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24万2567人の名前を紙面掲載 沖縄の新聞社が伝えたかったこと

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紙面を埋め尽くすたくさんの人たちの「名前」――。52ページにわたって沖縄の新聞社の紙面に掲載されたのは、沖縄戦などで亡くなった24万2567人の名前です。今年は戦後80年であり、平和の礎ができて30年の節目でもあります。6月23日は慰霊の日。担当者に企画への思いを聞きました。(朝日新聞記者・玉那覇長輝)
「刻まれているのは、戦禍が奪い去った24万2567もの命。死の瞬間を知る人さえなく、遺骨になっても帰れなかった幾多の生きた証し」
そんな言葉で始まったのが、6月10日付朝刊の沖縄タイムス13面のメッセージです。こんな言葉が続きます。
「誰もが、誰かの子であり、親だった。きょうだいと笑い合い、祖父母と語らう日常があった」
「その名を呼び、手に触れなでて、誓いを立てよう。新たな戦争遺族に、私たちはならない」
沖縄県南部の糸満市摩文仁にある「平和の礎(いしじ)」。ここには沖縄戦などで命を落とした戦没者の名前が刻まれています。
沖縄タイムスは、その礎の名前を13日間にわたって掲載する企画を実施しました。
1日4ページ、期間中は計52ページにわたって、1文字2ミリ四方で書かれた名前がびっしりと並びました。
沖縄タイムスの担当者に話を聞くと、読者からたくさんの声が寄せられたといいます。
「紙面をみて、戦後80年を大事にしたいと改めて思った。祖父母や叔父の名前もあった。県に登録申請したであろう父の足跡をたどろうと思う」
「すばらしい企画で感激した。礎にいけない高齢者もこれを見て戦没者を思い出せる」
SNSでは「礎にはまだ行ったことがない。なかなか行くことができないひとたちに、生きていた証しを確認できる機会をくれて感謝します」といった投稿もありました。地元の小学校では、玄関や図書館に掲示するなど、大きな反響を呼びました。
「平和の礎」は、沖縄戦最後の激戦地となった糸満市摩文仁に1995年6月23日に建てられました。
沖縄県によると、刻銘されているのは、沖縄戦を中心とした太平洋戦争などで亡くなった人たちの名前です。
刻まれた人たちを出身地別にみると、沖縄県14万9674人、県外7万8303人、アメリカ1万4011人、イギリス82人、台湾34人、北朝鮮82人、韓国381人。刻銘者の数は毎年増えており、今年も342人の名前が追加刻銘されました。
沖縄戦の組織的な戦闘が終結したとされる「沖縄慰霊の日」の6月23日には、平和の礎がある摩文仁の丘で、毎年「全戦没者追悼式」が行われます。
今年の慰霊の日は、戦後80年という節目でもあり、平和の礎が建てられて30年という節目の日でもあります。
沖縄タイムスで、この企画の中心となって動いた社会部デスクの新垣綾子さんは「おびただしい数の名前を掲載するにあたって、改めて戦争の犠牲の重さを感じました」と語ります。
「この企画には、沖縄タイムスの根幹にある『二度と戦争に加担しない』という強い思いが込められています。その思いを形にする企画として、とても意義深いものだと思います」
平和の礎を訪れたことがない人、訪れることが難しくなった高齢者など、「多くの人が紙面をみて、思いを寄せてほしい」と願います。
企画は編集局だけでなく、営業局や事業局など、社を横断してプロジェクトを進めたといいます。
しかし、24万人を超える名前を全員掲載するには、予想以上に苦戦を強いられたといいます。
沖縄県から提供を受けた刻銘者の名簿データには、常用漢字では表示できない旧漢字や特殊な文字が多数含まれていました。その数は816文字。
これらは県が独自に作成した外字で、直接使用することができず、ひとつひとつ沖縄タイムス側で作字をする作業が必要でした。
その作業を担ったのが、編集局システム技術部の仲宗根誠さんたちです。沖縄タイムスが過去に登録していた外字を除き、新たに574文字を一から作字したといいます。
さらに頭を悩ませたのは、地道な照合作業だったといいます。県から提供された校閲用のPDFを元に、文字化けや誤字脱字のチェックを行いました。
なかには、どうしても判別できない人名があり、実際に摩文仁の平和の礎まで足を運び、石碑と突き合わせて確認したといいます。
仲宗根さんは「ひとりひとりの命の名前であるからこそ、決して間違いは許されない。とにかく漏れがないか、誤りがないか、くまなく確認作業をしてきました」と振り返ります。
企画が始まって13日目となる6月22日。最後の掲載となったこの日、全52ページをつなぎ合わせると、紙面の背景に「平和の礎」と「月桃(げっとう)の花」の写真が浮かび上がりました。
この企画のメインテーマである平和の礎と、平和の象徴である月桃の花です。平和への祈りと、不戦の誓いを込めたといいます。
一方で、紙面をみて名前の誤りに気づいた読者から連絡があり、県の登録データの誤りが発覚することもありました。
家族や親戚の名前がないといった問い合わせもあり、これらの問い合わせを後日、県に報告する予定だといいます。
社会部の新垣さんは「この企画を、戦争について改めて考えるきっかけにしてほしい。掲載された名前の一つ一つが、生きた証であり、残された人々とのつながりです」と話しています。
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