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「貧困たたき」する前に…相対的貧困の意味、知っていますか?
8月18日にNHKで放送されたニュースが「貧困たたき」を生む事態になりました。一連の出来事について、まず冷静に考えなければならないのは、ネットに流れる断片情報だけで女子生徒と家族の暮らしぶりを判断することはできないということです。また未成年である女子生徒の個人情報をネット上にさらして中傷する行為は人権侵害であり、絶対に許されない。それなのに、なぜ「貧困たたき」が起きてしまったのでしょうか?背景には「相対的貧困」への理解が進んでいないことがあるようです。
番組は、ある県の「子どもの貧困」に関する会議で発言した女子生徒を取材した内容でした。ひとり親家庭で育ったこと、自宅アパートには冷房がないこと、パソコンが購入できないので練習のためキーボードだけを母に買ってもらったこと、などの生活状況が伝えられました。
ところが放送後、ニュース映像に映った自室に高価な品があるなど批判の声があがりました。さらに女子生徒のものとされるツイッターの過去の投稿から、1000円以上のランチを時に食べたり、コンサートに行ったりしていたことがわかったとして、「ぜいたくだ」「貧困ではない」などの書き込みがネット上にあふれる事態となりました。
こうした動きに対して反論も次々と出ています。東京・新宿では先月27日、最低賃金引き上げなどを訴える若者らのグループが、「生活苦しいヤツは声をあげろ 貧困叩きに抗議する新宿緊急デモ」を実施、女子生徒に「あなたは間違っていない」と呼びかけました。
このバッシングの爆発的な広がりは、「あってはならない貧困状態とは何なのか」という点で、社会の意識になお深い溝があることを浮き彫りにしました。
貧困の概念、とらえ方は一つではありません。おおざっぱに言うと、一つは生存に必要な食費などからギリギリの水準を計算する「絶対的貧困」。もう一つは、その社会で普通とされる生活様式ができなくなる状況に注目する「相対的貧困」という考え方があります。
いま日本を含む先進国では「相対的貧困」の考え方が基本になっています。相対的貧困の理解の仕方が今回の問題の焦点になります。
絶対的貧困は、その水準以下では生存に必要な栄養や衣類などが満たせくなる、ギリギリの生活水準を下回る人を貧困ととらえる考え方です。
19世紀末から20世紀半ばに英国で貧困調査をしたラウントリーは、栄養科学に基づいて必要なカロリーなどに基づいて食費を計算し、そのほかの必要経費を加えて最低限度の生活費を算定しました。
戦後間もない昭和20~30年代の日本の生活保護基準額は、こうした絶対的貧困概念を反映した方式で計算されていました。必要な栄養を満たす飲食費などを理論的に算出し、一つ一つ積み上げるマーケットバスケット方式がその例です。
世界銀行は現在、1日1.90ドル未満での生活を国際貧困ラインとしています(2015年10月に1.25ドルから改定)。これも絶対的貧困ラインのひとつと言えます。
これに対して、人間の最低限度の暮らしは必要なカロリー計算などだけではとらえられないとし、その社会の一員として普通に生きていくための費用に注目する考え方があります。英国のタウンゼントが提唱した「相対的貧困」と呼ばれる概念です。
タウンゼントは、その社会で広く認められている生活様式、例えば食事の内容や家財の保有、社会的活動への参加などが奪われる水準を貧困の境界線ととらえました。その時代の経済的・文化的な生活状況や社会通念によって貧困の線引きが変動するので、「相対的貧困」と呼ばれています。
この具体的な指標としては、経済協力開発機構(OECD)の相対的貧困率があります。まず世帯収入から子どもを含む一人一人の所得を仮に計算して順番に並べます。その真ん中の人の額(中央値)の一定の割合(日本では50%)を貧困線とします。それに届かない人の割合を貧困率として示すのです。
厚生労働省の国民生活基礎調査によれば、2012年の相対的貧困率は16.1%で1985年以降で過去最悪。このときの中央値は244万円、貧困線は122万円でした。
現在では生活保護基準も相対的貧困の考え方にたつ「水準均衡方式」で算定されています。その支給水準は、国民の消費実態とのバランスを考えて決定されています。
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