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連載

#32 大河ドラマ「光る君へ」たらればさんに聞く

こんな雰囲気で「望月の歌」!? 光る君へ視聴者の解釈もさまざま

藤原道長が寛弘2年(1005)に藤原氏の菩提を弔うために建立した浄妙寺の跡地。宇治市の木幡小学校のそばに看板がありました=水野梓撮影
藤原道長が寛弘2年(1005)に藤原氏の菩提を弔うために建立した浄妙寺の跡地。宇治市の木幡小学校のそばに看板がありました=水野梓撮影

紫式部を主人公とした大河ドラマ「光る君へ」。第44回は「望月の夜」と題し、藤原道長が栄華を極めたなかで詠んだとされる「この世をば~」という有名な和歌が詠まれるシーンが放送されました。視聴者の受け止め方はさまざま。平安文学を愛する編集者・たらればさんは「このドラマで歌の解釈が広がったのではないでしょうか」と話します。(withnews編集部・水野梓)

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夜の紅葉のなか舞われた「青海波」

withnews編集長・水野梓:ついに、詠まれましたね…!
 
「この世をば わが世とぞおもう望月の かけたることも なしと思えば」

自分の孫が帝となり3人の娘が帝の后となった夜という、栄華を極めた藤原道長が詠んだ歌で、多くの人が知っている歌ではないでしょうか。

たらればさん:次女の妍子が「父上と兄上以外、めでたいと思っておる者はおりません」と言い放つ暗い雰囲気の中で、「望月の歌」が詠まれるという世界線は、ちょっと想像してなかったですね…。

水野:本当にそうですね。これまで「この世は自分の世だ」という我が物顔で詠んだように思っていましたが、ドラマの描かれ方はまったく違うように感じました。
水野:道長の息子、頼通・教通が舞った「青海波」もそうでしたよね。

リスナーさんに答えてもらった「光る君へで見たい『源氏物語』名シーン」のアンケートで堂々1位でしたが、もっと喜びに満ちたなかで舞われるものだと思っていました。

たらればさん:夜の紅葉のなかでしたもんね~。そもそも頼通は道長の後を継いで摂政になっているので、あ、摂政が踊るんだ…、というのは驚きでした。

水野:たらればさんは、今回の「望月の歌」の描き方をどんなふうに解釈していますか。

たらればさん:こんなに、悲しみに満ちた描かれ方だったことがなにより意外でした。

無力感、諦観、今まで政治的に「よかれ」と思ってやってきたことが、自分の娘も含めて誰も幸せにしなかったかもしれない…、みたいな解釈が可能なシーンだったわけで、さすが大石静先生の脚本だなという新鮮な驚きです。

「小右記」に書き残された宴の歌

水野:そもそも「望月の歌」はどんな状況で詠まれたのでしょうか?

たらればさん:この歌は道長の孫が後一条天皇として即位し、3人の娘が后となったことを祝う、宴の席で詠まれたとされています。

道長の日記『御堂関白記』には内容が記されておらず、藤原実資の『小右記』にだけ書き残されています。

水野:酔っ払って詠んで恥ずかしかったので、自分の日記に書かなかった、みたいな説も読んだことがありますが、もし泥酔したときの歌が誰かに書きとめられて後世に残ってしまったら恥ずかしいですね…!

たらればさん:ですよねえ。『小右記』には、「いい月だから和歌を詠みたい」と道長から呼ばれた実資が、返歌を求められて、「こんなすばらしい歌に返せる歌はありません」、「みなさんで殿の歌を唱和しましょう」と返したと記されています。

水野:あのドラマの流れは、基本的には『小右記』の記述に沿っているんですね。なのに歌の解釈がこれまでとがらりと変わって受け取れるのが面白いです。
たらればさん:あの道長の歌は、状況を考えると紙に書いて残されたわけではなく、第三者(実資)が音声で聞き取ったものが日記に書き残されたわけで、つまり実際に道長は「この世」のつもりで詠んだのか、「この夜」だったか、あるいは「子の世」だったかは分かりません。

ちなみにこの頃、道長は(おそらく糖尿病由来の)白内障の症状が深刻に進んでいて(次の日の『小右記』に「道長は、目の前にいる実資の顔もよく見えていない」という記述があります)、この夜の月もほとんど見えていなかっただろう、と言われています。

