連載
#27 #カミサマに満ちたセカイ
ビジネス書の〝コロナ需要〟なぜ? 仕事のためだけではない〝動機〟
「未来」が壊れた時代に求められた本
新型コロナウイルスの感染拡大により、私たちの暮らしは大きく揺さぶられました。自由な外出が難しくなる中、人気を集めたのが「本」です。特に働き方・生き方を取り扱う「ビジネス書」の売れ行きは、目覚ましく伸び続けています。一体、何が人々の心をつかんでいるのか? そして、どのように活用すればよいのか? 先行きが見通せない時代に、考えてみました。(withnews編集部・神戸郁人)
ウイルスが全国的に蔓延(まんえん)した2020年。更なる流行を防ぐため、他人と会食したり、旅行のため遠出したりすることを控える動きが広がりました。自宅で過ごす場面が増えた結果、「おうち時間」「巣ごもり需要」といった言葉も生まれています。
私自身、そうした社会の変化を、肌で感じてきた一人です。取材のリモート化など、仕事の手段はもちろん、余暇のあり方も様変わりしました。特に大きかったのは、読書への意欲が格段に高まったことです。
これまでは、休日に友人と飲み歩き、町中を散策するのが楽しみでした。身近で起きた出来事について語らうだけでも、普段は得られない刺激がもたらされ、気分転換や学びの機会になったからです。
しかしウイルスの出現に伴い、そうした振る舞いを自重するようになって以降は、対話の相手役を本に求めるようになります。学生時代に読んだ哲学書から、はやりの小説や漫画まで、多様なジャンルの書籍に目を通しました。
主な購入元は、大手通販サイトです。注文履歴を調べてみたところ、今年の元日~12月25日に届いた書籍は、100冊を超えていました。直近5年だと、少ないときは一桁、多くても70冊程度でしたから、差は歴然です。
もちろん、外出の自粛によって、書店を訪れる回数が減ったことも一因でしょう。とはいえ感染リスクを避けつつ、一人の時間を充実させようと考えた末の結果である、という点は否定できません。
紙の本のニーズは、世間的にも高まりを見せているようです。
出版取次大手・日販によると、ウイルスの流行が本格化した2020年5月~11月の店頭売り上げは、前年を超えています。期間中、人気漫画『鬼滅の刃』の快進撃が続いた「コミック」部門では全ての月で、さらに「書籍」部門においても、8月~11月の数字が前年を上回りました。
注目したいのが、「書籍」の内訳です。部門を構成する九つのジャンルのうち、「文芸書」「専門書」「児童書」「ビジネス書」で8月以降、前年比で売り上げを更新しました。特にビジネス書では、4カ月連続で二桁前後の伸びが続いていたのです。
具体的に、どのような本が人気を集めたのでしょうか? 日販が12月1日に発表した「2020年 年間ベストセラー」によれば、「単行本ビジネス」の売り上げランキング中、客観的なデータ分析に基づく世界観を推奨する『FACTFULNESS』(日経BP)が上位に食い込んでいます。
また、人に好かれる話し方を扱った『人は話し方が9割』(すばる舎)、人間関係の悩みとの向き合い方を説く『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)など、対人コミュニケーションにまつわる書籍のタイトルも目立ちました。
終わりの見えないウイルス禍は、在宅勤務の普及などを促し、私たちの日常を大きく変容させました。とりわけ、他人との関わり方への影響は、無視できないものです。日販のランキングも、現状を如実に反映しているように見えます。
ただ、宗教社会学が専門の小池靖・立教大教授は「質の面で(関連書籍のトレンドが)以前と大きく異なっているわけではない、という印象を受ける」と指摘します。
ビジネス書の中には、職務上の心構えに加え、著者が理想的とする生き方が説かれているものも少なくありません。人生訓の色合いが濃いため、いわゆる「自己啓発本」の一種に数えられることもしばしばです。
小池さんいわく、この「自己啓発」という言葉の使われ方は、次の三つに大別できるといいます。
一般的な自己啓発のイメージは(3)に近いものですが、時に(1)や(2)の要素とも絡み合いながら、社会全体に浸透していったのです。
ビジネス書人気の背景には、個人の購入者増が考えられます。加えて、大規模な研修会などの開催が難しくなった分、社員教育のため活用されたことがあるのではないか? 疑問を小池さんにぶつけてみると、「そのように直線的には捉えられない」との答えが返ってきました。
「ビジネス書を用いた研修を、企業が外部委託する動き自体は、日本では2000年代頃から本格化したと言われています。一方で、勉強熱心なビジネスパーソンは、関連書籍を月に数冊読むなどしていたんです。現在も、主な購買者はそうした人々と思われます」
「むしろ(外出自粛に伴い、自宅など)室内での読書需要が上昇したとき、手に取ったり、注文しようという気持ちになったりしやすかったのが、ビジネス書だったということなのでしょう」
以前から一定の厚みがあった読者層に、ウイルス禍の中で、落ち着いて人生の行く末に思いを致したい、と考えた人々も組み込まれた。目の前の仕事のためだけではなく、生き方そのものを見つめ直すきっかけとしてビジネス書が求められている。
そのような認識の方が、より実情に即していると言えそうです。
ところで、ビジネス書について語るとき、「自己責任の論理」がテーマになる場合があります。「前向きさを保つことで、苦境は乗り越えられる」など、人生における困難の原因を、個人の心のありように求める書籍も散見されるからです。
小池さんは、確かにそうした特徴は見いだせるとしつつ、別の側面もあると付け加えます。
「たとえば米国発のロングセラー本『7つの習慣』を読むと、他者とのつながりや調和の大切さが強調されていることに気づきます。これらは、弱肉強食の新自由主義的価値観というより、保守的で穏当な考え方です。日本人から見れば、ある種当たり前だったはずの思想とも言えるでしょう」
「ビジネス書を読んでいることを隠す人も多いようですが、書籍の大半は、編集者のチェックを経ています。人生を見つめ直し、ビジネス界の『常識』を更新する手段として親しむ。そのような『試行錯誤』は、社会人にとって許容されるべきであると思います」
ビジネス書など自己啓発本の読まれ方を巡っては、盲目的にはまり込むのではなく、何度も目を通し、その時々に必要な情報を得る人が多いとの調査結果もあります。こうした「つまみ読み」によって、社会における自分の「座標」を確認することには、十分な意味があると考えられそうです。
同時に、「書物が発するメッセージは万能ではない」と意識するのも大切でしょう。小池さんが「試行錯誤」と表現したように、ビジネス書は人生をよりよくするヒントとして活用すべきものです。それ一冊で事足りる、完全無欠のマニュアルでないことは言うまでもありません。
何を成し遂げ、どんな自分になりたくて、ビジネス書を読むのか。ウイルスによって生活が一変した今こそ、そうした目的意識を明確化することで、本の価値を最大限引き出せるのかもしれません。
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