連載
#14 はたらく年末年始
宮司の娘だけど「クリスマスもお祝い」 気力で乗り切る神社の年越し
年明け最初の行事の一つが、初詣。元日の午後からゆっくり向かう人もいれば、日付が変わると同時に参拝するという、気合の入った人も少なくないようです。参拝客を迎える神社の年末年始を取材しました。(朝日新聞デジタル企画報道部・武田啓亮)
12月下旬、東京都渋谷区の表参道近くの住宅街にある穏田(おんでん)神社では、新しい年を迎えるための準備が進んでいました。
境内には大人がすっぽりと入れる大きさの、植物で編まれた大きな輪が設置されています。
これは茅(ちがや)という植物で編まれたもので、無病息災を祈る「茅の輪くぐり」という行事のためのものだそうです
宮司の船田睦子さん(31)が輪をくぐる手順を教えてくれました。
「『唱え言葉』を黙唱し、正面で一礼して、輪をくぐったら左に回ります。もう一度正面で一礼したら、次は右に……」
茅の輪の横には、やり方を記した看板も置かれており、訪れた人が説明を読みながら輪をくぐっていました。
年末年始は、心身のけがれなどを祓い清める大祓の儀式や、初詣の参拝客を迎える準備などで、神社が最も忙しくなる季節だそうです。
「毎年、大みそかは疲労困憊です。その後の初詣や新年のご祈禱などがむしろ本番なのですが、これはもう、気力で乗り切っています」
日付が変わる1月1日の午前0時ごろには、毎年参拝客が列を作るそうです。
なかには、ラジオで年越しのカウントダウンを聞きながら、年が明けた直後に参拝することにこだわる人もいるとのこと。
「家族で来てくださる地元の方が多いですね。江戸っ子気質なのか、縁起を大切にする人が多い印象です」
穏田神社には400年以上の歴史があるそうですが、船田さんが宮司になったのは2020年のことでした。
先代宮司だった父、泰次さんが2018年に白血病のために70歳で亡くなった後、船田さんが神社を継ぐことになったそうです。
「父は伝統やしきたりにこだわらない自由な人だったから、自分が宮司の娘だと意識したことはほとんど無かったですね」
船田さんが小学生のころ、泰次さんは休日にはよく神社を閉めて、湘南の海水浴場や千葉県のマザー牧場などに連れて行ってくれたそうです。
「クリスマスも普通の家庭と同じようにお祝いしました。母とケーキを手作りしたり、サンタさんに手紙を書いたりした記憶があります」
そんな船田さんですが、年始だけは、宮司の娘であることを意識せざるをえなかったと言います。
「私は1月6日生まれなのですが、この時期はとにかく忙しく、父が一緒にお祝いしてくれた記憶がほとんどないのです。誕生日なのに、良い思い出は少ないです」
代わりに祖父母が祝ってくれたり、当日お祝いできない分、後日プレゼントを渡されたりと大人たちは気にかけてくれていたようですが、幼い船田さんには寂しい記憶が残りました。
「クリスマスを楽しく過ごしたのとは対照的に、誕生日は好きじゃなかったですね。お正月も家の手伝いをすることが多く、家族でゆっくりとはいきませんでしたから」
地元に密着してきた穏田神社ですが、近年はこれまでと異なる参拝客も増えているそうです。
「アニメ『ラブライブ!』の聖地になったことで、ファンの方の参拝が多いですね」
境内にかけられている絵馬を見ると、キャラクターのイラストが書かれたものがちらほら目に止まります。
「外国の方もよくいらっしゃいます。観光ついでにふらっと立ち寄ったというのではなく、各地の神社を回って御朱印を集めている方も多いです」
縁結びや無病息災など、神社に捧げられる祈りは様々です。
船田さんは「人が人を想って祈ること。偶然の出会いから縁が生まれること。そんな営みを大事にする場所でありたい」と話します。
2024年の年明けは、能登半島を襲った大地震のニュースで始まりました。
神社の手水舎が加賀藩由来のものであった縁もあり、なにか被災地に関わることができないかと考えたという船田さん。
金沢美術工芸大の学生たちと協力し、石川県の特産品である九谷焼を使ったお守りを作ったそうです。
「震災で打撃を受けた九谷焼の職人さんたちが、腕を振るう場を提供できたらという思いからでした。売り上げの一部は義援金として寄付します」
今年は良い年になりますように。そんなひとびとの祈りを、船田さんは迎えます。
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