水野:「子の世」だった可能性も……なるほど……。

たらればさん:この時点での道長の地位は、大変な幸運に恵まれた結果だといえます。

若い頃に父と兄のやり方を学んで、自分には子どもがたくさん、それも息子が6人、娘が6人とバランスよく生まれており、お父さんとお兄さんは比較的早く亡くなりました。

自分を可愛がってくれた姉が天皇の母となり、自分の娘は入内して皇子を産んで、自分はそれなりに長生きしつつ、政敵は次々に失脚したり亡くなったりしています。

そのうえ道長が激しく譲位を迫った三条天皇は、譲位したあと42歳で亡くなっています。つまり「院」として政治に影響を及ぼすこともありません。

父や兄だけでなく、姉(詮子さま)も一条帝(先々代の帝)ももういない。自分(道長)のやることに対して何か言う上の存在は誰もいないということです。摂関政治の頂点を極めたんですね。

水野:それは「自分の世だ~!」と思ってしまっても仕方なさそうですが…。

たらればさん:ただ、この「光る君へ」の世界線では、過去の道長が「女子が帝に入内しても幸せになれない」と言っていましたよね。それが結局、娘を次々に入内させたおかげで孫が帝になった。

だから理屈としては「これで俺は幸せの絶頂に登りつめた」とは描けないよなぁ……とも思いました。

水野:男性が栄華にのぼり詰める裏側には、意に反して入内した姫君の悲しみがあるのだ……ということも伝えたいのかなぁと感じるシーンでした。
石山寺の紫式部像=水野梓撮影
石山寺の紫式部像=水野梓撮影

下敷きにした紫式部の歌

水野:以前、まひろが詠んだ歌と、道長の「望月の歌」は関係があるのでしょうか?

たらればさん:はい。後一条天皇が生まれた時(道長が「望月の歌」を詠む約10年前)に祝いの席で紫式部が詠んだとされる、こちらの歌ですね。
 
「めずらしき光さしそう盃は もちながらこそ千代もめぐらめ」

私訳/新たに加わった若宮(敦成親王=後一条帝)へ捧げるこの栄光の盃(栄月)は、望月(満月)同様、永遠に輝き続けることでしょう。(紫式部集86歌)

水野:ドラマでも道長が「よい歌だ、覚えておこう」と返していましたよね。

たらればさん:道長が「望月の歌」を詠むときに「この歌を参考にしたんだろうな」という研究もある歌です。

水野:そう考えると、ドラマでは「まひろの歌を、俺は今も覚えているぞ」というメッセージもあったのかな……と思えてきました。
紫式部がたどった道のりに思いをはせるイベント「紫式部の旅」。紫式部役を先頭に、行列は宇治川にかかる朝霧橋を進みます=2024年10月18日、京都府宇治市、北川学撮影
紫式部がたどった道のりに思いをはせるイベント「紫式部の旅」。紫式部役を先頭に、行列は宇治川にかかる朝霧橋を進みます=2024年10月18日、京都府宇治市、北川学撮影 出典: 朝日新聞
水野:今回の放送回では、摂政を頼通に継がせようとした道長から「俺の思いなんか(息子に)伝えてもむなしいだけだ」ということを言われたまひろが、「次の代、次の代と、一人でなせなかったことも、時を経ればなせるやもしれません」と答えたところが泣けました。

1000年後、私たちに『源氏物語』が届いて、この物語で一喜一憂していることを考えるとすごく胸にくるなと思いました。

人や権力には終わりもあるけれど、それは次の人に継がれていって、バトンタッチしていく……月も欠けることもあるかもしれないけど、時を経ればまた満月になる…みたいな話なのかなぁと感じていました。

たらればさん:この時点では盤石だった道長ですが、今後はそれがうまくいかなくなっていくんですよね。

この歌を詠んだ時点では道長はまだまだ権力者なので、「次の代とか言ってないで自分でやれよ」って言いたくなります。

彼はこのあとも10年生きますし、「最高権力者なんだから人任せにするな」「おまえが始めた物語だろうが!」と思わず突っ込んでしまいました(笑)。

水野:それはたしかに!!(笑)

広がった「望月の歌」の解釈

水野:リスナーさんからは、「私なりの解釈は、道長は三郎としてまひろに詠んだラブレターだということに落ち着かせることにしました」というものや、かつて廃屋の逢瀬でふたりで見上げた満月の映像がカットインしていて、「お互いの生きる意味を果たそうという約束を道長がようやく叶えた、喜びに満ちた歌に思えてなりませんでした」というコメントもありました。

