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立春・春分…実は「暦」つくってます 浮世絵にも描かれた〝天文台〟
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今年の節分は2月2日でした。「毎年2月3日だったのに日にちが変わるの?」と思った人もいるのではないでしょうか。こういった一年の「暦」をつくっているのは実は天文台です。どんな仕事をしているのか、取材しました。
「天文台」というと、宇宙の成り立ちや天体の性質を探ったり研究する施設のイメージが強いのではないでしょうか。
実は、日本は天文台が300ほど存在する「天文台王国」です。現在、全国の都道府県に天文台があり、地域や住民にとって身近な宇宙や天文を学べる施設となっています。
でも、もともとの天文台の仕事は「暦」をつくること。これは古来から変わっていません。立春や春分がいつになるかといった暦をつくるために、天文台では太陽や月、惑星といった天体の動きを測っているわけです。
現在、その暦を決めているのは東京都三鷹市にある国立天文台です。先日、訪ねてみました。
正門に入ってすぐの門衛所で受付すると、公開されている資料館や展示室などを自由に見学することができます。
見どころの一つである「第一赤道儀(せきどうぎ)室」は、国立天文台の中で現存する最古の建物で、直径6メートルのドームを持っています。
国の登録有形文化財に指定されていますが、内部を見ることもでき、随時、観察会を開いていて太陽表面の黒点を見ることもできます。
「天文台歴史館」には、屈折型の望遠鏡としては日本最大口径を誇る65cmの望遠鏡が展示されていていて、こちらも必見です。
もともと国立天文台の前身の東京天文台は官立(国立)で、一部の研究者しか使うことができませんでした。
広報室長の山岡均さんは、「今では国立天文台も研究だけでなく、日頃から天文学への理解と興味を深めてもらうために一般向けの施設公開を行っています」と説明してくれました。
日本最古の天体観測施設は形は残っていませんが、日本書紀に記されている「占星台(せんせいだい)」といわれています。この占星台では暦をつくったり、国の吉凶を占ったり、さらには日食の予報をしていました。
江戸時代になると、天文・暦術・測量などを行う幕府の施設として天文台が置かれていました。当時は「司天台」「観象台」などと呼ばれ、「天文台」という名称が使われたのは1782年にできた「浅草天文台」からといわれています。
浅草天文台といえば、江戸後期に活躍した浮世絵師・葛飾北斎の「富嶽百景」にも登場。富士山を背景に、手前に天体の位置を測定する「渾天儀(こんてんぎ)」という器具を備えた浅草天文台が描かれています。
明治時代になると、幕府の天文台は廃止されましたが、どこかで暦は作らないといけません。そこで、1888年に東京大学付属の施設として東京天文台が麻布につくられました。
これが国立天文台の前身です。設立時は天文台長も含めてわずか6人でのスタートだったそうです。
明治後期になると天文台のある麻布周辺の市街化が進み、観測環境が悪化したことや、天文台の設備が増えて手狭になったことから、1924年に今の国立天文台がある東京都三鷹市へと移転した歴史があります。
日本公開天文台協会によると、日本では1980年代半ばから1990年代にかけて、天文台が一気に増えました。
経済成長のバブル景気の中で、国のふるさと創生事業で自治体が比較的裕福だったことや、ハレー彗星といった注目される宇宙イベントも重なり、天文学・科学の普及が進んで宇宙天文関係の施設が数多くつくられたそうです。
ただ、現在は岐路に立たされている天文台も少なくありません。設立から数十年が経ち、老朽化や建て替えのため休館となっている施設もあります。
全国には自治体が運営する天文台も多く、財政的に厳しい現状やコロナ禍もあり、取り巻く環境はどんどん変化しています。
公開天文台協会では、望遠鏡や設備の老朽化への対策事例や、星空ツーリズムの成功例といったノウハウを全国の天文台と共有しています。そして、共存を図りながら、「地域から求められる、あって良かった、なくては困る施設」を目指しているといいます。
公開天文台協会会長の村上恭彦さんは「ずっと続いてきた日本の天文台の土台を生かして、これからも天文普及につなげていきたい」と話しています。
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