豊洲と有明の二つのエリアの間を流れる東雲運河を眺めていると、こんもりと緑が生い茂る島のような横長の構造物が浮かんでいるように見えることに気づきます。近年、開発の進む生活圏の目と鼻の先でありながら、たどり着く手段はなく、放置されているようにも思われる――その正体は? 管轄する東京都港湾局を取材すると、長らく開発が続いてきた東京のベイエリアの歴史を反映する構造物であることが分かりました。(朝日新聞デジタル企画報道部・朽木誠一郎)
<高層マンション群が有名な豊洲と、有明アリーナなど東京五輪の会場としても整備された有明。この二つのエリアの間を流れる東雲運河を眺めていると、その中に、「こんもりと緑が生い茂る島のようなもの」が浮かんでいるように見えました。
周辺には、現在、開発が進む有明親水海浜公園もあります。生活圏の目と鼻の先にありながら、桟橋や入江もなく、そこにたどり着く手段が見当たりません。放置されているようにも思われますが、その正体は?>
東京都港湾局を取材しました。まず、当該の構造物は古くから存在しており、東京都として確認できるのは、主に都が編集した『東京港史』(1994)に掲載されていること、という回答でした。
その『東京港史』によれば、東雲運河に浮かぶ島のような構造物の正式名称は「旧防波堤」で、東雲運河に頭を出しているものはその一部です。防波堤なので、実際に浮かんでいるわけではありません。実は、台場公園やレインボーブリッジの先にも続きとなる構造物があり、そちらは近年、「鳥の島」という愛称がつけられています。
旧防波堤の工事は1926年に始まり、30年までに第6号埋立地(現在の東雲一丁目)から第3台場(現在の台場公園)までの約2300m(東雲運河上の構造物)が建造されました。
当時、今のように埋め立てが進んでおらず、一帯は基本的に海。第3期「隅田川口改良工事」の一環で、航路や船舶の停泊場所、埠頭などを波から守るための建造物でした。残りの約650m(鳥の島)の工事は1938年に終わりました。
その後、旧防波堤を挟んで、有明側の埋め立てや、現在の新豊洲~豊洲市場前エリアの埋め立てが進んだことで、旧防波堤は陸地の間に位置することになり、防波堤としての役割を終え、生活圏とも近接する構造物となりました。
ちなみに「旧防波堤部分には、施設等がないため、いわゆる住居表示(住所)は設定されておりません」と同局の担当者は話します。また、現在は立入禁止ということでした。
周辺にある有明親水海浜公園は、東京五輪の会場として使用された有明アリーナ周辺のみ先行して22年8月にオープン、24年3月に旧防波堤のある東雲運河に沿ったエリアをオープン。10月には東京五輪で使用されたスケートボードパークを含む「livedoor URBAN SPORTS PARK」が追加開園しました。
また、今秋には有明親水海浜公園予定地の西側に西入江が整備され、人工砂浜ができる予定であることも話題になりました。砂浜の工事に着手するのは25年3月ごろ、完成は26年3月の予定です。東雲運河上の旧防波堤に近い東入江水域にも砂浜を整備する計画がありましたが、磯浜などの海浜整備に変更されました。
このように、約100年前に建造され、現在は二度目の東京五輪のレガシーを多く受け継ぐエリアを見守る旧防波堤。「旧防波堤は、緑を保全していく予定のため、砂浜からの緑の景観を楽しんでいただければと思います」と同担当者。これからも景色の一部として、周辺を訪れる人々の記憶に残ることでしょう。