たらればさん:喜んでいたのかぁ…。なるほど……。

俳優さんってすごいですよね。わたしは「悲しそうだ…」と感じたわけで、つまり視聴者によって真逆の感情がどちらも読み取れるシーンだったわけですよね。

文学作品でも、読みとり方によって正反対に読めるものなどがあるんですけど、いろいろなことを想像させることを演技でやるんだから、改めて、道長役の柄本佑さん、すごいなと思いました。

水野:吉高由里子さんも、ほほえんでいるようにも、悲しんでいるようにも見えて。音楽もライトアップも含めて、どちらにも受け取れる演出でしたよね。
たらればさん:廃屋からの満月がカットインしたのは、「光る君へ」での「望月の夜」は、まひろとの夜であり、3人が后になった夜ってことなんでしょうね。

「満月」ってパーフェクトなものの象徴ですよね。でも「時間がたてば必ず欠けていくもの」でもあります。当たり前ですが。そこに「自分の権勢」を重ねてしまうと、明日から欠けていく、という前提が生まれるわけです。

そこに一抹の寂しさというか、「今は完璧に見えるかもしれないけれど、決して永遠ではないよ」という、「それでも今は、今夜だけは……」という文脈があるはずなんですよね。

水野:ある種の切なさと悲しさが混じる「絶頂」ではあるんだけど、それはまだ言わないで、ということも共有しているんですね。

たらればさん:こんなふうに、喜びと悲しみの表現が同居している表現は、『源氏物語』っぽいなぁとも思いますね。

水野:リスナーさんから、「廃屋でまひろが『人はうれしくても悲しくても泣くのよ』と言いましたよね。今回のまひろと道長の目にも同じものを感じました」というコメントもいただきました。

うれしさと悲しさが同居している、というのはずっとそういう描かれ方なのかもしれません。

たらればさん:あー、なるほど、たしかに。ありましたねそのセリフ。うまいなあ。

そのうえで、今回のドラマが放映されたことで「望月の歌」の解釈がだいぶ広がりましたよね。一般的な認識としては「えらそうな道長のイメージで生まれた歌」だったところから、「どうも傲慢一辺倒だったわけではなさそうだぞ……」と。そういうイメージの変遷がすごく面白いです。
平等院の近くを流れる宇治川。上流には天ケ瀬ダムがあり、さらに上流は瀬田川と呼ばれ、滋賀県大津市の石山寺のそばを流れています=京都府宇治市の宇治橋
平等院の近くを流れる宇治川。上流には天ケ瀬ダムがあり、さらに上流は瀬田川と呼ばれ、滋賀県大津市の石山寺のそばを流れています=京都府宇治市の宇治橋 出典: 朝日新聞

『源氏物語』の「あはれ」を表現したシーン

水野:「まさに『あはれ』だなと思って望月の歌のシーンを見ていました」というコメントもいただきました。美しさ、悲しさ、「あはれ」すべての意味にとれる絶妙なシーンだと思いました、と。

たらればさん:「あはれ」は本居宣長が指摘した『源氏物語』のキーワードですね。いっぽうで『枕草子』は「をかし」の文学といわれます。

「光る君へ」のあのシーンは、たしかに「あはれ」を体現するような描かれ方でした。

本居宣長は「あはれ」は日本文学に通底する基本的な価値観でもある、というふうなことを書いています。多層的な解釈ができる、切なさとか幽玄とかが全部詰まっている言葉であると。大石先生がそれを狙った可能性はありますね。

水野:「台本のト書きを知りたい!」というコメントもありました。脚本にどんな指示が出ていたんでしょうね。

たらればさん:執筆者の「執筆時点の狙い」を知りたい気持ちはわかります。ただ「作者」も、書いた瞬間からもう読者の一人だとも言えるんですよね。作品というものは、見た人の数だけ解釈があり正解がある、ということが、作品世界をより豊かにするんだと思っています。

「わたしは喜びに見えた」でもいいし、「悲しみ」でもいいし、「半々だっただろう」というのでもいいですし。それぞれの読み方、楽しみ方で味わうほうがいいですよね。

水野:どうしても正解探しをしたくなっちゃいますけど、みんなでこうやっていろいろ感じ方を語り合えるっていうのは、それだけ深みがあるから、ということでもありますもんね。
◆これまでのたらればさんの「光る君へ」スペース採録記事は、こちら(https://withnews.jp/articles/keyword/10926)から。

次回のたらればさんとのスペースは、12月15日21時から。最終回にあわせて、「光る君へ」で印象に残ったシーンを尋ねるアンケート(https://forms.gle/PnCrn2uKnjAnjXKC9)を実施しています。ぜひご協力ください。

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