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80歳迎える母、娘へ作り続けた服 数百円の生地で「世界にひとつ」
SNSの投稿にたくさんの「いいね」が寄せられました
専門学校の入学式のために作ってもらったオレンジ色のつりスカート、学校に通うときに着ていた青緑色のワンピース、子どもの頃愛用していたコート……。香川県に住む女性は、幼い頃から母の手作りの洋服を着て育ちました。自分の好みに仕立ててくれた、心躍る洋服たち。家にミシンの音が鳴り響く、母との〝日常〟について聞きました。
「来年80歳を迎える母が、私に作ってくれた服を数えたら、何枚になるんだろう…。私は51歳を迎え、そろそろ、さよならしようと思って写真を撮ったので見て欲しい!!」
香川県で和裁教室を開く講師の宮西ちはるさん(51)は9月上旬、そんなコメントとともにX(旧Twitter)に何十枚という洋服の画像を投稿しました。いずれも来年80歳を迎える母の手作りです。
投稿には「どのお洋服も素敵でため息が出ます」「愛がこもってる」「形がサイコーに美しい」「とっても丁寧な仕事」といった反応が寄せられ、21万を超える「いいね」がつきました。
物心がついた頃から母が作った服を着ていたという宮西さん。「母は暇さえあれば洋服を作っている。料理をしている姿よりもミシンを踏んでいる姿の方が思い浮かびます」と振り返ります。
保管場所も限られるため着られなくなった服は処分し、また新しい服を作ってもらうという繰り返しでした。
今回、〝断捨離〟前に写真を撮ったので多くの人に見てもらいたいと投稿したところ、予想をはるかに超える反響があったといいます。
太平洋戦争が終わった1945年に生まれた宮西さんの母は、13歳で自身の父親を亡くし、貧しい生活を送っていたそうです。それでも洋服が好きで、「買えないなら自分で作ろう」と考えていたといいます。
20代前半で地元の洋裁教室に通って以来、結婚してからもずっと、趣味で洋服を作り続けました。
長女の宮西さんを産んだ後、2歳ごろに夫と離婚。仕事を二つ三つ掛け持ちしながら、ひとりで宮西さんを育てました。
宮西さんは「母は、仕事が終わった日の夜や休日を洋服づくりにあてていました。自分の服や私の服を月に1枚ずつほど作っていたと思います」と話します。
当時は今ほど市販の洋服が安くありませんでした。地元の店で1メートル100円ほどの端布を何枚も買って、洋裁誌を参考に型を取って作っていたそうです。
「コートがほしいと思ったら、雑誌を見ながら『この布だとこのコートがいいかな?』『これ作って』とお願いしていました。服はどんどん増えていきました」
宮西さんの好みをもとにしているため、母が作ったものは「胸躍る服」です。「トキメキやキュンキュンという言葉が合っているかもしれませんね」
これまでに作ってもらった洋服の枚数は「覚えていない」ほど。「息をするように洋服を作っているので、『これまでに何着作った?』という質問は『これまでに何回カレー作った?』と聞かれているのと同じです」と笑います。
そんな宮西さん自身、現在は和裁を仕事にしています。
20歳で岡山にある和裁の学校に進みましたが、背景には「洋裁は型を取るのが大変だから、和裁をやってみれば?」という母の勧めがありました。
「その選択肢もあるんだなと思って学校を選びましたが、入学したときは手縫いの基本である『運針』ができず、自分に縫えるようになるのか不安でした。『大変なところに来てしまった』と思いながらも毎日少しずつ練習し、できるようになりました」
当時、学校の友人たちも宮西さんが手作りの洋服を着ていることを知っていて、「お母さんいいなぁ、服作ってくれて」と言われることもあったそうです。
「私にとっては当たり前すぎることだったので、『そう?』くらいにしか答えていなかったかもしれません」
Xで紹介した青緑色のワンピースは、宮西さんが和裁学校に通うときに着ていた1枚です。
20~26歳の学生生活の間、何度も着ていたワンピース。香川から岡山まで、電車で瀬戸大橋を渡っていた情景が思い出されます。誰ともかぶらないお気に入りの1枚だったからこそ、手元に残してありました。
母に「みんなが『いいね』してくれてるよ」とSNSの反響を伝えると、「あんな服、まだ持っとったんか。着ないんだったら捨てなさい」という答えが。「またタンスにしまった」と返すと、笑っていたといいます。
捨てる前の名残惜しさから投稿した写真でしたが、ユーザーの反応を受けて取っておくことを決めました。
「常々、母に感謝はしていましたが、手作りの服は貴重だということ、母の技術はすごいんだということをに改めて気づかされました」
「母は、自分で作ると世界にひとつのオリジナルのものなので、そこがいいと言っています。たとえ安い値段で作っていたとしても、誰ともかぶらず、特別感が違うんだ、と」
母が仕事をリタイアして十数年。今は好きなときに好きなだけミシンを踏み、4~5日で1着作るそうです。
「作るものがまだ決まっていないと、『何かほしいものはないのか』とすごく聞かれます。作っていないと手持ちぶさたなのかもしれません」と宮西さん。母の姿をみて「今で言うところの『沼にハマっている』感じですよね」と話します。
「本人は死ぬまでミシンを踏む気でいて、仮に歩くことが難しくなってミシンが踏めなくなっても、布団の上でできる編み物をやると言っています。私も母のように、毎日趣味を楽しめるような老後を迎えたいです」
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