジネススタイルを模索するところも出てきた。(画像はイメージ) 出典: PIXTA

SNSが手軽に満たす人間の願望

承認欲求は、多かれ少なかれ、誰にでもあるものです。ただ、仕事においてそれを追求してしまうと、会社の奴隷、いわゆる「社畜」的な生き方を強いられてしまう。しかし、そこにビジネスの勝機を見出した自己啓発書の編集者は、数多くいたと思います。

いずれにしても、自己啓発本を求める心情の核では、「自己実現をしてもっと人から賞賛されたい」という「意識高い系」などといわれる上昇志向、そして「あなたは今のままでいい」と言ってもらいたいという承認欲求とが、背中合わせになっている。それを手軽に満たしてくれる装置が、今やSNSの方に取って代わられたところはあるでしょう。

SNSを使ってみるとわかるのですが、自分が興味を持った内容やジャンルの情報ばかりがレコメンドされ、価値観の相対化が容易でなくなってしまう、というのが実情ではないでしょうか。そのため、とにかく視野が狭くなる。これは最も避けるべきことなんです。

一方で自己啓発書は、自己実現による称賛欲、そして承認欲の両方を、「言葉の麻薬」で満たすことをやめません。とはいえ、生きる地平を見渡す上で、助けとなるような言葉と出会わせてくれたり、先行きが見えない時代において、見晴らしをよくしてくれる良書も必ず存在する、というのは忘れてはならないことです。

SNS上には、さまざまな情報があふれているように見えて、日常的に触れているのはごく一部だけーー。そのような状況下で、価値観を相対化することは難しいと、鈴木さんは語る。(画像はイメージ)
SNS上には、さまざまな情報があふれているように見えて、日常的に触れているのはごく一部だけーー。そのような状況下で、価値観を相対化することは難しいと、鈴木さんは語る。(画像はイメージ) 出典: PIXTA

生存戦略としての自己啓発本

自己啓発書の読者の中には、「時代から取り残されずに生きていきたい」「社会の中で今より下のクラスに転落したくない」と思っている人が少なくありません。新型コロナウイルスの流行以降、その心情は強まっているのではないでしょうか。

そんな状況下で「どのような生存戦略をとれば、この時代を生き残れるのか」を説く本には、これからも注目が集まるでしょう。世の中あるいは人間の真実を教え、生きる糧を与えてくれる本。これが、読者が求める自己啓発本の本質だと考えます。

こうした要素は、実は古典と呼ばれる書物の中に、すでにある。ただ、読むのに慣れていないと難しく感じてしまう。だから、それをわかりやすく解説したものが、自己啓発書の形で読者に受け入れられているのが今の時代だと思います。

一つ、自己啓発書を読む上で、注意すべき点があります。売れている本の内容を鵜呑(うの)みにするなどして、簡単に「洗脳」されてしまわないよう、常に内容を相対化して読む、ということです。

ネットで薦められる本ばかり手に取っていては、世界を複眼で見られなくなりますし、思考が現実とかけ離れてしまいかねません。だからこそ、古典を読んだり、素直に「この人は頭がいいな」「もっと教えてもらいたい」と思える人たちの話を読んだり、聞いたりすることが、とても大切になってくると思います。

古典には、先人たちの叡智が詰まっている。その豊かな果実こそが、確かな価値観を失った時代を生きる上で、大きなヒントになるのかもしれない。(画像はイメージ)
古典には、先人たちの叡智が詰まっている。その豊かな果実こそが、確かな価値観を失った時代を生きる上で、大きなヒントになるのかもしれない。(画像はイメージ) 出典: PIXTA

出版社が負う「アンチの主張」をぶつける責任

最後に私が強調したいのは「自分とは正反対の思考や主張に、あえて耳を傾けるべき」ということです。

今日、ネット上では情報が氾濫(はんらん)し、誰でもアクセスすることができます。しかし実際には、自分の興味や主張と同じものばかりを読み、満足してしまっている。現代人は、そんな習性を身につけているように思います。

「みんなが言うことは本当なのかな?」「そもそもその問題の前提って正しいのかな?」。そう考えるためには、さまざまな視点を獲得することが大事です。今こそ、物事を相対化するための力が、本当の意味で求められているのではないでしょうか。

自分が信じていることを、常に疑う。その意義を伝える役割が、自己啓発本を含む書籍にはあったはずなんです。本を作る身として、売れることは重要。けれども本の良さ、本質を意識することも、同じくらい大切だと感じます。

「自分とは正反対の思考や主張に、あえて耳を傾けるべき」と語る鈴木さん。
「自分とは正反対の思考や主張に、あえて耳を傾けるべき」と語る鈴木さん。 出典: 神戸郁人撮影

昨年、「しょぼい自己啓発」と銘打った単行本シリーズを刊行しました。YouTuberで、社会活動家でもある、「えらいてんちょう」こと矢内東紀さんの手になるものです。企業のような強い資本に頼らず、自力で生きていくためのサバイバル術をつづってもらいました。

一連の書籍群には、「こうすれば自己実現できる」という、一般的な生き方のロールモデルに相対する形で、あえて「こうすれば決して不幸にはならない」とのメッセージと、実践テクニックが記されています。

「しょぼい」という言葉には、既存の価値基準を嘲笑(あざわら)うような「開き直り力」がある。それを誰に対しても喚起できるパワーワードとして、矢内さんは使っています。

鈴木さんが編集を担当した「しょぼい自己啓発」シリーズの単行本。
鈴木さんが編集を担当した「しょぼい自己啓発」シリーズの単行本。 出典: 神戸郁人撮影

自己啓発の潮流は、これまで経済と同期してきました。しかしその成長が衰え、更に今年始まったウイルス禍で、社会にある矛盾や、システムの脆弱性があぶり出されています。これからは更に先行きが不透明となり、経済的な豊かさが、ますます遠のいていくでしょう。

「ロールモデルなき時代を、いかにより良く生きるべきか」。周囲をよく見渡し、時代をつぶさに観察して、「今ここに在る自分」と冷静に向き合い、真摯(しんし)に考える。そのためのヒントを教えてくれるのが、自己啓発本の良書の条件だと考えます。

今こそ、自己啓発本の原点に立ち返り、書籍を作ることが求められているのではないでしょうか。それを達成することが、出版社の役目であり、読者に対して果たすべき編集者の責任だと思っています。

カミサマに満ちたセカイ
【連載「#カミサマに満ちたセカイ」】
心の隙間を満たそうと、「カミサマ」に頼る人たちは少なくありません。インターネットやSNSが発達した現代において、その定義はどう広がっているのでしょうか。カルト、スピリチュアル、アイドル……。「寄る辺なさ」を抱く人々の受け皿として機能する、様々な"宗教"の姿に迫ります。

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