連載
#26 #令和の専業主婦
〝駐夫〟で寿司職人、NYに転勤の妻に帯同 「もし働けなくても…」
「『経験』持ち帰るだけでも、キャリアのプラスに」

出典: 撮影 Kimiyasu Morikawa
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#26 #令和の専業主婦
「『経験』持ち帰るだけでも、キャリアのプラスに」
妻の転勤に帯同するため、「駐夫」となりニューヨークで寿司職人に転身した男性がいます。駐在に帯同する際、国内での仕事を退職したり退職せざるを得ない配偶者も多い中で、新たなチャレンジにつなげようとする気持ちはどこから沸いたのか。話を聞きました。
妻のニューヨークへの転勤に2023年から帯同した河田翔太さん。もともとは日本国内の総合食品メーカーで勤務していました。
妻の転勤が決まったのが、6月ごろ。
夫婦とも海外で働く希望をそれぞれの勤め先に伝えていたといい、「早く決まった方についていこう」と前々から共通認識があり、ともに渡航することはすぐに定まったそうです。
あとは河田さんの仕事をどうするかを勤め先とすりあわせることに。
「すっぱり辞めるしかないのかな」と当初は考えたという河田さん。会社に相談すると、「確約はできない」としつつも、アメリカにあるグループ会社への出向をいくつか提案してくれたといいます。
「提案には感謝しかない」としつつも、1週間ほど悩んだ結果、いずれも断った上で、退社を決めました。
その理由を「もしも、グループ会社で働くことができたとしても『行かせてあげる』ではいやだった」と河田さんは話します。「それに、もし妻の転勤が再度あったとき、また迷惑をかけることになるのも嫌でした。それなら勝負できる『何か』を見つけて、自由になりたかった」と言います。
「これまでにも転職を何回かしている中で、自分が楽しいと思ったこと、人がやっていないことをやりたいと常に考えていたんです」
「現地で自分なりに戦えるものを、自分で勝ち取っていきたかった」
職場の人たちにはお礼を伝えた上で辞意を伝えると、新たな道への応援の言葉をもらったといいます。
会社へ辞意を伝えたのと同時に、実は河田さんはある学校に入学金を支払っていました。
それは、寿司職人の養成校でした。
「ニューヨークに行く、そこで日本人としての良さを生かすには……と考えたときに、いつの間にか『寿司職人だ』という思考になっていました」
妻の転勤が決まってから、学校に入学金を払うまではほぼ1カ月。「いまとなってはどういうメンタルをしていたんだろうかと思いますよね」と笑います。
ただ、河田さんには強い焦りがありました。
「いまやらないと、ニューヨークに行ってからも何もできずに終わる」
10月に入学し、朝から夕方まで、食材の目利きや衛生管理、寿司の調理方法、経営などを学びました。「とにかく真剣に、無心でがんばりました」
河田さんは、帯同ビザの中でも就労が可能なものを取得。渡航直後から、これまでの仕事で培った人脈を生かして現地の寿司店に就職し、これまで数店舗での経験を積みました。
渡航から1年が経った今年に入ってから、自身でも寿司作りのワークショップなどを手がけ、寿司文化を広めるための事業を立ち上げたところです。
駐在に帯同する妻は「駐妻」、夫の場合は「駐夫」という呼ばれ方もしますが、日本国内での仕事を辞めて帯同し専業主婦/主夫となった7割のうち、半数が就労を希望しているという、駐在に同行した当事者らで作られる「キャリアカフェ中国」による調査もあります。
ビザ取得などの都合で、仕事を辞めざるを得なかったりする現状がある中、記者がこれまで取材してきた「駐妻」「駐夫」の中には、後ろ髪を引かれる思いで退社した経験のある人も少なくありませんでした。
そんな中、前向きに会社を辞め、新たなチャレンジをしている河田さん。
帯同するにあたって考えていた目標は「人がやっていないことにチャレンジしたい」ということと「妻を応援したい」という二つでした。
家事は日本の頃と同じように、分担を続けていて、河田さんはもしも働けなかったとしても、その二つはできたのではないかと振り返ります。
「我が家には子どもがいないので、家事や育児などのケアの環境が違うと思いますが」と前置きした上で、「僕の場合は、帯同家族という立場は、全ての人が等しくできるわけではない経験をすることができるチャンスだと思っています」。
「最初は会話ができなかったドアマンと会話ができるようになったら、それは経験だし、英語なんて苦手でも伝わればなんでもいいと気付くことも経験」
「その人が何を求めているかでも変わってくるとは思いますが、全てが経験になることは間違いありません。それを日本に持ち帰るだけでも自分のキャリアのプラスに必ずなると僕は思います」
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