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ダンディ坂野の「変わらない」戦略 一発屋芸人の進化形
お笑い芸人のダンディ坂野さんが、「一発屋芸人」を逆手にとった活躍を見せています。12年前、前回の未年にヒットさせたギャグを今も同じ衣装、同じ体形で続けつつ、CMやテレビにも安定して露出しています。
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お笑い芸人のダンディ坂野さんが、「一発屋芸人」を逆手にとった活躍を見せています。12年前、前回の未年にヒットさせたギャグを今も同じ衣装、同じ体形で続けつつ、CMやテレビにも安定して露出しています。
お笑い芸人のダンディ坂野さんが、「一発屋芸人」を逆手にとった活躍を見せています。12年前、前回の未(ひつじ)年にヒットさせたギャグを今も同じ衣装、同じ体形で続けつつ、CMやテレビにも安定して露出しています。
黄色いスーツに真っ赤な蝶ネクタイ。髪形も同じ。ダンディ坂野さんは、あの頃と同じままのスタイルを今も貫いています。体重も57キロ前後をキープしています。衣装の型紙も、ほぼ同じものを使っているそうです。
石川県生まれのダンディ坂野さんは、93年、お笑い芸人を目指して26歳で上京しました。動機は、アイドルとの共演でした。
ブレークしたのは2003年。マツモトキヨシのCMがきっかけでした。ジョークを言った後、「ゲッツ」と口にしながら親指と人さし指を立てた両手を前に突き出すポーズが大流行しました。
「ゲッツ」がヒットした背景には、携帯電話の存在がありました。2003年は、着信を声で知らせる「着ボイス」が流行し始めた頃でした。短いフレーズの「ゲッツ」は、このニーズにも合い、雪崩のように仕事がやってきたのです。
ただ、もともとは響きの良さから漫談の中で「区切り」に使っていただけという存在だった「ゲッツ」。ブームは、1年ほどで終わりました。
ところが、その後は「一発屋」という立ち位置での仕事が来るようになります。そのため、ダンディ坂野さんはあえて他のネタは作りませんでした。「他のネタやらないの?」と言われても、「大きなお世話」と、ひたすら「ゲッツ」にこだわり続けたのです。
その結果、「ゲッツ」は「一発屋」とは違う価値を得るようになります。象徴的なのが、プロ野球選手、アレックス・ラミレスさんです。ファンサービスとして、加藤茶さんの「カトちゃんペッ」をまねた「ラミちゃんペッ」とともに、「ゲッツ」も「採用」されたのです。
単なる「一発屋」のギャグではなく、時代や世代を超えた存在として定着したのです。
変わらないことにこだわった結果、ここ数年はCM出演が相次ぐなど、息の長い芸人として注目されるようになりました。「一発屋」の進化形としては、「そんなの関係ねぇ!」でブレークした小島よしおさんが、たくさんの資格を取るなどして独自の路線を切り開くなど、「後輩」も生まれています。
新年のあいさつで、ダンディ坂野さん自身のブログに「私も現状維持で頑張りますね」と書いています。今年も、「一発屋」の進化形を見せてくれそうです。